ねえ、殿下。婚約破棄は一向に構わないのですけれど…そんなことより、どうして私の大切な人形を壊したんですか?
柚木崎 史乃
第1話
侯爵令嬢イヴィ・カーソンには、幼い頃から大切にしている
少年を模した美しいその人形は、イヴィの数少ない友人だ。イヴィは、彼にノアという名前をつけた。
イヴィは、どういうわけか昔から『人形の声』を聞くことができる特殊能力を持っている。
カーソン家は、貴族でありながら代々有名な人形師を何人も輩出している家系でもあった。
先代当主──つまり、イヴィの祖父の代までは人形師としても活動していたらしい。
だが、イヴィの父は不器用なこともあって一度も人形を作ったことがない。
技術もないため、当然ながら自分の子供にも人形の作り方を教えたことがなかった。
人形が大好きなイヴィは、それが不満だった。
だから、自分でも人形が作ってみたくて、祖父に弟子入りをしようと考えていたのだ。
けれど、その矢先。彼は病床に伏せ、そのまま亡くなってしまった。その祖父の遺作が、ノアなのである。
イヴィの祖父曰く、カーソン家にはごく稀に人形の声が聞こえる子供が生まれるらしい。
祖父自身は一度も声が聞こえたことがなかったそうだが、彼の父は「聞こえる人」だったそうだ。
一般的に、人形には魂が宿ると言われている。
だから、魂が宿った人形の声が聞こえたとしても何ら不思議ではないのだと──そんな話を、生前の祖父はイヴィによくしていた。
「ねえ、ノア。明日は学園の卒業パーティーがあるの。どんなドレスを着ていけばいいと思う?」
その日の授業を終えて帰宅するなり、イヴィは寝室にこもってノアとのお喋りを楽しんでいた。
ノアにその日あったことを報告するのは、イヴィにとって欠かせない日課なのだ。
『そうだなぁ……君は何を着ても似合うけど、白いドレスなんかどうだろう? 君の婚約者は、確か白が好きだったろ?』
鏡台の上に置かれた、金髪碧眼の美しい人形がイヴィにそう返す。
ノアはイヴィの良き理解者だ。イヴィが悩んでいる時、いつだって的確な助言をくれる。
イヴィはこの国の王太子──リチャード王子の婚約者だ。
リチャードとは七歳の頃には既に婚約していたから、それなりに付き合いが長い。
とはいえ、リチャードは昔からイヴィのことをあまりよく思っていないようだった。
理由は何となくわかっている。恐らく、彼は人形の声が聞こえると言っているイヴィのことを気持ち悪いと思っているのだろう。
いや……そもそも、リチャードはその能力のことを信じてすらいないのだが。
きっと、いつも空想上の友達と会話をしていると思っていたに違いない。
同級生達だって同じだ。彼らは皆、人形と会話をするイヴィのことを好奇の目で見ている。
そのせいか、イヴィは学園で友人が出来なかった。
今も友人と呼べるのは、ノアと従弟であるコナーくらいしかいない。
「そういえば、リチャード様は白が好きだったわね」
とびきり素敵なドレスを着ていけば、リチャードが喜んでくれるかもしれない。可愛いと思ってもらえるかもしれない。
一縷の望みをかけて、イヴィはノアのアドバイス通り白いドレスを着ていくことに決めた。
『きっと、似合うと思うよ。だって、イヴィは世界一可愛い女の子だもの。小さい頃からずっと君を見てきた僕が、太鼓判を押すよ』
「ふふ、ありがとう。ノア。それじゃあ、あなたのアドバイス通りにするわね」
イヴィがそう返すと、ノアは「うん、それがいいよ」と満足そうに言った。
『ねえ、イヴィ。もしよかったら、明日僕をパーティーに連れていってくれないかな? 君の晴れ舞台、見てみたいんだ』
「え? でも……」
イヴィは言葉に詰まる。
初等部の頃は、よくノアを自身が通っている学園に連れていっていた。
規則が緩く、比較的自由な校風だったためノアを抱きながら授業を受けても別に咎められることがなかったからだ。
けれど、他の生徒たちはそんなイヴィに好奇の眼差しを向けた。
いくら「自分には人形の声が聞こえる。彼は大切な友達だ」と説明したところで、実際に声が聞こえない彼らにとってはイヴィが嘘をついているようにしか思えなかったのだ。
やがて、イヴィはそれが原因でいじめの標的になるようになった。
ある時、他の生徒にノアを奪われ傷つけられそうになったことがあった。
なんとか奪い返したものの、イヴィはその出来事がトラウマとなった。だから、それ以来ノアを人前に出さなくなったのだ。
「もし、またあの時みたいにノアを奪われたら……私……」
親友を傷つけられたくない──その一心で、イヴィは何年もノアを部屋に閉じ込めてきた。
ノア自身もその気持ちを汲んだのか、外に連れていってもらえなくても文句一つ言わなかった。
でも、いくらなんでも過保護だったかもしれない。そう考えて、イヴィは猛省した。
『大丈夫だよ。あの時は周りも皆まだ子供だったけれど、今は彼らも君と同じ高等部に通っているんだろう? 流石に、そんな子供じみた真似はしないと思うよ』
(確かに、ノアの言う通りかもしれないわね)
ノアに説得され、イヴィは考えを改めた。
「わかったわ、ノア。あなたをパーティーに連れて行ってあげる」
『そう来なくっちゃ! ありがとう、イヴィ!』
そう言ってはしゃぐノアを見て、イヴィは破顔する。
人形だから表情は変わらないけれど、久々に彼が心の底から喜んでいるところを見た気がする。
(そうよね。明日は、晴れ舞台だもの。せっかくだから、ノアにも見てもらわなきゃ)
実は、明日行われる卒業パーティーではイヴィとリチャードの結婚が発表されることになっている。
国王の意向もあって、卒業後すぐに婚礼の義を執り行うことになったのだ。
「はぁ……今から緊張するわ。何事もなければいいけれど……」
そう呟くと、イヴィはベッドに腰掛ける。
大勢の人の前で結婚を発表することもそうだが、やはりノアのことが気がかりで仕方がないのだ。
思いあぐねながらも、明日に向けて頭の中でシミュレーションをしていると、不意に視線を感じた。
『大丈夫だよ。僕がついているから』
イヴィは声がしたほうに目を向ける。すると、いつの間にかノアがベッドまで移動しており、ちょこんと自分の隣に座っていた。
そう、ノアは人形ゆえ手足を動かしたりといったことはできないのだが、何故かこんな風に瞬間移動ができる能力を持っているのだ。
「ええ。ありがとう、ノア」
イヴィはノアに礼を言うと、にっこり微笑みかける。
大丈夫。きっと、何もかもうまくいく。そう信じて、イヴィは明日のパーティーに向けて準備に取り掛かったのだった。
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