武志、杏子と会う

 大和武志の目の前には、鈴木杏子スズキ キョウコがいる。

 彼女はベッドの上に座ったまま、じっと虚空を見つめていた。その瞳からは、感情の動きが全く感じられない。まるで人形の目だ。

 ふたりのいる部屋は、六畳ほどの広さだ。壁は白く、鏡は壁に埋め込まれている。窓に付いているガラスは分厚いもので、割るのは不可能だろう。


「久しぶりだね。元気だった?」


 武志は微笑みながら、杏子の前で椅子に腰かけた。しかし、何の反応もない。

 そんな彼女に向かい、武志は語り続ける。


「いやあ、最近は忙しくてさ。あ、俺は仕事辞めちゃったよ。もともと、あんな仕事は俺には向いてなかったんだよな。杏子の言う通りだったよ」


 言いながら、武志はカバンを開けた。コンビニで買ったおにぎりと、お茶のペットボトルを取り出す。


「悪いけど、ここで食べさせてもらうよ。最近は食が細くなってさ。いつの間にか、十キロも痩せたよ。やっぱり食べないとダメだね」


 一方的に語り続けるが、杏子は何の反応も示さない。黙ったまま、虚ろな瞳で虚空を見つめている。

 武志は、それでも喋り続けた。


「君の嫌いだって言ってた女優、どっかのサッカー選手と結婚するってさ。どっちも頭悪そうだからね。ピッタリかもしれないよ」


 そんなことを言っていた時、ドアを叩く音が聞こえてきた。


「そろそろ引き上げるぞ。当直が交代するんだとさ。交代した奴に見つかったら、面倒なことになるぞ」


 天田士郎の声だ。武志は立ち上がり、杏子の耳元に口を近づける。


「じゃ、行くね。あと、やっと始めたんだよ。まずは、寺門をやった。あいつ最後には、泣くは漏らすは垂らすは、ひどいもんだったよ。でも生きてるけどね。奴は生きて、罪を償うんだ。次は肥田の番だよ。奴を片付けたら、また来るからね。今日は、それを言いに来たんだ」


 言い終えた武志は、にっこりと微笑み部屋を後にする。




 部屋を出た後、武志と士郎は廊下を歩いて行った。時おり、奇怪な叫び声が廊下に響き渡っている。また、何やら呪文を唱えているような奇妙な声も聞こえていた。

「ぞっとしねえ場所だな。何とか博士みたいなのも閉じ込められてそうだしな。早く行こうぜ」


 誰にともなく呟いた士郎だったが、武志の堅い表情に気付いた。


「あっ、いや、ごめん」


 慌てて言い添える士郎に、武志は口元を歪め首を振った。


「いえ、あなたの言う通りですよ。杏子は、こんなぞっとしない場所に一生居なきゃならないんです。奴らと……俺のせいでね。あの時の俺に、もっと力があれば……もっと用心していれば……」


 薄暗い廊下でも、武志の表情が変わっていくのがわかった。

 その顔を、士郎は複雑な感情のこもった目で見つめる。ややあって、武志の腕を掴んだ。


「さっさと行くぞ。次のことも話し合わないとな」




 ふたりは、武志の家に戻った。今では武志の家というよりは、作戦本部のようになっている。テーブルの上にはタブレットが置かれており、そこには三人の男の画像が映っている。


「次は、誰にするんだ?」


 尋ねた士郎に、武志の画面の中のひとりを指差す。


「次は肥田ヒダにします」


 言った武志の顔が歪む。五年前の記憶が甦ったのだ。

 肥田は、体が大きく腕力も強い男だった。抵抗した武志を殴り、蹴り倒した。散々殴られ、武志の前歯は全て叩き折られたのだ。

 前歯を失い、顔面が血まみれになり、泣きなが許しを乞う武志の顔を見て、肥田は笑っていた。笑いながら、顔を蹴り飛ばしたのだ。

 そして、奴らは杏子を──


「肥田か。こいつをどうする気だ? 寺門の時と同じように、両手両足へし折り目を潰し、薬漬けで狂わせるのか?」


 士郎が尋ねると、武志は暗い目をして頷いた。


「もちろんですよ。こいつもまた、同じ目に遭ってもらいます」


 答えた後、壮絶な笑みを浮かべる。

 そう、肥田にも同じ地獄を見せるのだ。一生、癒えることのない傷を負ったまま生きてもらう。自らの生を呪いながら生きるのだ。自らの命を絶つことも出来ずに──

 すると、士郎が口を開いた。


「なあ、大丈夫か? しばらく空けてもいいんだぞ」


「どういう意味です?」


 武志の表情が険しくなる。士郎は苦笑し、肩を軽く叩いた。


「そうカッカするな。俺が言いたいのは、別に急ぐことはないってことさ。少し休んでからでも、いいんじゃねえのか。もちろん、決めるのはお前だ。最終決定権はお前にある。俺は指示に従うよ」


 言いながら、穏やかな表情でこちらを見つめる。

 武志はその時、不思議な気持ちになった。目の前にいる男から感じるもの、それは清々しさと純粋さだった。血なまぐさい世界に生き、暴力を生業としている男のはずなのに。

 気がつくと武志は、前々から感じていた疑問を口にしていた。


「前から思ってたんですが、あなたは何でこんな仕事してるんですか?」


「こんな仕事って、お前も言ってくれるね。俺だって、なりたくてなったわけじゃない。運命に導かれ……いや、そんな格好のいいものじゃない。ならざるを得なかったんだよ」


 士郎は、またしても笑みを浮かべる。ただし、今のは自虐的なものだった。






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