第8話 兄の帰国

地球見学4日目


塾の昼休み。昨日のメンバー4人がなんとなく集まって昼飯を食べ始めたものだから、周りはザワザワと騒がしかった。


はじめのとなりにゆめ、その前の席にかえでと夏樹が座って弁当を広げる。


昨日のファミレスのごとくしゃべりまくる。前から仲よかったっけ。そう錯覚するくらいだ。


唯一違ったのは、食べ終わってすぐに、お互い席に戻って勉強を始めたこと。昨日、みんなの中で何かが変わった。そんな気がした昼休憩だった。

あのゆめですら、日本史の参考書で勉強しているのだから驚く。


今日の月の入りは15時41分。初めてゆめも三限まで授業を受けて帰ることになった。三限が終わるのは14時30分。


家の鍵の閉め方などもゆめに教えておいた。16時30分には、塾も終わる。少しずつ生活に慣れた様子のゆめは、ひとりで帰っても大丈夫だと話した。


「じゃあ、帰るね」

「ゆめ、気をつけてね」

「はーい、ご心配なく」


ひらひらと手を振りながら、ゆめは帰っていく。もうどこからみても月の人には見えない。


「あれ、ゆめ帰ったの?」

夏樹が声をかけてきた。

「ああ、うん。英会話のオンライン授業だって」

「ふーん……。なぁ、あいつ来週には帰るんだろ? 昨日ちょっと聞いた」


図書館で話していた時だろうか。はじめは心臓がぎゅっとなるのを隠して夏樹と話し続けた。


「ああ、うん。そうだよ来週には帰るみたい」


「そっか。なぁ、あいつ帰ったらどうなるか知ってるか?」


「帰ったら? 知らないけど……」


「結婚するっていってたぞ」


「ええっ!? 結婚!?」


思わず大きな声が出る。なにそれ。


「家がそうだから仕方ないって言ってた。今どきそんなことあるのか? あいつもまだ18だろ?」


「うん……そうだね」


18歳かどうかは不明だ。はじめは、ゆめはいったい何歳なんだろうかと思った。


「なんか秘密でもあんのか?」


ビクッと体が震える。


「ひっ、ヒミツ!? ないないそんなの」


夏樹は口を押さえて、肩を震わせていた。笑ってるようにも見える。


「わかった。でも話聞いてやれよ」


夏樹の態度にイラッとする。

なんでそんなにゆめのこと知ってるんだろう。

昨日、どんなこと話したんだろう。

はじめは頭の中が沸騰しそうになるのを抑えながらなんとか三限目を受け終えて、家路についた。


帰りながらスマホを確認すると、兄の零からメッセージが入っている。


『今日の15時頃、家に寄るからよろしく!』


メッセージを確認すると、顔色を変え、はじめは家に向かって走り出していた。


まずい、まずい、まずいっ……!!


あっちは鍵持ってるし、ちょうど変身するところなんか見られたもんなら、ゆめは月へ帰ってしまう。


まだ、帰ってほしくない。もう少し一緒にいたい……。

胸のざわつきを押さえながら、あわてて玄関を開けた。そこには兄の靴。


「ただいまっ!!」


リビングから、笑い声がする。あわててリビングのドアをドカンと開けると、向田と零がダイニングテーブルでお茶を飲んでいるところだった。


「ビックリした、なんだよそんなにあわてて。お兄たまに会いたかった?」

「ぼっちゃま、おかえりなさい」


さらさらとした長めの黒髪、切れ長の瞳。茶化した口調。久しぶりに見る兄は何ひとつ変わっていないようだった。


「あ……、ただいま。向田さん、ゆめは……?」

「お嬢さまですか? また英会話の授業だってお部屋にこもっていらっしゃいますよ」

「坂井のお嬢さまなんて、久しぶりに会ったよ。子どもの時以来かな」


きっと向田が紹介してくれたのだろう。

ウサギになるのは見てない様子で安心したが、はじめの友だちとして紹介する作戦は失敗。次の手を考える必要がある。


まあ親戚だと信じてくれたのならそれでもいいかと思いながら、零の隣にはじめも座った。


「あら、もうこんな時間。私そろそろ失礼します」


向田はそう言って、支度をすると帰っていった。


玄関まで向田を見送っていた零が、リビングに戻ってくる。テーブルを挟んではじめの前に座り、小さく息をつく。


「はじめ。あの子、誰?」ギクッ!!!

心臓が信じられないくらいドキドキする。やっぱり兄は騙せなかった……。はじめは動揺で目が泳ぐ。


「あの、えっと、その……」


「彼女?」


ぶんぶんと首を横に振る。


「友だち?」


ぶんぶんと首を縦に振ってなんとか、納得してもらおうとする。零は怒りの表情だ。


「いや、友だちはないだろ。家出? まさか監禁してるわけじゃないよな……」


「ちょっ……待ってよ。犯罪者じゃないからね僕。ちょっと東京見学に来たみたいで、近くに保護者の人もいるんだけど、ここの方がリアルに東京を感じられるからって……ほら、ホームステイ? みたいなもんだよ。来週には帰るって言ってるし、ちゃんと親御さんとの条件もあってね、性的行為はしないっていうことにもなってて……」


はじめは慌てて、説得する。月からきたこと以外はだいたい真実だ。


「……、性的行為……?? まあ俺にもそういうことが、まったくなかったわけじゃないから、あんまりとやかく言えないけど……」


零にも多少の心当たりはあるらしく、それ以上詮索されなかったので、はじめは安堵した。


零とはじめは五つ歳が離れている。両親が学会などで海外に行くとき、はじめは必ずついていっていたが、零は高校生になった頃から家で留守番をするようになった。その頃に多少のことがあったのではないかと推測する。「まあいいや。とりあえず、あの子のことはおいといて。この前話した進路のことだけど、気持ちは変わってない?」


はじめは姿勢を正して、すっと零の目を見つめた。


「うん、変わってない。T大の文学部をを目指すよ。いずれは大学教授か研究者になりたいと思ってる」


「……。それがお前のやりたいこと?」


「そう、これが僕のやりたいこと。父さんや母さんにもちゃんと話すよ。反対されたら家出てく。バイトしながら大学に入るつもり」


「おー、腹くくってるね」


零はパチパチと手を叩いた。


「零のおかげ。あれからね、勉強がはかどって仕方ないんだ。目標決まったら、ブレないもんだね」


「よかったな。なんかかわいそうなくらいだったからさ。お前の健気さが」


どうみても文系のはじめが、親の期待に応えようと無理矢理医者を志望する姿は、兄として心苦しかったと零は言った。


「病院は俺がなんとかするから、お前は自分の道を行けよ」


「……、ありがとう。零は? ほんとに今のままでいいの?」


「俺? ああ、いま幸せだよ。留学も、もう一年させてもらえることになったし、彼女はいるし、かわいいし。充実した人生だよ」


最初は一年だけのつもりだった零の留学。零の希望でもう一年伸ばすのことになったのは、つい3ヶ月前のこと。はじめは両親が電話で何度も零とやりとりしているのを見かけた。零なりにも、考えることがあったのだろう。

「医者になるのは……いいの?」


はじめがそう訊くと、眉を少し下げて零はほほ笑んだ。


「俺は、医者になりたい。たくさんの人に寄り添いたいと思ってる。それに、俺医師免許とって、何年か経験積んだら青年海外協力隊で海外に行きたいと思ってる」


「えっ……そうなの?」


卒業して医師免許を取得して、そのまま家の病院に就職するのだろうと思っていたはじめは、わかりやすく驚いた。


「まだ、父さんも母さんも53だろ?あと10年くらいは大丈夫だとふんで、経験積んでこようと思ってる」


「はぁ……」


壮大な話についていっていない。それでも夢を追いかける人の瞳は美しいものだなとはじめは思った。


「自分の人生、楽しみたいじゃん」


ニカっと笑う零の顔。はじめには、なんだか前よりずっと逞しくみえた。


「そうだね、うん。僕もいますごく楽しい」


零は穏やかな笑顔をはじめに向ける。


「父さんと母さんには、俺から少し話しておくよ。それから家族会議だな」


「うん、僕もちゃんと話す」


「たぶん大丈夫だよ。二人とも、はじめが医者に向いてないのはなんとなく感じてたみたいだし」


「ええっ!?」


はじめは驚いて声を上げて思わず立ち上がった。無言の圧力をかけられてると思っていたのに、まさか見透かされていたとは。

「どうみても文系のはじめが、進路のことになると医者になるって小さい声で言うもんだから、なんだか可哀想だって言ってたよ。なかなか声かけにくかったみたいだし。素直に言えばわかってくれるよきっと」


カタブツの両親にそう思われてると初めて知り、はじめは驚いた。嬉しいようなくすぐったいような気さえする。


「心配しないで、勉強がんばれ」


思わず目頭が熱くなる。あっけらかんとした零の態度に救われた。


「ありがとう」


「じゃ、もう行くわ。彼女も待ってるし。あの子に挨拶してこ」


ガタッと立ち上がる零を何とか制す。


「いやいや、まだきっとオンライン英会話の授業中だから!! また明日ならいいかな。明日はどう?」


「なんだ、そうなの。明日か。彼女次第かな。なんせ久しぶりだから、寝かせてくれないかもしれないし」


寝かせてくれない? 寝ずに積もる話でもするのだろうか。はじめは妙に嬉しそうな零を、玄関で見送った。


はじめはゆめの部屋へ向かう。

「ゆめ、ただいま。ご飯食べる?」


返事がないのでそっと襖を開ける。

縁側に続く窓が空いている。外に出たのだろうか。

はじめもサンダルを履いて、庭に降りる。

「ゆめー? どこ?」


広い庭を見渡すがどこにもいない。

イングリッシュガーデンの方にいってみる。薔薇のアーチの下に座っているウサギのゆめを見つけて、そっとしゃがみこんで声をかける。


「ゆめ? どうかした?」


ゆめはビクッとして振り返ると、鼻をヒクヒクさせてバッとはじめの胸にとびこんだ。「ちょっと、やめてよ。くすぐったいよ」


しばらくじゃれていたが、はじめはゆめを抱えて家へと戻る。


「お腹すいたよね? ご飯食べよう!」


ウサギになってしまうと、しゃべれないのが悲しい。


「ゆめ、ウサギのままでしゃべる方法ないかな」


ゆめは悲しそうに首を振る。やっぱりないよね、そんな方法。


「月の出は明日の1時13分。ちょっと遅いね……。よかったら、朝散歩いかない? ゆめに聞きたいことがあるんだ」


ゆめは首を傾げる。わざわざ聞きたいことがあるなんて言ったら、どきっとするよね。


「夏樹に聞いたよ、ゆめ月に帰ったら結婚するの?」


ややあって、ゆめはコクンとうなづく。質問形式なら話せるなとはじめは思った。


「それって、ゆめがしたくてするの?」


ふるふるっと首を横に振る。

何度か質問すれば、結婚はしたくてするのではない。好きでもない人と結婚する。家が決めることだから逃げられないというところまではわかった。


「そっか……。どうしてもそうするしかないんだね」


はじめは、ゆめのどうしようもない悲しさが伝わってくるようで肩を落とした。


夕食を食べ終え、自室へそれぞれ戻る。モヤモヤっとした気持ちを抱えつつ参考書を開いた。

***


日を跨いで1時13分。私は体がほんのり温かくなったのを感じて目を開けた。


ウサギから人間に戻ったあとは、相変わらずの裸。タオルケットで体を隠しながら、はじめの母親のタンスを目指す。


はじめの母親は、なかなかの衣装もちで洋服も着物も選びきれないほどたくさんあった。


若草色の浴衣を選び、一息つく。キッチンでお茶を飲んでいると、胸の翡翠が熱くなる。テーブルにつくと満月の声が頭に流れてくる。


『月夜、どうあれから』


満月と話すのは2日ぶり。図書館のことや、きょうのこと。出来事が山ほどあったような気がする。


『うん、いろいろあった』


『なんとなくは地球鏡でみたけど。あなただけじゃなくて、みんなも少しずつ成長してるみたいね』


『地球人も、人を好きになる気持ちは同じなんだなって思ったよ』


『そうね、お友だちもできたみたいでよかったじゃない』


『なんか帰るのが辛い。ねえ帰ったらどうしても結婚しなきゃダメなの?』


『そうね。はじめさんが望んでくれれば状況は変わると思うけど』


『私、はじめじゃない人はいや。どうしてもはじめがいい』


『うーん、月夜。それはわかるわ。でもその場に立ち止まっていないで。次に向かわなきゃ行けないってこともある。


あなたに心の整理をする時間がないのは酷だと思うけど、その人だけしか好きになれないってわけではないと思うの』『他の人なんて、好きになれるのかな』


『今はそこまで考えなくてもいいと思うわ。とりあえずは、はじめさんやお友だちとの時間を楽しんで、ね』


『ねえ、満月はそういう経験あるの?』


『……あるわよ。一応』


ゆめは驚きつつも満月に問う。


『次に好きになった人がいまの旦那さん?』


『そうだね。向こうが好きになってくれてだんだん私もって感じ。お父様が決めた人だけど。今は好きよ』


『そう』


そんなことが自分にできるのだろうか。はじめ以外の人を好きになる。そんな未来が待っているのだろうか。そう考えただけで悲しくて涙が出そうだった。


『そうだ、最近知ったことなんだけど。姿を消している間は、地球鏡に写りにくいみたいなのよねー。ときどき朔が見えなくなることもあるから、もしかしたら見られたくないことがあるのかも』


『ええっ!? ほんとう?』


『時空が乱れるみたいな? ふふっ、健闘を祈ります、またね』


満月の想念は薄くなっていって消えた。


姿を消している間は、地球鏡からも見えない。それはすごい。今は10秒くらいしかできないけど、練習してみようかな。


夜更けに始めた消える練習は、明け方まで続けた。「ゆめ、おはよう。起きてる?」


はじめの声がして、はっと飛び起きた。

いつの間にか寝てしまったんだ。


「ああ、うん。いま出るね」


簡単に身支度をしてリビングへ行くと、はじめはテレビを見ているところだった。


「ごめんね、遅くなって」


「いいよ、公園少し行かない? 歩きながら話そうよ」


「いいね、行きたい」


二人で公園を歩く。朝の6時半。もう日が昇ってきているが、緑が茂っていて、木陰に入れば涼しさを感じる。


「月の世界ってさ、自由ないの?」


はじめが口を開く。


「そうだね、ないかな」


「好きな人も自分で選べない?」


「私は大王の次女だしね。よけいそうかな。でもそれも運命なら受け入れるしかないかな」


「それで納得できる?」


「納得するしかないんだろうね。逃げて平民になる選択肢もないわけじゃないんだけど。それかもう一回罪を犯して死罪にしてもらうか、投獄された方が楽なのかも」


あははっと乾いた笑いをすれば、はじめの顔がみるみる曇る。


「ねぇ、ゆめ。本当は何しに地球に来たの? もう一回罪を犯すってことは、一回は悪いことをしたってこと?」


思わず口を手で覆ったがもう遅い。はじめの視線を痛いほど感じる。ゆめは自分の足元に落とした目を、あげることができなかった。


「ねぇ、ゆ……」


「おーい!! はじめ! こんなとこでなにしてんだ?」


昨日も聞いた元気でおちゃらけた声。

はじめの兄の零が、向こうから手を振って歩いてきていた。「零! 朝早いね、どうして?」


はじめがびっくりして声をかけた。なんでこんな早い時間にいるんだろう。


「彼女の家、この近くなんだよ。窓からふたりが歩いてくのが見えてさ。追いかけてきた」


ニカっと笑う表情は少しはじめに似ているけど、雰囲気は別物。眩しすぎる。


「そうなんだ。あ、昨日もあったよね。友だちのゆめさん」


「お……おはようございます」


ゆめは気まずそうに頭を下げる。昨日は向田に坂井のお嬢様だと紹介されたのに、はじめは友だちのゆめさんと紹介した。一体どういうことだろう。


「昨日はじめから聞いたよ。東京見学に来たんだってね」


穏やかに笑いかけながらそう言われて、

心配することはないんだろうと思う。


「そうだ、はじめは今日は塾だろう? 俺が東京案内に一緒に行ってくるよ」


「えぇっ!?」


はじめとゆめの声が重なって大きな声になる。


「でっ、でも来週僕と一緒に行こうって話はしてて……」


「色々見た方が楽しいだろ? 久しぶりに場外市場行こうと思ってたからいっしょにどう?」


「じょーがいいちば?」


「おいしい寿司とか刺身が食べられるよ。今いけばちょうど朝飯にいいかもな」


寿司、刺身。食べてみたい!!


「行きます! 連れてってください!」

「ちょっと、ゆめ!?」


はじめが止めるが、ゆめの目はもう寿司になっていた。


「決まり! 安心して、食べ終わったら家に送り届けるから。じゃいこうゆめちゃん」


「はじめ、いってくるねー!!」


あっけに取られているはじめをよそに、ゆめと零は駅に向かって歩き出していた。


「場外市場までは、電車で5分だから。すぐ着くよ」


「楽しみです、うれしい!」


「ねえ、ゆめちゃん言える範囲でいいんだけど」


零が申し訳なさそうに聞いてくる。首を傾げて顔を覗き込む。


「お姉さんは、元気?」


宇宙でいちばん硬い鉱物にでもなったかのように、首を傾げたまま、しばらく動けないでいた。


「……あ、えっと。元気です。姉と知り合いですか?」


「見てすぐわかったよ。そっくりだから驚いた」


「あの……えっと……」


しどろもどろになるしかなかった。何? かまかけられてるのかな。それとも?


「帰ったら、結婚するって言ってたから。どう? 妹から見たら幸せそう?」


ゆめの頭は大混乱を起こした。なんで満月のこと知ってるの? あったことあるの? 満月も、地球に来たことあるの? 


「あ、はい。今は子どももいて幸せそうです。昨日話しましたけど、ご主人のこと好きだって言ってました」


監視されてることを考えれば、当たり障りなくかわすこともできた。

零がまったくの誤解をしているとも思えるし、または本当に満月のことを心配しているようにも思える。


いちかばちかだったが、本当のことを言ってみるほうに賭けた。


「そっかー!! よかった!!」


零が白い歯を見せてニカっと笑う。思わずドキッとするくらいまぶしかった。

よくわからないけど、これでよかった、そう思った。「ごめんね、本当はそれが聞きたかっただけなんだ。胸のつっかえが取れたよ。そうだ、あとで俺の彼女紹介するね。あっちから見てるでしょきっと」


これは完全な黒だ。ゆめが月からきたことを零は知っているのだろう。でもなぜ? 疑問が浮かんでは消えていく。


二人で駅まで歩いていく途中でタクシーがすっと近寄ってきて止まる。

不思議に思ってふたりで運転席を覗くと、朔が恐ろしいほどの笑顔でこちらを見ていた。


「さ……朔!?」


「お嬢様、零さん、とりあえず乗ってください。」


「誰?」


零がとぼけて言うが、もう後のまつり。


「ここでは人が多すぎます。早く乗ってください。私も寿司食べに行きたいので」


寿司食べたいだけなんじゃないかな。そう思いながらタクシーに乗り込んだ。


「お久しぶりですね、零さま」


「いいの? 条件」


「はい。先ほど確認しましたが、大王様から許可がおりました。特別枠だそうです。あと詩穂しほさんも。満月お嬢様はお元気ですので、ご心配なく」


やっぱり。ゆめは、満月がなぜ地球に行ったことを秘密にしていたのだろうと思いを巡らせる。

「詩穂もいいんですか!?」


零の目がキラキラと輝く。詩穂という人も知り合いなのだろうか。


「ああ、ゆめちゃんごめんね。詩穂は僕の彼女なんだけど、はなとも一緒によく遊んだんだよ」


はな? 首を傾げているとハッとして、朔をみた零。朔は大丈夫ですと前を見たまま告げた。


「君のお姉さん、満月の地球での名前だよ。ゆめも地球で呼ぶ名前だろ? 同じこと考えるなんてさすが姉妹だね」


あまりのことに開いた口が塞がらない。ぱくぱくと口だけが動く。そのうち急に胸の翡翠が熱くなりる。いつもより熱いので思わず取り出すと、ぼやんと頭の中に響く。


『ちょっと、零!! 勝手なことしないでよ! 危なくゆめは帰らなきゃ行けないところだったのよ。慌てて私がお父様の説得に行ったからいいものを……』


『はなー!! 久しぶり!! 元気にしてた?』


テンション高めの姉にも驚く。いったいどうなってるんだ? ていうか、零さんも想念聞こえるの? 想念のパワーって加減できるのかな。


『おかげさまで元気よ。妹のことよろしくね!! じゃ!!』


『待って待って、詩穂もあとで呼ぶから三人で話そうよ』


『詩穂と話すことなんか、何もないわよ!! あんたたちが幸せでなにより。月に来ることがあったら言ってよ。もてなすからねー』


『はなー、カムバーック!!』


『バカ!!』


一方的にぶちんと切れた想念。長い沈黙のあと、ゆめが口を開く。


「あの……これはいったい……」


「朔さん、本当にしゃべっていいの?」


「はじめさまには、言わないでくださいね」零の話はこうだった。


零が高3の夏、両親とはじめが学会で海外に行っている間に、満月は2週間の地球見学にきた。


満月は零の友だちのとおるに恋してたらしいんだけど、うまくいかず。零の彼女の詩穂と三人で地球見学を楽しんで帰ったそうだ。


失恋した満月が気丈にも笑顔で去っていくのが忘れられなくて、心に引っかかっていたところ、うりふたつの妹が現れてびっくりしたとのこと。


「ゆめちゃんも、誰かに恋してて、地球に来たの?」


「……」


「まさか、はじめじゃないよね?」


「……」


図星で何も言えない。耳まで真っ赤になり、うつむいてカタカタ震えた。


「……、ゆめちゃんありがとうね」


「えっ?」


「あんな弟でも、好きになってくれてありがとう」


「あの……」


「うまくいくといいね」「……、たぶん無理です。でも楽しい想い出がちょっとずつ増えてるんで、最後まで地球を楽しみたいと思ってます」


へらへらと、零に笑いかける。零は困ったように笑ってそれ以上何も言わなかった。


場外市場に着くと、すごい人でごった返していた。朔も寿司を食べると言ってついて来たが歩くのがやっとだ。


美味しい匂いにつられて、ふらふらと二人から離れてしまったのがいけなかった。ハッと気づくと、二人の姿はなく、ゆめは完全に迷子になっていた。


顔から血の気が引いていく。ポツンと立ち尽くしていると、警察官に声をかけられた。ゆめは警察官がどういうものか分からないので、恐怖で血の気が引いていった。


「きみ、どうしたの? 顔色が悪いけど、大丈夫?」


「あ、あの、えっとあの……一緒に来た人とはぐれちゃって……」


「どこからきたの? 名前は? 誰と一緒にきたの?」


月からきました、月夜美谷之命です、家来と好きな人の兄と来ました。なんて言えない。ゆめは青ざめたまま立ち尽くすしかなかった。


「スマホとか持ってる? 連絡できますか? もしかしたら相手も探してるかもしれないね」


「いや、あの、すまほ持ってなくて……」


「じゃあ交番にいきますか? 探していれば交番に来るかもしれませんし」


「いや、あの……大丈夫です。自分で探すので……」


ゆめはこのままだとまずいと思い、思わずぎゅっと力を込めると。勢いあまって、力を使い、姿を消した。「えっ!! 消えた!?」


様子を見守っていた人たちから絶叫にも似た声がする。慌てて姿を消したままその場を走り去ると、10メートルほどいったところで狭い横道に逃げ込んだ。


息が落ち着くとすーっと姿が戻る。とぼとぼと反対側に出ると、ちょうど朔と零が歩いているところに出くわした。


「姫さま!!」

「ゆめちゃん、探したよ!!」


そう駆け寄る二人にも、ゆめが青ざめているのがわかった。


「ごめんっ、すぐ帰ろう、姿が消えるとこ、見られちゃった……」


「ええっ!!」


「なっなんで!?」


ザワザワと人が集まってくる。とにかく

慌ててタクシーを置いていた駐車場に戻り、家へ向かった。


「やっば、もうSNSあがってる」


「えっ!?」


零のスマホを覗き込むと、ゆめがすーっと姿を消す様子が映像として上がっていた。イイネもどんどん増えている。


「朔さん、条件にこのこと書いてある?」


零が慌てて問いかける。


「条件にはないですが、大王がご決断なされば、帰ることになると思います」


顔がさらにざーっと青ざめる。いやだ、まだ帰りたくない。何もしていないのに帰還させられることに恐怖を覚えた。


「姫さま、頭下げてください。後ろたぶんついてきてます」


ルームミラーをのぞくと、バイクが一台ついてきている。


「朔さん、なんとかできる?」


「なんとかします」


そう言い終わらないうちに、思いっきりハンドルを、切った。バイクは曲がり切れずにそのまま直進していったっきり、戻っては来なかった。


「とりあえずはいいでしょう。家に向かいます」


朔の言葉が遠く聞こえる。ゆめは息が苦しくなって意識が朦朧とする。

どうしよう、息が……す、吸えない。


「ゆめちゃん!? ゆめちゃ──」


肩を叩かれ、名前を呼ばれたところまでは覚えているがそのまま意識を手放した。***


ゆめが帰ってきたのは、はじめが塾に行く直前の8時40分頃だった。


「はじめー!! 布団用意して!!」


兄の大声で、二階で支度をしていたはじめは驚いて階段を駆け降りた。

ゆめを抱えて、血相をかかえている零。ただごとではないと、はじめは慌てて祖父の部屋に布団を敷く。


零はすぐゆめを布団に前屈みに座らせた。


「たぶん過呼吸だと思う。はじめ、声かけてあげて」


「うっうん……」


零からゆめを託されて、背中をさすりながら声をかける。


「ゆめ、大丈夫だよ」


「うん、ゆっくり息するように……」


零にそう言われ、はじめはうなづいて、ゆめの手をぎゅっと握る。


「ゆめ、ゆっくり息して? 大丈夫だから。もう安心していいよ」


ゆめの荒かった息が少しずつゆっくりになる。顔色も少しずつ戻ってきた。

息が安定するのを待って、そっと布団に寝かせ、布団をかけた。


「たぶんもう大丈夫。はじめ、うまいじゃん」


零にバシッと肩を叩かれた。


「……、零リビングきて」


リビングに入るなり、はじめは零の胸ぐらを掴みかかった。


「なんであんなことになんの!? どういうこと!?」


後ろからついてきていた朔があわてて間に入る。


「はじめ様!! 落ち着いてください! 零様は何もしておりません!! 座ってお話を!!」


すでに出勤してきていた向田もおろおろと狼狽える。

はじめは、肩でしていた息をなんとか押し留めて零の胸ぐらから手を離すと、ドカンとダイニングテーブルにつく。「あっ、あの……お茶入れますね」


向田は慌ててお茶の用意をしようとするが、零が向田に、ゆめに付き添ってもらうよう声をかけて席を外させた。


はじめの向こう側に、朔と零が並んで座る。


「はじめ、結論から言う。ゆめが人だかりの前で姿を消すところを見られた」


零はスマホの画面を見せてきた。SNSに上がっている動画は、警察官に話を聞かれているであろうゆめの姿が急に消え、周囲の人の悲鳴が聞こえたところで終わっていた。


「なに……これ」


警察官を知らなかったゆめが、パニックを起こして力を使ってしまったのだろう。場外市場は人でごった返していて、ゆめの姿を見失ったのが全ての原因だと零は言う。


「……、どうしよう、もう5万も拡散されてる……。これで帰っちゃうの?」


「……まだ大王様から連絡はありません

が、その可能性は否定できません」


「そんな……」


はじめはテーブルに両肘をついて頭を抱えた。


「とりあえず、ゆめちゃんは今日は家にいたほうがいい。月の入りは何時だ?」


そう言われてハッとする。零はなんでゆめが姿を消す能力があること知ってるんだろう。朔とはどこで知り合った? 月の入りを聞いてくるってことは……「零は、知ってるの? ゆめがどこからきたとか、何しにきたとか、なぜ地球に来たのか」


ぐっと零が唾を飲む音がする。


「……朔さん」


零が朔の方を見る。朔も大きく息をつく。


「私からお話しします……。はじめ様、実は姫様の姉、満月様も地球に来たことがあるのです。もう五年ほど前になります。そのときも、こちらのお宅でお世話になりました」


「……えっ……?」


あまりのことに、はじめは動きを止めた。


「帰国してびっくりしたよ。はなに、うり二つの女の子が家にいるんだから。雰囲気もそっくりだったから、たぶんはなの妹かなと思ってさ。大丈夫、はなが大王様から特例もらってくれたから、俺がいろいろ知ってたところで、ゆめちゃんが帰るってことにはならないよ。あ、はなってのは満月の地球での呼び名ね」


情報が多すぎて整理できない。はじめはゆめに姉がいるのも初めて知った。

そこでひとつ疑問が浮かぶ。


「ねぇ、向田さんってこのこと知ってるの?」


「そういえば、はなのときも坂井のお嬢様が来たって、何も疑問に思ってないみたいだったけどな。んん?」


はじめと零は朔の顔をのぞきこむ。


「向田さんは何も知らないはずです。なにか感づいているのかもしれませんが、こちらでは把握できていません。心の中までは覗けないので」


「地球鏡をもってしても、心の中はみれないってことだな」


「そうです」


「じゃあ、もしゆめが月から来たことに気が付いた人がいても、言葉に出さなければ違反にはならないってことだね」


「そうなりますね」「ねえ、朔さん。いったい、ゆめやお姉さんは何のために見学に来たの? 見学以外の目的があるようにしか思えないんだけど」


「……恋をしにきたのですよ」


「はぁ? 恋?」


はじめは驚いて大きな声を出した。零は知っていたのか静かに耳を傾けている。


「満月姫も月夜姫も、地球人に恋をされました。しかしそれは月では重罪です。その恋心を浄化するための地球謹慎処分。それが地球見学の本質です」


はぁ、なんかわかるようなわからないような。説明が足りない。


「かぐや姫もそうなの? 恋をしにきたの?」


はじめは朔にたずねる。


「そうですね、地球人への強い憧れがあったとは聞いています」


「でもかぐや姫はさんざん男を選りすぐったあげく、帝すらフッて帰っていっただろ? 本当に地球人に恋してたのか?」


零が不思議そうに腕を組む。はじめも、かぐや姫が恋をしにきたとは到底思えないので、朔をぐっと見つめる。


「月の人間から見れば、地球人はすごく魅力的に映ります。ですが、かぐや姫さまの場合は、素直な人がいなかったとおっしゃって帰還されたと聞きました」


「素直な人がいなかった? なんだそれ」


「無理難題をつきつけられて、素直にできなかったと言ってくれる人がいなかった、嘘までついて取り繕うので嫌気がしたと、嘆いていたそうです」「なかなかの拗らせ具合だな。無理難題を突きつけられたら、死にもの狂いでやり遂げようとするだろう。好きであれば好きであるほど。それが気に入らないって言われちゃ、もうしょうがねぇよな。その努力を認めて欲しくてやってんのに」


零の冷静な分析に、ふんふんとはじめは首を縦に振る。


「その拗らせ具合が、月では謹慎処分に相当するとされています。あまり心が乱されることのない月では、葛藤は忌み嫌われます」


「はぁ……なんかすげぇな」

「ちょっとね……」


「思いが届かない経験をした分、通じ合う喜びはひとしお。月へ帰還して、幸せなご結婚をされる方がほとんどですね」


月っていうところはいったいどんなところだろう。他にも何人か月からきているのかな? 葛藤もないということは、穏やかで喧嘩もないのだろうか。はじめはなんだか味気ないような気がした。

「じゃあゆめも、恋を浄化? しに来たんだ?」


「……はい、そうなります」


はじめの心がバッと黒くなる。ゆめはいったい誰に恋をして、地球にきたんだろう。やっぱり夏樹? あんなに楽しそうにしゃべってるもんな。自分とだけしゃべって欲しいとか、もっと一緒にいたいとかおこがましいのかも。


そこまで考えて、はたと気づく。かえでにも持たなかった独占欲、支配欲、承認欲。なんだ、これ。


「朔さん、俺の願いは叶ったのかな」


零の声に、弾かれたように顔を上げる。叶ったのかなとはどういうことだろう。


「はなは、幸せ?」


「……はい、満月様は、あのあとしばらくしてご結婚なさいました。いまはおふたりお子様がいらっしゃいます。ご安心くださいませ。朔様のご加護の力が強く効いていると私は思っています」


「ねぇ、零のお願いって……」


「さ、もう帰るね。彼女の家、朝出たっきりだし。疲れたからそっちで昼寝でもするわ」


ガタンと立ち上がり、さっとリビングを零は出て行こうとする。


「えっ、ちょっと零!」


「野暮なこと聞くなよ。お前こそ、願いは何にすんだ? 志望校合格とか抜かしたらぶん殴るからな」


零の鋭い目線が胸を突いた。


「……、最初はそのつもりだった。でもいまはもう少し違うお願いにしようと思う」


「そっか。あ、そうだ。ゆめはしばらく家から出ない方がいいかもな。面白がって誘拐されたらたまったもんじゃねえし。変なこと巻き込まれないように気をつけろよ」


零はスタスタと帰っていった。朔もはじめに一礼すると「大王様から命令があれば、またお伝えにきます」と言って去っていった。

はじめはしばらくぼーっとしていた。


これが恋なのだろうか。まだ出会って数日の月のお姫さまに恋をしてしまった。それを自覚すると頭の先からつま先まで、真っ赤になるような感覚に襲われた。


零と朔と話したことも自分の中で整理する。さっきのことって、ゆめも全部知ってるのかな。あーっもうわからんっ!!


ぐしゃぐしゃと頭をかいていると、スマホが震えた。慌ててポケットから取り出すと、画面には紅葉かえでの文字。


「はじめくん!? ネットみた? 大変なことになってるよ!!」


電話に出た途端そう言われて、ビクッと体が跳ねる。

ちょっとかわれ、と小さい声が電話の向こうで聞こえた。


「はじめ? 俺、夏樹。ゆめの消失動画が拡散してる。塾でも話題になってるぞ。いまどこだ? 家か?」


「うん、家」


「この分だと、家特定されるのも時間の問題だ。たぶんテレビ局はこぞって昼のワイドショーで動画を使うだろう。週刊誌に張り込まれてる可能性もある。外、見れるか? カーテン閉めて、のぞくだけにしろよ」


そう言われて二階の自室に上り、そっとカーテンを閉めて、少しめくって外に目をやる。


人はいないが、怪しげな車やら、バイクが二、三台止まっている。普段ならこんなことないのに。


「怪しげな車やらバイクがある……」


「おい、とにかく今日は塾は休め。カーテン閉めて、外に出るなよ。ゆめもな」


夏樹にそう指示されるだけで、イラッとする。夏樹は心配してくれてるだけなの? それはゆめだから?


「……わかった。ありがとう」


なんとかそう絞り出すのがやっとだった。悪気があって言ってるわけじゃないのはわかる。でもなんか癪だ。


「じゃあ、またな」


夏樹はそれ以上何も訊いてこなかった。それも逆に気になったが、そのまま電話を切った。電話を切ると同時に、零からメッセージが届いた。


“外に不審車両何台か確認。睨んではおいたが、とにかく家から出るなよ!!”


今日は家に軟禁か。やれやれとおもいながら、ゆめの様子を見に祖父の部屋へ行く。


少し開いた襖から、中をのぞく。ゆめが向田の膝に突っ伏してわんわん泣いているのが見えた。


なんで泣いてるんだろう。そう思ったが部屋に入れる雰囲気ではなかったので、

そっとはじめはその場を離れた。


ダイニングテーブルに、二階の自室にいること、今日は念のため外に出ないようメモ書きを置いて、自室で勉強を始めた。


時計を見ればもう10時。やれやれと息をついて参考書を開く。思ったより集中の波は早くやってきて、すぐに飲み込まれた。ハッと気がついて時計を見るともう13時半を回っていた。


あわてて下へ降りていくと、向田とゆめはダイニングテーブルに着いて、おしゃべりをしているようだった。


そっとドアを開けると、元気そうなゆめの姿。


「はじめ! ごめんね心配かけて。もう大丈夫だから」


ニカっと笑うゆめの笑顔にドキッとする。自分の気持ちを認めてしまった以上、胸の高鳴りが抑えられない。


「あぁ、うん。元気になってよかったね」

「ぼっちゃま、お昼ご飯お召し上がりになりますか?」

「はい、ありがとうございます」


三人でテーブルを囲む。向田とゆめはもう食事を終えたのか、当たり障りのない会話を続けた。テレビがついていなかったので、リモコンの電源ボタンを押す。


「あっ……」


ゆめが声を上げたが、はじめがボタンを押すのが先だった。ちょうどワイドショーが今日のバズりトピックを紹介しているところで、ゆめの消失動画がトップにあがっていた。


トリックか、マジックか。超能力か。なんてバカげたテロップが出るのを、はじめは冷ややかに見つめるしかなかった。動画が流れ始めたが、途中でテレビを消し、昼ごはんのそうめんをすする。


「あの……はじめ、ごめんね。こんなことになっちゃって……」


「ゆめが謝ることじゃないよ。僕もついていけばよかったのんだけど、ごめんね」

そう謝ると、ゆめはブンブン首を横に振った。首、取れるよ。そんなに振ると。


「違う違う、はじめは何も悪くない。私がちゃんと零さんや朔についていかなかったから悪いの。力もコントロールできなかったし。ほんと、ごめんね」


そう言って申し訳なさそうな顔をする。こんな顔、させたかったわけじゃないのにな。さっきみたいな笑顔がみたい、それだけだったのに。はじめは胸の奥がギュッと苦しくなった。


「ゆめ、今日はとにかく家にいて。庭にも出ちゃだめだよ」


そう話していると、家の電話が鳴った。防犯上、いつも留守電にしてある。留守電のメッセージに変わると、知らない男の声がした。


「今年さんのお宅でしょうか。◯◯テレビの者です。ぜひお嬢様の取材をお願いしたいと思っています。折り返しお電話お待ちしています──」


「えっ、なにこれ……」


慌てて着信を確認すると、ゆうに20件はかかってきている。ゾクっと背筋が凍った。


「もう、電話線抜こうかしら。あんなインチキ動画を作る輩の気が知れません」


大きく息をついて向田が飲んでいた紅茶のカップに目を落とす。向田は、あれがインチキだと思っているようだった。


「向田さん、きょうは日が落ちる頃に帰った方がいいと思います。5時をすぎれば少しずつ通りに人も増えるので紛れられると思います」


「ぼっちゃま、ありがとうございます。なんか映画みたいでワクワクしてきましたね!!」


なぜか喜ぶ向田。はじめの心配はつきない。ゆめは相変わらず目を伏せて申し訳なさそうにしていた。「ゆめ、ちょっとテレビゲームしない?」


「てれびげーむ? やりたい! いいの?」


「いいよ、息抜き。こっちきて!」


食べ終わった食器をシンクに置くと、向田が片付けてくれると言うので頼むと、リビングのソファーに二人で座った。


「見たことある? テレビゲーム」


「うん、ちょっとだけ」


はじめはゆめにコントローラーの説明や、ゲームの説明を簡単にして始めた。

最初にやったパズルゲームは、上から4色のついた丸がたくさん落ちてきて、色ごとに並べるとどんどんそれが消えていくゲーム。ゆめは気に入ったようで何度も何度も繰り返しやった。


次はカートを運転して、順番を競うゲーム。ゆめはこれの方が好きだったのか、バツグンのゲームセンスを発揮。はじめが負けることもあった。


はじめは、ゆめがゲラゲラ笑って楽しんでいる姿を見ると、少し安心した。


いつも間にかもう15時。今日の月の入りは17時23分だ。


「はじめ、勉強いいの?」


ゆめが心配そうにはじめの顔を覗き込む。


「いいよ、ちょっとくらい」


カートのゲームのステージ選びをしながらはじめは言う。


「ふたりとも、おやついかがですか」


向田がケーキを焼いてくれたようで、ソファーの前のローテーブルに、二人分の紅茶とケーキが並んだ。


「すごーい、これなんて言うの?」


「ショートケーキだよ」


「イチゴがなくて、みかんの缶詰でごめんなさいね」


ゲームを終え、ふたりで一緒にいただきますをして食べはじめる。甘さを控えめにしたクリームが美味しい。


向田が何か知っているのだろうか。はじめは疑問に思ったが、確かめる術ももない。そうこうしているうちに17時になり、向田はストールを真知子巻きとやらにし、どこからか見つけたサングラスをかけて裏口から帰っていった。かえって目立つのでは? はじめはそう思ったが、向田が楽しそうなので、放っておいた。


月の入りまであと少し。自室に戻ろうとするゆめを呼びとめて、廊下で立ったままはじめは話し始めた。


「ゆめ、朔さんに聞いたんだけど……、地球の人に恋をしたから謹慎処分を受けたってのは本当?」


「あぁ……うん。そう」


ゆめは床に目を落として立ち尽くしている。


「何か、協力できることない? ゆめの応援したい。だって、まだどうなるかわかんないんだろ?」


「……そうだね。じゃあ目瞑ってくれる?」


目を瞑る? そう言われてはじめはわけもわからず目を瞑った。


ふわっといい香りがしたと思うと、唇に柔らかいものがかすった。


──え?


パッと目を開けても誰もいない。ゆめはどこ? そう思うと、足音だけが廊下をかけていき、離れへ続くドアが誰もいないのに勢いよくバタンと閉まった。

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