第27話

「ちょっとお、まだ着かないのぉ!?」


 裏返った大声を真下のジュリアンに浴びせかけるお年頃のポレット。今の状況に嫌気が差す彼女の気持ちも理解できなくもない。十数秒で滑り終わるだろうと高を括っていたおさげ娘の予想に反し、二人は今でもスライダーを滑り続けていた。そう、彼女の後頭部や背中といったほぼ全ての裏側がジュリアンにピッタリとくっつく格好が2分以上も続いていたのだ。


(早くついて~、これ以上はもう……)


 一秒でも早く到着してくれと心の中で祈るポレット。今更になって男の子とピッタリくっついていることが恥ずかしくなってきたのだ。おマセなようで意外と保守的である……。


(これ以上はもう……もう……もうお嫁にいけなくなっちゃう~(泣))


 左へ右へと曲がりくねる傾斜はそこまで急ではないものの、この分だと到着地点は遥か地下にあるのだろう。不思議なことに、狭いうえに光の一切届かない穴の中を滑り続けるという閉所恐怖症なら発狂しかねない状況なのに、あれほど臆病だったジュリアンは恐怖を微塵も感じていなかった。


(一体いつまで続くんだろう。でも……)


 いつ到着するのだろうという不安は少しだけあったものの、それ以上に奇妙な満足感と安堵感に包まれている自分がいた。それはリュージュの二人乗りのようにポレットを抱き抱えながら滑っているから……ではない。いや、本当はそれもちょっとあるのだが……。


(でも、不思議な感覚だなあ……)


 久しく忘れていた、ジョゼットのお腹の中にいた頃の記憶がゆっくりと甦る。コリンヌと二人でふわふわと漂いながら耳を傾けた外の世界の不思議な音。ジョゼットの優しい歌声や心地よいピアノの音色。今では信じ難い、父ドノヴァンの穏やかな笑い声。


(お腹の中にいた頃、コリンヌはママが歌ってくれた子守歌でいつもケラケラ笑っていたっけ)


 恥ずかしさと不安感で涙が出そうなポレットの真後ろから、囁くような歌声が聞こえてくる。


「子犬を盗まれたおばあさーん……るるる~、戸棚を開けても~…..ふんふんふ~ん……」


 ジュリアンが口ずさんだ歌は、ジョゼットがお腹の中にいる赤ちゃんによく聞かせていたジュネに古くから伝わる童謡だった。


(ジュリアンったら、よくこんな時に歌ってられるわね。でもなんだろう、この感じ……)


 状況にてんでそぐわないジュリアンの行為にポレットはいささか呆れてしまったものの、彼の歌声を暫く聞いているうちに柔らかな安心感に包まれ始めた。まるでゆりかごの中の彼女を優しく揺らしてくれているような、暖炉の傍でうたた寝をしている時のような……。


(暖かい液体の中でふわふわ揺れるような……不思議な感じ……)


 コリンヌが聞こえたという声で青ざめたり、男の子とぴったりくっつく恥ずかしさで顔を紅潮させたりといったジェットコースターのような感情の起伏が嘘のように消え去ってゆくポレット。ずっとこのままというのも悪くないわね……目を瞑りながらいつの間にか穏やかな気持ちになっていたポレットだが、それは唐突に終わりを迎えた。


「わああっ!」


 同時に声を上げた二人は、穴から“ぺっ”と吐き出されたかのように急に広い空間に放り出された。ジュリアンが落ちた地点には柔らかい砂が敷き詰められていたため怪我はなかったが、お尻から突っ込んだ彼は体の裏側が砂まみれになってしまった。


「あいててててて……ポレット、大丈夫?」


 どこからか僅かな光が漏れるのだろうか、うっすらとだが周りの様子が伺える。お尻を摩りながらポレットの姿を探すジュリアンだが、彼が目にしたのはなんと、彼女が胸を張り両手を広げながら見事に着地を決めた光景であった。穴から吐き出された瞬間にくるりと空中回転を決めて砂に突っ込むことを華麗に免れたのだ。流石スポーツガールである。


(ふふふ、決まったわ……)


 先程あれだけポレットに頼られたため、少しだけ彼女の背中に追いついたつもりになっていたジュリアン。しかし今の彼の瞳に映るのは、バスチアンをノックアウトした時と同じ、ジュリアンのスーパーヒロインたるポレットであった。


「やっぱりポレットは凄いや……」


 砂を払いながら立ち上がり、羨望の眼差しを遠慮なく向けるジュリアン。しかしポレットは彼にプイっと背を向けてしまった。そして彼女は聞こえるか聞こえないか程度の声量でボソッと呟いた。


「……がと」

「え?なんだいポレット?」

「だーかーらー!ありがとって言ったの!」


 大声と共にジュリアンの方を急に振り返るポレット。彼女はまるで威嚇するかのように腕組みをしながら挑むような視線を彼に投げつけた。


「え?ああ、一緒に滑ったこと?別に大したことじゃ……」

「私にとっては大したことなの!あ、あとさ。滑ってる最中に歌ってくれたじゃん。あれで結構落ち着いたっていうか……えーと、うんと」


 あっちこっちに視線を泳がせながら、彼女にしては珍しくつっかえながら、それでも最後の一言は(目を瞑りながらだが)大きな声ではっきりと伝えた。


「一応あんたに感謝してるってこと!ほら、マチアス様たちが来る前に下調べするわよ!」


 それでこの会話は終わりだった。彼女はポシェットの中の懐中電灯を取り出し、無言で俯きながら今いる空間の探索を開始し始めた。ジュリアンは呆然と立ち尽くしながら彼女の後姿を見続けている。


(今、何かとても大事なことを言われた気が……)


 ジュリアンは確かに聞いたのだ、ポレットの口から発せられた「あんたに感謝している」という台詞を。幽霊のことなど忘れてしまったかのように懐中電灯片手にずんずん前に進むポレット。後ろ姿からは確認できないものの、きっと顔を真っ赤しているのだろう。ジュリアンは胸に沸き立つ慣れない感情に戸惑いながらも、慌ててポレットの後を付いて行った。


◇◇◇

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