朝比奈 萌絵の場合
この仕事とも今日でおさらば。
退勤まで、あと3時間だよ。
がんばれ萌絵!
朝比奈萌絵(20歳)は職場の倉庫で、重いダンボールを持ち上げながら自分を励ましていた。
萌絵は貧乏だった。
給料日まであと10日以上もあるのに財布の中には数千円。
銀行口座の残高はゼロに等しい。
だがそれは、会社のロッカーに入れた「20万円のヘソクリ」を除けば、という金額だった。
この20万円のヘソクリだけは絶対に家族に見つかるわけにはいかなかった。
数年前、父親の事業が失敗。
しかも借金が発覚した。
大学進学を希望していた萌絵の人生は転落した。
高校をなんとか卒業し、地元の物流倉庫に就職。
仕事は、広い倉庫の中を駆けずり回り、指定された荷物をピッキングするというものだった。
足の裏に激痛が走り、まだ20歳なのに腰に痛みを覚えることもあった。
萌絵の父親には娘に我慢をさせている自覚が全く無かった。
「今月、車検なんだよなぁ~萌絵、10万円都合してくれよ~?」
「えっ?3日前に生活費として渡した12万円は?」
驚いて萌絵が聞き返すと、
「あれは、生活費だろう?もう無いよ」
ケロッとした顔で、父親が言う。
こんなことは日常茶飯事だった。
ことあるごとに、娘から金をせびる。
父親は、事業に失敗して以来無職で、昼間はパチンコ店に入り浸りだった。
絵に描いたような毒親である。
萌絵の母親も、やはり働いていない。
働きに出ても、仕事が長続きしない。
少しでも怒られたり、落ち込むようなことがあると、すぐに辞めてしまうのだ。
要するに根性なしだった。
だから、一家の大黒柱は萌絵だった。
しばらく前から萌絵は決意していた。
(このままだと、あたしの人生終わりだ。この家から出ないと)
萌絵にだって幸せになる権利はあるはずだ。
自分の親を捨てるのか?
そうだ!捨てる!
だって、ロクでもない親なのだから。
半年の間、爪に火をともすようにしてヘソクリを貯めた。
スキマ時間や休みの日にチラシ配りのアルバイトをした。
靴底は薄くなり穴が空き、髪の毛はセルフカット。
洋服なんて最後に買ったのはいつなのか思い出せない。
そうして貯めた、親に内緒の20万円が、会社のロッカーに入っていた。
東京から、そして親からなるべく離れたい。
ネットで見ていて、決めたのは福岡県だった。
東京から十分に離れているし、適度に都会で暮らしやすそうだった。
今日、会社の帰りに20万円を持って、そのまま福岡へ行く。
会社には翌朝電話で、「退職」の意思を示すつもりだった。
迷惑をかけるが非常事態なので仕方がない。
家から逃亡するのだ。
親には絶対に行き先がバレないように。
引越し先を教えれば、父親はそこまで金をせびりに来るだろう。
だから、家を出たらこれっきり。
親とは縁を切るつもりでいた。
福岡についたら安ホテルに泊まって、仕事に就く。
アパートもそれから探すつもりだった。
まるで冒険だ。
たった20万円を握りしめて。
無謀かもしれない。
でも萌絵は20歳で、まだまだ怖いもの知らずだった。
輝かしい未来にワクワクした気持ち。
ひさびさに、萌絵は明るい気持ちで過ごしていた。
それなのに。
倉庫での仕事の最中。
「ここに朝比奈萌絵さんが働いていますよね?」
政府の連中がきたのだった。
「朝比奈になにか用事ですか?」
ユニットのマネージャーの話し声が聞こえる。
嫌な予感がして、萌絵は、とっさに倉庫のダンボールの影に隠れた。
「朝比奈萌絵さんが、このたび救世主に選ばれまして」
(そんなバカな!)
萌絵は凍りついた。
あたしが救世主に選ばれた!?
そんな不運があってたまるか。
「朝比奈さんが救世主に!?」
マネージャーが声を上げる。
「おーい、朝比奈さんを大至急、探してくれ!」
萌絵は、自分のロッカーに走った。
20万円を取りに来たのだ。
急いで20万円を作業着のポケットにねじ込む。
そのまま、裏口から逃げ出した。
救世主は東京から出ると死ぬことになる。
ほんとうにそうだろうか?
私は絶対に福岡へ行くんだから!
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