退魔OL参上! ~派遣先で無双します~

瑛珠

新規派遣契約、締結です



 ――この世には、あやかしと呼ばれる存在が潜んでいる。常人には見えない、そのよこしまな存在は、ふとしたことで姿を現し、害をなすことがある――

 

 


『新規打診あり』


 かすみ 蓮花れんか、二十四歳。スマホの待受画面に浮かんだメッセージに気づくと、ベッドからのろのろと起き上がった。髪の毛を後ろで雑に結んでから、短い返答をタップする。

 

『了』


 

 とある私鉄沿線の下町。都心の主要駅まで各駅停車で三十分。利便性が高いものの、ノスタルジックな風景を維持している、商店街の片隅。


 『ねこしょカフェ』という、センスのまるでない店名のカフェの二階に、蓮花は住んでいる。


 ねこしょ、というのは「猫」足す「古書」の造語だ、と店主の「おたまさん」こと三枝さえぐさ たまきは、のたまう。蓮花は、パッと見て意味が推察できないのは意味がない、と思っているが、あえては言わない。しかも、ねこしょ。言いづらい。おねしょみたい。それも言わないが。


 部屋着にカーディガンを羽織り、とんとんとん、と外階段を降りると、すぐに商店街のアーケード下に出る。

 振り返って「カラロン」と古風なドアベルの付いた重い扉を押して開けると――

 

「いらっしゃ――れんちゃん!」


 ここの店員、みっちーこと安城あんじょう 光晴こうせいが人懐っこい笑顔で迎えてくれた。柔らかそうな明るい茶髪は少し伸びていて、よく見ると襟足が跳ねている。カフェを訪れた客たちに隠し撮りされては「癒し系」「猫王子」「キラキラ男子」「吸いたい」などとインス○で色々なハッシュタグを付けられているが、本人は知らない。


「光晴さん。モーニングセットください」

「はーい! シオンさんならいつもの、奥のテーブルにいるよ」

「ありがとうございます」


 よく『みつはる』と間違えて読まれるので、あだ名はみっちーだが、蓮花はあえて『こうせいさん』ときちんと呼んでいる。そうでないと、名前を忘れるからなのだが、光晴は律儀だと喜んでいる。これも、あえて言わないことだ。


 古書がギッチギチに詰まった壁の本棚は、床から天井まで。このカフェの良いところは、猫と遊ぶエリアと、本読みエリアが棲み分けされているところだ。もちろん、どこにいても猫を見ながら本を読めるのだが。


 その、本読みエリアのずっと奥、アンティークの百合の花のランプがあるテーブルが、シオンの特等席だ。蓮花は、そっと彼の向かいの椅子の背もたれに手を掛ける――シオンが読んでいた本から顔を上げて、微笑んだ。


「お、すぐ来てくれたの。ありがと」

「シオンさんからは、珍しいですから」

「うん。おたまさんは、寄り合いに出ていてね。しばらく戻らないんだ」

「……そう、ですか」


 

 シオンは、銀色アッシュの派手な髪色をした、見た目中学生くらいの少年だ。琥珀色の大きな目には好奇心旺盛さがにじみ出ていて、その証拠にくるくるとその表情を変える。


「大企業からのオファー。営業部で残業すると体調不良になる社員が増えていて、先月ついに一人自殺した。社長さんは、うちのことを霞が関の噂程度でしか知らないけど、契約書にはサインするって言ってる」


 契約書は「派遣社員の個人情報は機密扱い。生じた損害の責任は一切負わない。任務が不成功でも一切の経費返還には応じない」に同意する内容となっている。

 

「……末期かもですね」

「ん。どうする?」

「まあ、行くだけ。予定空いてますから」

「分かった。じゃ、サインもらえたらまた連絡するね。報酬はいつも通り。他に欲しいものある?」

「……吸っても良いですか?」

「ふふ。もちろん! 今? 後?」

「両方がいいです」

「いーよー」


 ひょこりと首を伸ばしてシオンが見たのは、玄関に近いところで本棚を整頓している、光晴の姿。

 今日は平日、しかも午前十時という中途半端な時間で、客はいない――シオンの視線にすぐ気づいて、笑顔で頷く、猫王子。


「大丈夫そうだね。よ、っと」


 なんでもないかのように言って、シオンは。



 ――猫になった。


「なあん」

 銀色の毛、琥珀色の瞳の、スコティッシュフォールド。ただしその尾は、ある。

「ありがとうございます。では、遠慮なく」


 蓮花は、その背中に顔を埋めて。

 ――思いっきり、吸った。


 


 ◇ ◇ ◇


 


「今度は真面目系? でもエロそう」

「あのおっぱい、反則です! なあ橋本、お前いってみろよ」

「うんっ、冷たくされたいっ。蓮花ちゃあーん!」

「ギャハハ!」


 大企業の営業部というから、どんなものかと思って来てみれば……未だに学生のノリか、と蓮花は溜息をついた。

 二人の営業が話す下品な内容は、もちろん全部聞こえている。


「あの、その、私も同じ派遣社員なので、何か困ったことがあったら……」


 今、蓮花に色々と世話を焼いてくれているのは、隣の席の尾崎おざきという女性だ。正社員はほぼ男性。女性は、アラフォーくらいの二名のみ。一課と二課それぞれ十五名程度は所属していると思われるが、派遣社員は尾崎と蓮花だけなのだそうだ。

 

「ご丁寧に、ありがとうございます」

 尾崎も同じ年代か、と蓮花は予想する。

「いえ……」

「おーざきちゃーん! 俺の頼んだ見積書できた?」


 突如として会話を遮ってきたのは、先程騒いでいたうちの片方。確か橋本といったか。

 

「あっ、はい、共有フォルダに入れました」

「見つからないのよー」

「え? すみません、すぐメールします」

「今ここでフォルダ開いてくれたらいいよ。ね、霞さんも俺のフォルダ。覚えてね」

「はい」

「俺の好みも、覚えてね?」

「……」

「え? 無視? 傷ついたなー!」


 なぜ尾崎がビクッとしているのか。蓮花はそれが気になった。


「無視は良くないんじゃないのー?」

「……なんの好みですか」

「ん? い・ろ・い・ろ」

「はあ」

「ギャハハ、やめとけ橋本! 訴えられるぞー、セクハラ反対!」


 ギャハハ笑いの方は、確か宇野。


「うっせえぞ宇野! セクハラじゃねーし!」


 上司の課長は、と視線を上げると、部下をネチネチこき下ろしているところだった。なるほど、無法地帯かと蓮花は把握する。パーテーションの向こうで、女性二人がしかめっ面でヒソヒソ話をしているのが見えた。


 その他は、忙しく電話したり、ディスプレイを睨んでいたり、ホワイトボードに予定を書き込んだり――そのホワイトボードの前にいる、スラリとした長身の男性が振り返った。丁寧に整えられたツーブロック、意志の強そうな目、かっちりした細身のスーツは紺色のピンストライプ。所作にも品があり、明らかにこちらのコレとは毛色が違う。


「やっぱ二神にかみに目が行っちゃうの? 妬けるー! ね、今度歓迎会しようねー!」

 

 二課の二神とはあの人か、と蓮花は納得した。一課は一般エンドユーザー向け、二課は法人向けの営業だ。エリート扱いは二課の方(法人向けの方が、規模も金額も桁違いに大きい)らしく、その中でも成績トップなのが、二神なのだとか。

 

 蓮花は、橋本をとことんスルーしながら、まずは状況把握だと、神経を尖らせる。


 ――やはりどこかに……


 あやかしの気配を、蓮花は肌で感じている。慎重に対応しなければ、きっとまた

 既に自殺者が出ているということは、それほどの力があるということなのだ。

 

「じゃ、今度セッティングするからねー!」

 橋本がようやく去った後、

「……あの。私たち派遣社員なので、歓迎会はお断りした方が、その、良いかなって」

 尾崎に恐る恐る言われた。

 

「はい。私も気が進みませんので」

「そうですか……ならよかったです」

「他にも助言などいただけたら助かります」

「! はい」

 尾崎とは仲良くできそうな気がして、密かに安堵する蓮花だった。



 その二十日後。


 

 正社員の女性が一人、退職した。



「表向きは自己都合退職だけど、自殺未遂だね」

 ねこしょカフェで、シオンが腕を組んで告げる、土曜日の朝。

 モーニングセットは、たまごサンドと、ホットカフェオレ。

「やはりそうでしたか。残滓ざんしはあるんですが、なかなか」

「巧妙に隠れてる?」

「はい」


 蓮花はシオンの向かいに座り、一緒にモーニングセットを食べながら、状況を報告する。

 今のところ

 ・派遣社員の尾崎(勤続一年)は、なぜか社員から避けられているようだ

 ・宇野(ギャハハ)は地方出身で、言動とは裏腹に勤務態度は真面目らしい

 ・橋本(セクハラ)は経費の使い過ぎで、幾度となく注意を受けている

 といった感じだ。


「もう少し探ってみます」

「うん。未遂の人は、きっと蓮花のお陰だよ」


 蓮花の存在で、あやかしの力の影響が少し弱まった、とシオンは言いたいのだろう。

 

「……三人目は、出したくないですね」


 蓮花は、コーヒーの残りを飲みきった……苦かった。

 

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