輪廻する剣士と半月の王子

埴輪庭(はにわば)

第1話

 ◆


「シド、君も知っての通りこの国は腐っている。しかし、君だけはまるで北の空に輝く一等星の様に輝いているんだ。どうかこの先も僕を支えて欲しい。僕だってこの国の生まれだ、良くしたいとは思っている。だが一人では難しいんだ。君が居ないとこの国は勿論、僕も駄目になってしまうだろう」


 一切の汚れのない純白の絹を束ねた様な白首を傾げつつ、セイル王国の若き王、オリヴィエ・マルティエラ・フォン・セイルは、眼前に控えるシドに言う。

 艶やかな笑顔はまるで女性と見紛う程の色付き様であった。


「はい、陛下」


 シドは短く応えを返す。

 シドはこの国に特に思う所はない。

 政治は腐敗しているかもしれないが、シドからすればだからどうした、という話である。


 "今生"でセイル王国の上級貴族の嫡男として生まれたからには可能な限りその義務を果たすだけであり、それ以上の感情は持ち合わせていなかった。


 シドの心は烈日の下の荒野に生える変色した枯草より更に乾いている。


 唯一その枯れた大地に潤いを齎すモノはただ1つの感情で、シドは輪廻する度にその感情を齎してくれる者を探している。


 そして現在のシドは、今生の快楽の泉を既にみつけている。

 ゆえにシドはセイル王国の貴族の悉くが敵に回ったとしてもオリヴィエを裏切らず、見捨てないのだ。


 勿論そんなドロドロとした腐臭漂う感情は外には一切おくびにも出さない。

 傍目から見たシドは無口で無感情で、職務に忠実な国王の唯一の手駒…そう思われている。


 そんなシドをもどかしい思いで見つめるのはオリヴィエだ。


 シドは確かにオリヴィエを見捨てたり裏切ったりはしないものの、その心の奥底では一体何を考えているのだろうか?

 オリヴィエはそれが気になって仕方が無い。


 かつてシドに命を救われているという出来事を差し引いても、オリヴィエにとってこの国で唯一信を置ける相手はシドただ1人であり、そして特別な感情を向けるただ1人の相手でもあった。


 だからこそオリヴィエはシドからもっと関心を向けて貰いたかった。


 自身が女性として十全であるのなら、あるいは男性として十全であるのなら、愛か、もしくは尊敬を勝ち得たのであろうか?


 シドが卓越した感覚を持っていることはこれまでの経験上オリヴィエには分かりすぎる程に分かっていた。


 その鋭敏な感覚でもって、男にも女にもなり切れない中途半端な者を内心軽蔑しているのだろうか?


 オリヴィエの思考が負に偏っていく。


 そう、セイル国王オリヴィエは半陰陽、つまり男性でもあり女性でもあるのだ。


 表向きには男性として王位についてはいるが、これは王家の秘事である。


 この時、シドとオリヴィエは共に18歳になったばかりであった。


 ◆


 人と魔が骨肉相食む第三次人魔大戦が勃発する30年と少し前の話だ。

 イム大陸の西域、そのほぼ西端にあるセイルという小国にシドは生まれた。


 こう言っては何だが、セイル王国は一言で言えば汚職と腐敗に塗れた国だ。

 これは国全体が一種の無力感に覆われて居た為であり、死臭の如くこびりついた無力感は国への忠を失わせる。


 ではその無力感はどこからきているのか、と言えばこれはセイル王国が事実上の属国であるという点が大きいだろう。


 西域最大版図を誇るレグナム西域帝国はかつて急進的な領土拡張主義を採っていた。

 周辺諸国はこのレグナム西域帝国に大いに切り取られ、セイル王国もまた例外ではなかった。

 だが帝国はセイル王国に特別の自治を許した。


 セイル王国周辺に地脈が集中し、なおかつ幾つもの鉱山が地脈に重なる形で存在していた為だ。

 地脈とは魔力が流れる…いわば血管である。


 この世界では生きとし生けるものはその多寡にこそ差はあれど、皆魔力を宿す。

 魔力とは地域によっては気だとか法力だとか、様々な呼ばれ方があるが分かりやすく言えば不思議な力、と言うしかあるまい。


 そして先程"生きとし生けるものは"と言ったが、星もまた生きているのだ。


 それがなぜセイル王国に自治が許される理由となるかと言えば、地脈上の鉱山で採掘される鉱石、宝石の原石の類の質が魔術の触媒として非常に優れている為である。


 ただ、石が魔力を宿すわけではない。

 人間は生物だが爪をきり、その爪が生物と言えるだろうか?

 同じ理屈だ。

 星は生物だが、その星から切り離された鉱石は生物とはいえない。


 採掘される石はあくまでも魔術起動の触媒であり、地脈上の鉱山から取れた触媒は魔術起動に際する魔力の伝導率が常よりも高いという事である。


 レグナム西域帝国はこの採掘をセイル王国にやらせ、成果物を搾取するという形で王国の存続を許した。


 帝国の国力ならば採掘などは物の数ではないが、それでもセイル王国を接収してしまえば当然ながらセイルもまた帝国の一部という事になり、つまりは帝国の国力を一部であろうとも割くことになる。


 であるならばセイル王国を飼い殺しにして、採掘という過酷な作業は任せてしまえばよい…そういう事だ。


 こういう状況に置いてはセイル王国の国民に所謂愛国心が芽生えるはずはなく、だからといって帝国の強大さを知る故に反抗もできない。


 かつて一度、帝国の搾取に対してセイル王国は反抗を試みた事がある。

 貢物を納める事を拒否したのだ。

 帝国は直ちに懲罰軍を編成し、セイル王国へ向かわせた。

 結果から言えば夥しい"民衆の血"が流れる事となった。

 勿論、セイル王国民の血だ。

 それでセイル王国は心が折れて、いまや負け犬の如く帝国の靴の裏を舐めて生きている。


 こんな現状では汚職や腐敗がはびこるのも当然の帰結と言えた。


 ◆


 話を戻そう。


 そのセイル王国の貴族であるサーキュラ公爵家の嫡男のシドは、10歳という若輩でありながら国王の御傍付きとして抜擢された。


 この抜擢の理由は概ね2つあげられる。


 1つ、当時10歳であった王太子オリヴィエは聡明ではあったが周囲の者を信用せず、陰に籠っていた。大人を信用しようとしないオリヴィエの心の扉を開くため、同じく10歳であり、更に上級貴族家の嫡男という立場であるシドは都合が良かったという理由。


 この理由にはサーキュラ公爵家が王家への影響力を大とするためという理由が裏に隠れている。

 もっともサーキュラ公爵はその意図を隠そうともしなかったが。


 2つ、シド少年の才が比類ないものであったという点。

 凡そ剣を振らせても棒を突かせても、シド少年は大人達の誰よりも達者であった。

 しかも単に武に優れているだけに留まらず、その学識もまた大人顔負けという天才振りだ。


 まぁ、2番目の理由には種があるのだが。


 ともあれ10歳のシド少年は、同じく10歳のオリヴィエ王太子の傍付きとなり、その身辺を護るだけではなく、オリヴィエの心の無聊を慰める役を任せられたのである。


 ◆


「貴様がシドか。ふん、連中め、年が近ければ懐柔されるとでも思ったか!下がれ!余に傍付きなど必要ない!権力に集る蛆虫の如き者共の子息ならばその性根もまた親譲りであろうよ!」


 当初、オリヴィエはシドを激しく拒絶した。

 なぜならシドはオリヴィエの嫌う貴族達の子息であるからだ。

 オリヴィエは聡明で、だからこそ国の腐敗に周囲の貴族が大きくかかわっている事を理解していた。


「また来たのか、懲りない奴!下がれ!…なに?そこまで親からの言いつけが大事か!王太子である余よりも!」


 オリヴィエは暫くの間シドを寄せ付けなかった。

 だがシドはどれ程罵倒されてもオリヴィエの元へと通い続けた。

 それが仕事だからである。

 それ以上の感情はなかった。


「ええい!しつこい!どうしても傍付きの任を果たしたくば、扉の外に1日中立っておれ虚け者!」


 オリヴィエが命じてくる事が理不尽なものであっても、シドは従った。

 そもそも子供が命じてくる事などたかが知れていたからだ。

 シドはその気になれば一ヶ月だってずっと立ち続けて居られる。


「なに!?貴様、まさか一晩中立っていたというのか?阿呆め…それにしてもそこまでしなければならないほど親が恐ろしいのか?…はあ?余と親しくなるにはどうすればいいか、だと?それを余に聞くのか…だがそこまでするほど余と親しくなりたいという事だな?…え?それが仕事…?……下がれ戯けが!二度と余に顔を見せるなァ!」


 仕事とはいえシドはオリヴィエに媚びたりはしなかった。

 シドは誰にも媚びない。

 その必要がないからである。


「な、なんだ貴様!勝手に部屋へ入ってくるなど不敬であるぞ!」


 ある日、シドはオリヴィエの命令に初めて反抗し、無理やりに部屋へ押し入った。

 そうするだけの理由があったからだ。


 ◆


「殿下、すぐ終わりますので。…そこの侍女。そう、貴女だ。今淹れたお茶、飲んでみてください。…いや、面倒くさいな…毒でしょうそれは。どちらの手の者です?」


 侍女に茶を淹れさせていたオリヴィエは、突如乱入してきたシドに面喰らって叱責しようとした。

 しかしその日のシドは常の様子になく、まだ幼いオリヴィエはまるで冷水を頭から被ったかのような悪寒に襲われ声を発する事ができない。

 これはシドが殺気を以てオリヴィエを縛り付けた為だ。


 シドの視線は侍女の手元にある。

 当の侍女と言えば端正な顔立ちを歪め、忌々しそうにシドを睨みつけていた。

 もう一歩で王太子を弑逆できたものを、と侍女…ではない、暗殺者は歯噛みをする。


(でも所詮は餓鬼ね、武器も持たずに私から王太子を護れるとおもっているのかしら)


 暗殺者はまずはシド、そして王太子と殺害対象を変えた。


 侍女はゆっくりと懐に手を入れ、身を低くして素早く駆けだす。

 いつのまにか手には短刀が握られていた。

 あ、とオリヴィエの声が漏れ、短刀がシドに狙いを定め突き出され…る事はなかった。


 ぱしん、と乾いた音が響く。

 シドが眼前に広がる宙空を裏拳で叩いたのだ。


 ――ど、どこを狙っているッ


 徒手で身を護るにせよ、せめて相手に当てなければ意味はないではないかとオリヴィエは表情を歪める。

 しかしそれは無用な心配だった。


 ばくん、と暗殺者の顔面が跳ね上がったからだ。

 まるで何かに打たれたかのように。

 暗殺者は膝を突き、顔を抑えながら呻いている。

 シドはすたすたと近寄り、小さい手で暗殺者の肩を掴むと、力任せに握り砕いた。


 悲鳴、絶叫、苦悶


 苦しむ暗殺者を見下ろしながら、シドはあくまでも淡々としていた。


「先程のアレは神術です。…ああ、この時代では法術と言うのでしたか?宙を叩く、これは古のまつろわぬ武神への祈りを示します。いまでこそ法神が幅を利かせていますが、かつてこの大陸には多くの神が存在したんです」


 本当にシドは10歳なのだろうか?

 オリヴィエはそんな思いを抱かざるを得なかった。


 超然としたシドの態度に、オリヴィエは自身がシド少年に強烈に惹かれるのを自覚した。

 目の前で躊躇なく行われた暴力。

 普通なら怖気を感じて当然だが、なぜだかオリヴィエはシドの暴力に汚いものを感じなかった。

 むしろ美しさすら感じてしまっていた。


 当然ではある。

 シドは暗殺者を痛めつける事に一切の感情をまじえていない。

 余計な抵抗をさせないために肩を砕いたが、オリヴィエがシドに感じたものはおそらくは機能美の類のようなものだったのだろう。


 だが、オリヴィエにとってこの一連の出来事は、皮肉にもシドの仕事…そう、オリヴィエの心の扉を開くに等しい出来事であった。


 海に何故波が起こるのか。

 月が出ている夜の波はなぜああも激しく騒めくのか。

 それは波が月を恋しく思っているから。

 波は月に恋をし、しかし決して届かぬ彼我の距離を悲しみ嘆いているからだ…と詠った詩人がいる。


 オリヴィエは齢10にして、波の気持ちを知った思いをがした。


 ◆


 結局、だれが暗殺者を放ったのかは分からなかった。


 尋問が上手くいかなかったのか、暗殺者が口を割らなかったのか。


 その両方が当てはまった。


 暗殺者の女は口内に仕込んだ毒袋噛み自殺したのだ。


 その日以来、オリヴィエはシドを決して身辺より離さなかった。

 シドもまた文句を言わずにそれに従った。


 シドは王太子に褒美を与えると言われたが、それを受取ろうとはしなかった。

 周囲の者達はそれを忠節ゆえだと捉えたが、実の所は違う。


 率直に言ってどうでもよかったのだ。


 シドが求めるのは己の心を震わせる、潤わせる哀切の慟哭のみ。


 成人してすらいない肉体でそういったモノを求めるのはやや厳しいとシドは理解していた。


 だから成人するまでの人生の歩みとは、シドにとってはどこまでも無価値なものでしかない。


 シドのそうした無関心さはオリヴィエにも伝わっており、オリヴィエはあの手この手でシドの関心をかおうとするが、しかしシドはオリヴィエという存在に一切の価値を見出していないような態度でありつづけ、それでいながらオリヴィエを利用しようともせずにただ傍に在り続けたのである。


 ◆


 それから8年が経つ。


 オリヴィエとシドは共に18歳となり、現王の病死によりオリヴィエは王太子から王へ、そしてシドは傍付きから近衛騎士団長となっていた。


 余談だがオリヴィエの母はどうなったのか?

 彼女は忌まわしき者を産んだと気に病み、オリヴィエが赤ん坊の頃に自殺している。

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