第4話大学生青年と吸血鬼少女の強奪Ⅲ
流石に朝起きたままの格好で、みなとみらいのオシャレなパンケーキ屋に行くわけにはいかないということになったので、各々一度家に戻り、シャワーを浴びて、再び大学から一番近い駅に集合することになった。
しかしまぁ、急転直下とは、まさしく今日のような日を言うのだろう。
朝目覚めたら、入った覚えのない大学の教室で、見知らぬ少女とおっさんが居て、そして人間であるはずの僕は、異人とかいう化け物になっていて......
まったく、一夜にして色々なことが起き過ぎている。
女子とパンケーキ屋に行くという、今までにないことを経験できると考えれば、この状況も案外そこまで悪くないのかもしれないけれど、それでも流石に、『もう君は人間ではない』と、そんな風に言われるこの状況は、明らかに異常な筈である。
そう、異常なのだ。
それなのに......
「どうして僕は、こんなにも落ち着いているのだろう......」
ポツリと、シャワーを浴び終えた僕は問い掛ける。
しかしそれに応える声は、なにもない。
当たり前だ。
だって完全に、それは僕が一人だけの空間で言い放ったモノなのだから。
いわゆる自問自答。
端的に言えば『独り言』
身支度をしながら、僕は考える。
昨日の状況を聞いてみても、僕に落ち度があるようには思えなかった。
強いて言うなら、夜中に大学の敷地内に入ったくらいで、それ以外は何もない。
何もないのに、殺された。
要はそういうことだ。
今の僕はココに居るけれど、人間としての僕は、あまりにも理不尽な形でこの世を去ったらしい。
それなのに......
それなのにどうして僕は、それをなんとなく、納得してしまっているのだろうか......
納得して、受け入れて、理解しようとしているのだろうか......
わからない。
どんなに考えてみても、それに的確な答えを出すことは出来なかった。
っというよりも、最初から出せるわけがなかった。
だって今の僕は、自分が殺されたことも、自分が一度死んだことも、自分が人間ではなくなったことも、自分が異人という化け物になったことさえも、それら何一つに、実感が持てないでいるのだから。
そんな状態で、答えなんて出せるわけがないだろう。
「考えるだけ、時間の無駄だな......」
そんな風に、身支度を一通り終えた僕は、また独り言を呟いて外に出る。
そして外に出て、待ち合わせの駅に向かって歩くとき、不意に快晴である青空を見上げて、何故だか僕はこう思った。
なんだか、気持ち悪い天気だな......
待ち合わせ場所に着いたとき、既に彼女はそこに居た。
しかしその時の彼女の姿は、出会ったときのような寒々しい薄着の格好でもなければ、一緒にコンビニに行った時のようなラフな格好でもない。
彼女の華奢な細身のスタイルが、それでいて、たぶん女の子の中ではそれなりに高いのであろう彼女の身長が、春を少しばかり通り過ぎた今の季節に着るような、いわば普通に可愛く、普通に美人な、女子大生の春ファッションを着こなしていたのだ。
しかしそれを、彼女が着こなせば。
人間ではない彼女が着れば、その洋服もまた、人間味を無くしてしまう。
人間味を無くして、通常性を無くして、異常なまでの綺麗さを、異常なまでの美しさを、その洋服に与えてしまう。
そう思えるほどに、駅前で佇む彼女の姿は、目立っていたのだ。
「ごめん、待たせた」
声に気付いた彼女は、携帯電話から視線を僕に移して、一言
「おそい」
ごめんって......
電車で数駅ほど乗って、みなとみらい駅に到着する。
異常なまでの近い距離に、こんな観光地があることに、変な気分になってしまう。
実家のある九州は、都会の人から見ればそれなりの観光地なんだろうけれど、それが常に近い所にある感覚はなかった。
むしろそういうモノは、物理的な距離は近くても、精神的な距離は遠かったのだ。
だからかもしれない。
僕は少しだけ、ワクワクしていた。
「それで琴音さん、そのお店の場所って一体......?」
少しだけ気を引きながら名前を呼んで、ついでに店の場所も聞く。
しかしそれらは、案外雑に返された。
「いや、私も昼間にここに来るのは初めてで......あっ、ちょっとまってね......」
そう言いながら彼女は、再び携帯電話を取り出して、地図アプリで場所を検索する。
なんだろう、普通こういうことは、男である僕がやるべきなのだろうか......
しかし馴染みのない場所で慣れていない事をすれば、琴音さんに迷惑を掛けてしまうかもしれない、けれど普通に考えて、全て彼女に任せっきりなのもどうなのだろう......
んー......わからん......
「あーここら辺か、よしわかった」
そんなことを僕が考えている間に、どうやら琴音さんの方は道が分かったようだ。
「おーい誠、道わかったから行くよ~」
「えっ......あ、うん......」
戸惑いながら、考えをまとめられないでいる僕は、彼女の後ろを付いていく。
それがどれだけ異常なことなのかを、知る由もない状態で......
その話は唐突だった。
みなとみらいの海沿いを歩きながら、唐突にそういう話になった。
もし周りの人が聞いていたら、きっと変に思うだろうに、彼女はそういうことを一切考えず、一切考慮せず、ついでに言えば、その話題になる前に、何かしらの前置きだとか予兆があったわけでも決してなく、彼女は唐突に言い出したのだ。
「誠はさ、やっぱり人間に戻りたい?」
前を歩いていた彼女は、こちらを少しだけ振り向いて、僕にそう尋ねた。
「えっ......」
それに対して僕は、どう言葉を返せば良いのか、わからなかった。
でもその時の彼女に、テキトウな言葉を返してはいけないと、それだけはなんとなく、わかった気がした。
だから僕は、自分の今の心境を、そのまま彼女に伝えた。
「......正直、わからない......」
その僕の視線を逸らした解答に対して、琴音さんは少し笑って言い返す。
「わからないってなんだよ。自分のことだろ?」
「......いや、そうなんだけど、なんか......」
「ん?」
「今だに実感が持てないんだ。自分がその『人間じゃなくなった』っていう......だから......」
言葉を迷いながら話している僕に、彼女は平然とした様子で言葉を返す。
「誠の場合は『異人』になったっていうよりも、半分だけが異人って感じだから、完全にこっち側ってわけじゃないし......それだからあまり、実感が持てないんだろうね......」
そう言いながら、潮風に髪をなびかせて、彼女は僕を見ていた。
そしてそんな彼女に対して、僕は訊いてしまう。
「こっち側って......?」
そして訊かれた彼女は、まるでそれが当たり前のことの様に、平然と言い切る。
「決まっているでじょ、異人っていう化け物、私達のことだよ」
「......」
自分のことをそういう風に自覚しているからなのか、それともそれが当たり前だからなのか、もしくはその両方か......
とにかく彼女は、このとき悲観的な表情でもなければ、化け物じみた表情でもなくて、ただの、本当にただの女子大生だったのだ。
もしかしたら『異端の存在』というのは、案外こんな感じなのだろう......
このときの彼女を見て、僕はそう思った。
そして少し間を置いて、彼女はまた言葉を続ける。
「まぁでも、誠は人間に戻れるから、大丈夫だよ」
「えっ、そうなの?」
そう尋ねた僕の表情は一体どのようなモノだったのだろうか、安堵していたのだろうか、それとも残念そうにしていたのだろか......
自分ではどうしても、わからないモノである。
けれど尋ねた僕の言葉に対して、彼女は少し笑ってこう言った。
「あぁ、保障するよ」
そしてその言葉を最後に、彼女はまた振り返って、目的地であるパンケーキ屋を目指して再び、歩き始めたのだ。
目的地到着
生クリームがこれでもかという程に盛られたパンケーキを見て、目の前に座る吸血鬼は瞳を輝かせて、それの写真を何枚か撮った後に、満足そうな表情で食べていた。
なんだかこうしていると、本当に何度も思うのだけれど......
本当に何度もそう見えてしまうのだけれど......
やはり普通の女の子に、見えてしまうのだ。
それこそ、彼女が吸血鬼だということも、彼女が好んで飲む筈の人間の血のような......
それら自体が真っ赤な嘘だと思えてしまう。
そう思えるほどに、今すごい勢いでパンケーキを食べている彼女は、どこにでもいるような女子大生、そのものなのだ。
しかし、そんな彼女とは裏腹に、僕はというと......
「なぁ、誠は本当に食べなくて良かったの?」
ほんとうに、どうしたものだろうか......
「あぁ、今はそんなにお腹は空いていないんだ......」
そう言いながら、僕は自分が頼んだコーヒーを口に含む。
なんだろう......
今僕が空腹ではないということは、たしかに紛れもない事実なんだけれど、しかしそれ以上に、どうしても嫌悪してしまう。
別に甘いモノが嫌いなわけでも、特別に生クリームがダメなわけでもない筈なのに......
それなのになぜか、このお店に入った途端に、パンケーキを食べること自体が嫌になってしまったのだ。
これでは少し、お店に申し訳ない気がしてしまう。
しかしそんな僕を気にもせず、目の前の彼女はそれを、とても美味しそうに食べて、幸せそうな顔をしている。
そんな彼女の表情が、あまりにも絵に描いた様なそれだったのだで、僕はつい一言、彼女に言った。
「ほんとうに好きなんだな......」
「いいや、そうでもないよ」
「えっ......」
思っていた言葉とは違う言葉が返ってきたので、僕は少し困惑してしまう。
しかし彼女は、そのまま話を続ける。
「いつもよりは美味しそうに見えるだけで、味は凄く美味しいって程、感じられない」
「感じられないって......どういうこと?」
「んーなんて言えばいいのかな.....」
少し考える彼女は、パンケーキを切る手を止めて、僕の方をしっかり見据えて、説明する。
「私は今、誠に異人性を半分渡して、逆に誠から半分、人間性を吸い取っている状態で......だから私と誠は、今は半分人間で、半分は異人の、不安定な状態で生きている」
「あぁ、それはさっき、あの相模さんっていう専門家が言ってたよね......」
その名前を出すと、彼女は少しだけ嫌そうな表情をする。
どんだけ嫌いなんだよ......
「うん、だからさ......」
その後に続いた彼女の言葉で、僕は少しだけ怖くなった。
しかし怖くなったのは、吸血鬼としての彼女に対してでもなければ、専門家である相模さんに対してでもでない。
「普段の、完全な吸血鬼の異人の私だったら、きっとこんなモノは、見るのも嫌になってしまうんだよ......」
確実に半分だけ、異人に成り代わっている、僕自身に対してだ。
琴音さんから話されたことをまとめると、こういうことだ。
普段の完全な、吸血鬼の異人である琴音さんは、そもそも人間が食べるような食事ができない。
人間が甘いと感じるモノや苦いと感じるモノ、もっと簡単に言ってしまえば、美味しいと感じられるモノや不味いと感じられるモノ。
それら全てが、普段の吸血鬼の異人である彼女にとっては、味や匂い以前に、食べ物としての認識が出来ないということなのだ。
たとえるなら、人間は肉を食べるけれど、それは豚や鶏や牛が殆どで、それ以外のモノを、たとえ同じような肉だとしても、食べようとはしない。
まぁ、人間の場合は生まれ育った環境に影響されるところもあるけれど、それでも、たとえばペットとして飼っている犬や猫、さらには同じ人間を、肉ではあるのかもしれないけれど、食べようとは思わない。
それが彼女にとっての、『パンケーキ』なのだ。
食後の紅茶を飲みながら、彼女は少しだけ、ため息交じりに口を開く。
「人間が食べているから、それが食べ物であることは理解できる。知識としても、小麦粉から作った生地や、果物から作ったソース、牛乳を原料としている生クリームやバター。それらが人の手によって、美味しいケーキになることも、理解はできる。でも......」
そう言って、一拍置いて、彼女は僕を見据えて言う。
「でもそれを、普段の私はどうしても、食べ物としては認識できないんだよ......」
けれど今の彼女は、僕の人間性を半分吸い取って生きている。
そしてそれが、普段よりも半分ほど、彼女のことを人間らしくしているということで、だから今の彼女は、普段の彼女よりも、パンケーキを食べ物として認識して、食べることが出来るのだ。
それを話した直後の、僕を見据えていた彼女の視線は、人間離れしたモノになっていて、そしてそれを感じたから、僕は彼女に訊いてしまった。
「......じゃあ」
「ん?」
「じゃあ普段の、吸血鬼の異人である琴音さんは、一体何を食べ物だと認識しているの?」
そう尋ねた僕の言葉は、あまりにも稚拙だった。
っというよりも、『なんでこんな当たり前のことを訊いてしまったのだろう』と、そう後悔するべきことである。
だって返答は、言わずもがな、あまりにも当然な回答だったからだ。
「そんなの決まっているだろ?」
そう言いながら、彼女の口元には、到底人間のモノとは思えない鋭い牙が、存在していた。
初めて正面で彼女のことを見据えたから、それは僕の視界に入ったのだろう。
けれど彼女は、そんなことは一切気にせずに、そのまま続きを僕に話す。
「人間の血だよ」
そしてそれはあまりにも、当然な回答だったのだ。
「けれどそれは逆に、誠にも当てはまることなんだよ?」
そう言いながら、彼女は口元を少しだけ緩ませる。
その彼女の表情は、僕があまりにも見事に、その事実に気付いていないから、それを嘲笑していたのだ。
そして本当に気付いていない僕は、間抜けにもその彼女に尋ねてしまう。
「......それは、どういう意味......?」
「言ったでしょ?今の私は半分ほど、誠から吸い取った人間性を持っている。でもそれは、逆に言えば今の誠は、半分ほど人間性を失って、その代わりにその半分を、私から流し込んだ異人性で、補って生きているんだよ。だからきっと、いつもよりも、普段食べている人間の食事に、食欲を刺激されなかったんじゃないの?」
そう言われて、今までのことに少しだけ、納得した。
あぁ、そうか......
だからだったんだ......
だから僕は、朝食に買ったサンドイッチも、彼女が食べていたパンケーキも、そこまで食べたいと思えなかったんだ。
たしかにそれなら、納得できる。
しかしそれだと、今度は別のことが気になるのだ。
いや、問題定義の括りとしては、もしかしたら一緒なのかもしれないけれど、それでもまだ、感覚的には人間側であるはずの僕は、やはりそれを別問題として捉えるべきである。
だから僕は、それを少しだけ、今までよりも丁寧な声色で質問した。
「じゃあ、もしかしたら今の僕は、人間の血を吸いたいと、そんな風に思ってしまうのか......?」
その僕の言葉は、もしかしたらそれを当たり前として生きてきた、彼女の生き方そのものを侮辱してしまう様な、そんな風な声に聞こえたかもしれない。
それを怖がって訊いてしまっている時点で、彼女にそう受け取られていても仕方ない。
しかしきっと、僕がそれに予め気付いていたとしても、僕は彼女に、こんな風に尋ねたのだろう。
けれど尋ねられた彼女は、そんな僕とは対照的に、あっけらかんとした声で言う。
「安心してよ、そんなわけないから」
「......ほんとうに?」
「ほんとうだよ。そもそも私も、普段から人間の生き血を吸って生きているわけじゃない。あの顔面詐欺の専門家に頼んで、専用の血液パックを送って貰って、それで補給してるの」
専用の血液パックって......
「えっ、そんなのがあるの?」
「そうだよ。それで補給して、吸血衝動を緩和する。そうしないと、私みたいな吸血鬼の異人なんて、こんな普通に暮らせないでしょ?」
そう言って、彼女はもう一度紅茶を口にする。
そしてその時の彼女の口元には、あの人間離れした吸血鬼の牙は、見事に姿を隠していて、まるでそうすることに、彼女自身が慣れている様な、そんな風に、僕には見えたのだ。
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