吸血鬼転生〜Bless of Amaryllis〜

@sakura-nene

第1話 プロローグ1 聖女候補→吸血鬼

 村はずれにある教会。なんてことのない、牧歌的な村の、小さな集会所代わりのような場所。


 信仰熱心なものは平日に訪れ、休日は子供たちに文字を教え。商人が来た日はバザーが開かれる。


 そんな、ただのこじんまりとした教会だった。


 盗賊団が、村に攻めてくるまでは。


 当初、盗賊団が村を襲ったのは食料や金目の物が目当てだと思われた。村に特色のある特産物などなく、畑に囲まれているだけの小さな農村である。


 大方、タチの悪い者が無秩序に襲いに来たのだと思っていた。


 村の周りには魔物も出る。凶暴化した狼やゴブリンなど、人に仇なす脅威だ。


 そんな魔物に対処すべく、村の自警団として若い男たちが十数名と国から派遣されている騎士団十名ほどが警備をしていた。魔物やこういった盗賊団に対処するためだ。


 今回も阿呆を蹴散らすだけの出来事だと思われていた。自警団はともかく、騎士団は相当な修練を積んだ猛者たちだ。魔物の討伐はもちろん、ただのゴロツキ程度に負けるわけがない。


 統一化された武装や鎧、そして中には魔法を使える者もいる。盗みを生業にしている程度の輩に遅れを取るはずがなかった。


 だが、それは驕りだった。


 盗賊団の総数は百五十。しかも三段構えの襲撃を仕掛けていた。第一陣が自警団と騎士団を誘き寄せ、全員が集まった時点で第二陣を投入。その後本命に向けて第三陣を仕向けた。


 そんな実働部隊を援護するために、魔物や人が近付かないように撤退要員まで村の周辺に残しておく周到性。村はあっという間に大打撃を受けた。


 自警団がやられて、騎士団までやられて。農民たちも農具を持ったり魔法が使える者は抵抗したが、戦闘訓練など積んでいない者たちなど相手にもならないのか、一蹴されていた。


 そもそも、彼らは盗賊団だったのか。緻密に統制された行軍、騎士団をものともしない強さ。何かを目的とした一体感。とてもただの盗賊とは思えなかった。


 しかも百五十なんて大所帯の盗賊団であれば有名なはず。討伐隊が個別に組まれてもおかしくないほどの一大勢力。それが野放しになっている方が不自然。


 盗賊団は住民を丁寧に、確実に殺していく。屋内に逃げ込もうが、遠くへ逃げようとしようが。矢や魔法で確実にその命を奪っていった。目撃者を一人も残さないように。女子供、老人も関係なく殺していく。


 そうして、盗賊団は目的である教会に辿り着く。


 その少し前、教会では二人の少女が話し合っていた。片方は十四歳ほど、もう片方はギリギリ二桁に届くかどうかというほどの小さな少女。どちらも金髪碧眼で、修道服を着ていた。


 顔が似ているために姉妹だろう。その二人は親の言いつけ通りに行動していた。


「シャーロットちゃん。あなたが逃げなさい。宝物殿の扉は私たち血縁じゃなければ開けられないわ。あなたが逃げ延びて、このことを国へ伝えて。あなたが逃げた後に隠し通路を塞ぐわ」


「……お姉様。逃げましょう?一緒に」


「ダメよ。あの扉を調べられたら血縁が必要だとわかるもの。私が残れば宝物殿を守るためにそこにいたと思うでしょう。グリモアを他国に渡すわけにはいかないのです」


 時間がないために、姉であるアリスは妹を地下の隠し通路に押し込む。そして入り口に爆破魔法を仕掛けた。これでもうシャーロットは教会に上がれない。近付けばそれだけで爆破が起動する。


 シャーロットは後ろを振り向かず走った。生き残り、この惨状を王都に伝えることこそ役目だと思い。アリスはそれでよしとした。


 グリモアを守るためには仕方がないことだ。


 アリスは最後に神様に祈る。神様を象ったとされる女神像に手を重ね、頭を垂れる。毎日の日課のように。


「神様……。どうか、あの子をお救いください……」


 それだけを祈って、教会の扉が開く音を聞く。その音に合わせてアリスは祈りの体勢から盗賊団と思われる者たちに向き直った。


 盗賊団の偉い人間らしき者が一歩前に出てくる。総勢十名。弓や槍、剣を構えているがアリス一人ではどうにもならないだろう。


 いくら魔法が使えても、精々三・四人を道づれにするのが限度。魔法もそこまで万能ではない。


「この教会の娘だな?」


「父と母から聞きましたか?はい、私はアリスと申します」


「外見も名前も一致する。貴様ならグリモアを知っているな」


「はい。世界を一変させる魔導書。確かに我が教会で保管しております。一応尋ねましょう。何を思ってグリモアをお求めでしょうか?」


「それこそ、世界を変えるためだ」


 それ以上の返答はなし。この盗賊たちが本隊なのかどうかはアリスに判別がつかなかった。だから今の答えも正しいのかわからない。


 グリモアは答えた通り、世界を一変させることができる。滅ぼすこともできる。だからこんな田舎の村で、アリスの一族だけで管理してきた。


 この者たちにグリモアを渡せば世界は滅びるだろうと思った。そのため、アリスは先ほど仕掛けた爆破魔法を発動させる。


 そこに人が立っていれば二人ほど死んだかもしれない火力の爆発が起こった。それに盗賊たちは警戒を強める。


「これでも守護を任された身ですので。父と母も強かったでしょう?私もある程度戦えます。私に殺されないように、グリモアを入手するために無力化できるといいですね?」


 アリスの両親を尋問していたからだろう。盗賊たちはアリスの言葉を疑わない。


 事実として、グリモアが管理されている宝物殿への扉はアリスの一族の認証がなければ開かない。そういう魔法を仕掛けてある。


 ここでアリスを殺してしまったら、グリモアを手に入れるのは難しくなる。この機会を逃せばこの村の異変を感じ取って国から騎士団が派遣される。それを押し返しつつグリモアの奪取などとても難しいだろう。


 アリスは構えて、走り出す。彼女は最低限逃げられるように護身術は習っているが、本質は治癒術師寄りの魔法使いだ。接近戦などまともにできやしない。


 盗賊たちは殺さないように、武器を捨てて素手で倒そうとした。接近戦をしながら魔法を使える魔法使いなどいない。それは勇者と呼ばれる世界に一人いるかいないかというレベルの偉人のみの所業だ。


 目の前の少女はそうではないだろうと判断した。


 だが。


 少女は満面の笑みを浮かべたまま、ボソリと何かを呟いた途端豪快に炎に包まれた。その炎は教会の屋根に達するほどの火柱だ。


「バカな⁉︎誰か魔法を使ったのか!」


「いいえ、誰も魔法を使っておりません!おそらく、自爆かと……!」


「ッ!水を出せ!消火を急ぐんだ!グリモアも燃えるぞ!」


 即座に魔法使いたちが水の魔法を使うことで火はすぐに収まった。引火もしておらず、屋根が少し崩壊しただけで済んだ。爆心地の床も焦げて何もなくなっている。


 そして、その爆心地には辛うじて人の形がわかる程度の焼死体が残っていた。


 十四歳の少女が。使命に則って事を成した結果だ。


 確実に死んでいることを、盗賊たちのリーダーが確認していた。他の者たちは教会の中を全て調べているようだ。


「隊長……」


「……素晴らしい少女だった。グリモアを、世界を守るために散った英雄だ。……彼女のような人物を殺さなければならない任務か」


「グリモアは必要です。もはや戦争に勝つには、グリモアに頼らざるを得ません」


「これでグリモアを持って帰れなければ、私は何のために……」


 隊長と呼ばれたリーダーはそれ以上のセリフを口にはしなかった。彼自身もグリモアの捜索に加わる。


 一度だけ、焼死体の彼女に黙礼した。それが最低限の礼儀だと思って。


────


 いやー、私の人生もあっけなかったですね。両親はなんてことのない司祭として生きていたので、私も似たようにゆっくりまったり過ごせるのだと思っていました。


 私の代でグリモアを狙う者たちがやってくるなんて、運がないですねえ。


 この後あの盗賊たちは宝物殿の扉を開けられなくて、撤退するでしょう。その後は騎士団がやって来て、シャーロットちゃんを新たな司祭として同じような村を作るだけでしょう。


 シャーロットちゃんには頑張ってお婿さんを見付けてもらって、子どもを産んでもらわないと。頑張れー、妹。


 ……それにしても、どうして私に自意識があるのでしょうか?確実に即死するような魔法を選んだはず。死ぬ痛みを感じるのは嫌だなーって思って高位の魔法を使ったのに。


 まさか生き永らえてるとか?嫌だなー、ここから先生きていなくないなあ。


 神様、私が生きるはずだった残りの人生を、シャーロットちゃんの幸運とか寿命に充ててください。十年以上祈ってたので、それくらいの見返りくらいください。


『そう言われると、天邪鬼なわたしは違うことをしたくなるものだ』


 はい?誰です?


 もしかして生死の狭間とか、そういう場所ですか?そこで神様のお声を授かったのでしょうか。


 神様、シャーロットちゃんのことお願いいたします。


『それはできない相談だ。どれ、蘇らせてやろう』


 え?本当にそういうのいいです。できたら神様なのでしょうけど、そんな奇跡なんて私に使わないでください。もったいないです。


 グリモアでシャーロットちゃんが悲しむのは嫌ですけど、だからって人生に未練はないです、はい。


『ふむ。「人生」に未練はないと。ちょうどいい』


 何がちょうどいいのでしょうか。私は天の思し召しで天国に行くのでは?殺人など冒していませんよ?


『いいや、君は自死という最も犯してはならない罪を犯した。これはその罰であり償いの機会と思ってくれ。ではアリス。新たな生を祝福しよう』


 あのー、神様?お話をですね?


────


 目を覚ますと、そこは見覚えのある教会。私たちの家。


 そして、血の海。


「はい?」


 血の海の原因を見る。死ぬ直前に会った盗賊らしき人たち。それが鋭利な刃物で斬られたかのように、輪切りになっていたり両断されていたり。


 教会の中に生者は、いないようで。


「あらあら?」


 何故か私は生前に着ていたような修道服を着ていて。身体も無事のようで。


 魔法で燃え尽きたはずの服までそのままとなると、本当に神様が生き返らせたようで。


 でも、サービスで盗賊の排除までしなくても良かったのではないでしょうか?神様。


 本当に生きている人がいないのか教会の中を隅々まで調べて、誰もいなくて。教会の窓から村の様子を確認しても生きている者はおらず。


 誰もいないので宝物殿を調べることに。ここに誰かが入り込まれていたら、それこそ世界が終わってしまう。


 宝物殿の魔法はきちんと発動していたようで、宝物殿の前には扉をどうにかしようとしたのか盗賊たちの死体があった。それを魔法でどかして、ドアノブに手を触れる。


 すると私が手を触れたところから奇怪な魔法陣が現れて、ガチャリと鍵が外れた音がした。ドアを押せば、宝物殿の中に入れる。


 宝物殿とはいうものの、グリモアを鎮座させているだけの部屋なのだけれど。


 そのグリモアは二冊・・、きちんと台座に飾ってあった。誰も触れてないようですね。


「起きてください、グリモア」


『どうしたんだい、アリス』


 グリモア二冊のちょうど中間から猫に羽の生えたような小さな生き物が現れる。グリモアの守護獣であり、グリモアと呼んでいる本の管理者。


 この管理者はグリモアの内容も全て把握している、私の一族しか知らない存在。


「襲撃されたの。シャーロットちゃんが王都に逃げたはずだから、しばらくしたらここに騎士団がやってくるわ。お引越しの準備をお願いします」


『それはいいけど……。君、どうしたんだい?吸血鬼に成り果てて』


「え?……吸血鬼?」


 グリモアが鏡を魔法で出現させると、そこに映ったのは私の顔。なのだけど髪は金色から白に、瞳は蒼から紅に。歯も確認してみれば犬歯に似た鋭い牙が二つ上の歯にできていた。肌も元々白かったのに更に白くなっているわ。青白い。


 間違いなく吸血鬼の様相。神様が間違えたのかしら?


『君、日光は?ここに来るまでに窓くらいはあっただろう?』


「窓の外も見ましたけど、この通り無事ですよ。日光も見たけれど、身体が灰になることもなかったみたい。吸血鬼になっただなんて、信じられないわ」


 吸血鬼の見た目に変わってしまっただけ、ということかしら?これは調べないと大惨事になりそう。どうしましょうか。


 そう悩んでいると、グリモアが白い方の本を浮かせて私の元に運んできた。


『吸血鬼のページは176。それで生態について見てみるといいよ』


 グリモアには二種類、本として機能が分かれている。一つは黒の書。ありとあらゆる魔法が記されているまさしく魔導書と呼んで良い物。


 もう一つは白の書。こちらにはあらゆる知識が記載されているという知恵の書。魔物の生態はもちろん、人間の歴史や戦争の様子なども逐一更新されるのだとか。


 私は管理をしていただけで、白の書はあまり読んでいなかったので全ての知恵があるわけではありません。


 グリモアに言われた通り、白の書をめくっていく。吸血鬼の項目に辿り着いて読み込んでいく。


 吸血鬼。アンデッド種の一つ。人間に近しい見た目をしているが、魔物である。白、または銀の髪をしており、瞳は真紅。そして歯には吸血のための犬歯が生えている。これは吸血鬼の種類が何であれ、変わらない特徴である。


 アンデッド種であるため、寿命は存在しない。消滅でのみ、その存在を抹消できる。


 弱点としては日光、流水、十字架などの宗教関連物、信仰系魔法、治癒術。ただしこの弱点も種別によっては克服している可能性あり。


 吸血鬼は吸血の際に自分の血を分け与えることで眷属を生み出すことができる。血の通った生き物であれば、大概何でも眷属にできる。ただし、適性のない生き物の場合対象が灰になった事例あり。


 爪を伸ばす、羽を生やす、空を飛ぶことが可能。また夜目が利き、眷属との視界共有も可能。動物への変身、身体を霧状に変化など似姿を変えることができる種族でもある。どこまで姿を変えられるかは不明だが、幅はかなり広いものだと推測される。


 種別により魔法の行使も確認される。基本は身体能力が非常に高いため、魔法を使う吸血鬼は希少である。


 下級吸血鬼レッサーヴァンパイア。主に眷属にされた吸血鬼。全ての弱点があり、身体能力も高くない。知能もあまり高くなく、討伐は容易。下級吸血鬼では眷属を産み出すことはできない。


 中級吸血鬼ミドルヴァンパイア。ただのヴァンパイア、自然発生ヴァンパイアとも呼ばれる。弱点や特徴が上記のような、基本的な吸血鬼である。身体能力も獣に比べれば高いが、魔物では相応。対処も難しくはない。嫌なら夜に出歩かなければいいだけである。


 古の吸血鬼エルダーヴァンパイア。遥かな刻を生きた吸血鬼。中級吸血鬼から進化した存在だと推測される。進化方法は年月なのか、殺した生物の数なのか、眷属の数なのか不明。身体能力は龍に匹敵し、国を滅ぼしうる災厄。勇者であればあるいは、というほど強力な魔物。


 だがやはり日光が弱点だということには変わりはないので、倒せなければ陽が昇るまで耐えること。耐えうる力があるのであれば。


 真祖ワン。吸血鬼であるものの、吸血鬼の弱点を全て克服した完成された存在。現状個体確認には至っておらず。吸血鬼の能力を備えながらも、何一つとして弱点たり得ない。そのため、吸血鬼という呼称すら返上する頂。特徴から吸血鬼であるため、この項目に記載する。


 この存在は様々な種族に弱点を克服したあり得ざるツワモノが数例確認できたために、どの種族にでもいるのだろうという推察の元書き加えられた想像上の存在である。確認できた存在には別個の項目を用意している。


 この真祖は吸血鬼において確認できておらず、あくまで確認できた例から推察した仮定である。だが、この存在が現れた場合──世界は吸血鬼のものとなるだろう。それだけ眷属を産み出せるという能力は破格である。


 敵対する存在を殺し、それを眷属にする。それだけで全ての生態系は崩れ、全てのものが真祖にひれ伏すだろう。同じく敵対できるものは多種族の真祖のみ。これは断定である。


 他にも人間の姿をしていない雑多な吸血鬼もいるが、見た目が特殊なだけで能力としては中級吸血鬼と変わらない。そのため名前のみの記載をする。



 ……ふんふん。つまり?人間の見た目をしたままの私は、日光を克服したかもしれない私は。


「……どうしましょう、グリモア。私、新種か真祖だわ」


『やっぱり?日光が大丈夫な時点で予想はしてたけど。しかし急だねえ。何をやったら吸血鬼になるのさ?』


「えっと。焼身自殺?魔法を使って、あなたを盗賊に渡さないために、シャーロットちゃんの存在が知られないように自爆したのだけど。その際に神様のような方のお声を聞いて?」


『うーん。その神様が君を作り変えたのかもね。神様が気まぐれを起こすことなんてよくあるし。それにしたって吸血鬼かあ』


 そう、なぜか吸血鬼。試しに心臓に手を当ててみても鼓動なんて聞こえない。やっぱり私は死んでいるみたいです。


 日光で灰にならないのはいいんですが。魔物に変わりないのです。


 だから凄惨な死体を見ても忌避感がなかったのでしょうか。人間の頃はそういうものを見たことがなかったとはいえ、確実に気分を悪くしていたでしょうに。


 そういった変化も含めてこれからどうしましょうと考えていると、外が騒がしく感じます。部屋から出て窓の外を伺ってみると、盗賊たちが村へ進軍していました。


 ええ、進軍ですね。すごく統制が取れています。ただの盗賊じゃなさそうです。まるで軍隊や騎士団を見ているみたい。


 このままだとグリモアを奪われるか、後からやってきた騎士団と全面衝突になるか、いっその事グリモアを闇に葬り去るか。


 何にせよ、私がここで生きているように振る舞うのは問題ですね。


 宝物殿に戻ってグリモアに状況を説明してこれからのことを相談します。


「どうしましょう?」


『そもそもアリスが扉を開けなければ問題なかったんじゃ?姿を隠せばシャーロットが来るまで開くことはなかったのに』


「あ」


 不用心すぎました。死んで気が動転してしまったんでしょうか。確かにそのまま姿を隠していればグリモアと被害はともかく、世界の危機はどうにかできたのに。


 宝物殿の扉を開けられなくて撤退するか、グリモアごと燃やすか。それしか選択肢はなかったのに。


『あの扉ってアリスは閉められないんだっけ?』


「無理です。魔法の鍵の所有権はシャーロットちゃんに移されましたから」


『あー、鍵をシャーロットが持ってるのか。まあ、逃がす人に持たせるよね』


 宝物殿の扉の封印には魔法で作った鍵が必要。それの所有権をシャーロットちゃんに渡してしまっている。私なら扉を開けられたのだけど、閉めることはできなくなってしまった。鍵以外で封印する方法を私は知らない。


 せっかく私たち血族でなければ開けられないようにしたのに、全て無駄です。


『となると、僕としては燃やされるかアリスに持っていかれるしかないわけだ。あの盗賊たちが使ったら世界が滅ぶだろう』


「私が?でもあの人数を相手に逃げるだなんて……」


『何言ってるのさ?君は吸血鬼になったんだろう?何にせよ、人類の敵になってしまったのに、これ以上何を心配するんだい?』


 グリモアの言葉で、脳を刺激されたような感覚に陥った。


 そう、私はもう人間じゃない。人間の見た目をしていても、私は人間じゃなく吸血鬼だ。しかも新種か真祖か。どっちにせよ珍しくて人類の敵。


「……それでも妹とあなたのことくらい心配しますわ。あなたを燃やすことも、敵の手に渡ることも許しません」


『なら、戦ってくれ。僕は知っての通り戦うなんてできない。このグリモアを託すのに相応しいか判断するだけの存在だ。──君になら、二冊とも任せられる。アリス・クル・オードファン』


 グリモアの言葉と共に、黒の書と白の書が私の体内に収納される。魔導書というのはこうして体内に入れることができるとは聞いていたけれど、まさか私がそうするなんて。


 保護はするつもりでしたけど、逃亡者になるなんて。国に知られたらシャーロットちゃんも罰せられそうだわ。


『敵感知の魔法使えたっけ?』


「いいえ。でも吸血鬼だって自覚したからかしら。生命体の把握は結構広い範囲でできるみたいです」


『じゃあ僕を連れて世界中を逃げてくれ。まずは目の前の敵からだ』


「そうですね。皆の敵だもの」


────


 グリモア。世界を一変させるとも言われる魔導書。


 その奪取任務。うまくいったとしても犠牲者は出る。そんなわかりきったことを思いながら、そして最も苦難に満ちた任務だとわかっていた。


 この作戦に参加した者たちは皆決死の覚悟だっただろう。


 だが、これは違う。あっていいはずがない。


 これは、人間に許された所業じゃない。


「ぎゃああああああ⁉︎」


「水を!治癒魔術もすぐ寄越せ!」


「第三班、全滅ですっ⁉︎」


 グリモアが保管されていると思われる教会に入っていった第一陣と連絡が取れない。そのため第二陣を押し上げて教会に侵入。第二陣が何を見たのかわからない。だが第二陣が入って一分もしない内に教会は天にも昇る火柱・・・・・・・を上げて、全焼した。


 その火柱は教会を飲み込んだだけでなく、近くにいた隊員たちにも飛び火した。飛び火しただけで大火傷、その炎も凄まじい熱と威力で希少な金属で作り上げた武器や鎧をあっさりと溶かした。


 その、おそらく魔法による一撃は我々を困惑させた。人間が天にも昇る火柱を発生させる魔法なんて使えるわけがない。大魔術師と呼ばれる老成した魔法使いですら使える魔法はA級が精々。それだってドラゴンにも通用する一撃だ。


 だが、天まで届く範囲を持つ魔法など魔王が使えるという人類には届かぬ大魔法。最上級難易度であるSSでしかありえない。


 この場にいた何者かが使用したのか、それとも天災に見舞われたのか。そんな思考よりも当たり前の思考に至る。


 誰かが、グリモアを使用したのだと。


 世界を一変する魔導書だ。最高難易度の魔法ぐらい載っているだろう。そして使う手段も。そうでなければ世界を一変する魔導書などと大仰に伝えられるはずがない。


 その程度であれば、どれだけ良かったか。


 炎に巻き込まれた者を治療しつつ、魔法を使った者を補足しようとして、辺りに鮮血が飛び散った。


 影も見えなかったのに、選ばれた先鋭たちがどこかしらの身体の部位を切り落として、絶命していた。


 ある者は首を落とされていた。ある者は頭の先から股の下まで両断されていた。ある者は腹を一閃されていた。ある者は三枚に下ろされていた。ある者は粉微塵に消し飛ばされていた。ある者は──。


 それを把握した瞬間私は、声にならない声を挙げて逃げていた。脇目も振らず、命令など全て忘れて一目散に、一歩でもそこから去りたかった。


 臓物がこぼれる?脳漿があふれる?血だまりができる?生首が落ちている?眼球だけが残される?


 そんな些細なこと、どうでもいい。あんな化け物に関わってはダメだ。


 曲がりなりにも一大作戦に選ばれたという自負があった。そんな私が何も見えなかった。


 そんな理解もできない存在は、本国の本当の逸脱者に任せるしか──。


「あら、何もなかったわね。もしかしたら魔法とかで姿を隠している後詰めでもいるのかと思ったのだけれど。ただ恐怖で逃げただけみたいです」


 そんな鈴の音のような、可憐な声が私の全てを支配する。もう何もできないように、身体の自由は奪われていた。


 何故だ。この作戦がうまくいけば、世界を得られるはずだった。その作戦に参加した我々は英雄になるはずだった。国からも民からも賞賛され、魔物からの被害すらも打ち砕くことができるのだと信じて──。


 私の左肩に、小さな手が置かれる。声の通り少女の手だ。とても、あんな光景を産み出した恐ろしいものとは思えない。


 ただの村娘か、貴族の令嬢か。そんな華奢でほっそりとした、人間の手だった。


「眷属作りも試してみないと。情報も欲しいですし。……別に、口を使う意味はないのよね」


 少女の爪が伸びる。その伸びた爪は私の耳の穴を通り、頭の中が熱くなっていく。


 ああ、このような褒美を承るのであれば。


 その美しくも儚い唇で、この恍惚の感情を賜りたかった──。





























「え。嫌よ。汚らしい」

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