第33話 ワインの骨片は肉片となりガラスは砕け
焦がれたメルシャン・ワインは酸味が強い上にアルコールもたいそうキツく、正直好みではない。恥知らずに何もかもを語りたい夜にはぴったりの酒だ。
アーサーの正面に座して語る。
両親の話、老婆の話、王都まで来た経緯。
私は話を行ったり来たりして、どうでも良い部分を冗長に、子供みたいな拙い感想をこぼす。
退屈なだけの私の話をアーサーは根気強く傾聴してくれる。どんな話も受け入れてくれる安心感が、私を饒舌にさせる。
「君の『退蔵』の祝福は変化してないよ。変わったのは君のほう。
君の器は呪いによって壊されたんだねぇ」
アーサーは胡座をかいて終始笑っている。相当なザルらしく、麻袋から次から次へと酒を出し、出した途端に酒瓶を開けていく。
「器っていうのは目に見えない、霊的な身体のことね。器には人が生きる源、生命力が詰まっている。
赤児は生命力の塊だからね。その呪いは器を生命力で満たすんだ。聞こえはいいけど生命力も過ぎれば毒。最期は力をあふれさせ器どころか体を壊す、恐ろしい呪いだ」
アーサーが私のグラスにメルシャン・ワインを注ぐ。こぼれる寸前私はグラスへ口をつける。
「特に君たちは『退蔵』しちゃうんだもの、相性がゴミほど悪い。
君はね、強欲にも赤子の呪いごと全てを『退蔵』しようとした。器を薄く引き伸ばし、容量を大きくし、時には呪いそのものを器に変えてね。
無意識下の行為とはいえ凄まじい。
幼少期は体調を崩しがちだったのはその無理が祟ったせいだと思うよ。
危うい均衡の上で成り立っていた呪いと器の関係も終わりを迎える。君のボーイフレンド、ドゥワァ君によって」
アーサーがドゥへグラスを掲げる。私は半端に残ったグラスのワインを揺らす。
「君を苛む呪いは消えたけど、呪いがあることで繊細微妙に成り立っていた君の器は儚くも崩れ去ってしまった。
いかに退蔵の力に優れた君でも力を納める器が壊れればどうしようもない。
君のこれまで退蔵され続けた力は外へ放たれ、他を栄えさせた。それが真相なんじゃないかなぁ。知らんけど。
しかし不思議だねぇ」
アーサーが身を乗り出して私を見つめてくる。
「どうして自分が他者より優れた力を持っているか疑問に持つものだけど……。
君は不思議がるどころか疑問にも思ってない風だ。何かあったのかい?」
ワインに映る自分を見つめる。無表情の美しい女が、私を見つめ返してくる。こんな均整の取れた顔は私の所有物ではない。大き過ぎる瞳は私のものではない。高い鼻も赤い唇も、私であると確信が持てない。
この顔の皮は敗走した勝利の女神から下賜されたものなのだと理解する。
私はメルシャン・ワインを呑み下し、何もかもを話し始める。
私の前世、日本という国のこと。この世界へ転生するきっかけとなった、敗走した勝利の女神とのやりとり。ドゥの出生。女神との更なる接触と『国崩しの舞踏会』で起こったことの全て。
アーサーは馬鹿笑いする。特に私の男の趣味を聞いた時など笑い転げていた。
「なるほどね。君の耳目を通して女神は世界を視ている訳だ。君はさしずめ神に語り聞かせる吟遊詩人、『神語り(カミガタリ)』の乙女だ」
アーサーは笑いすぎてこぼした涙を拭う。空になったグラスを見つめるばかりの私に、彼は語りかける。
「敗走した勝利の女神様は随分律儀な神様であらせられる。形はどうあれ、懇切丁寧に君の願いを叶えてくれたのだから。善意の塊のような御方だ。
だからこそ君は、女神に背負わされた禍福の責を甘んじて引き受ける必要があった。
無論君の奇妙な半生は、君の過失に因るところも大いにある。さりとて、全てが君の責であるとするも傲岸な話さ。
物事はひとりが抱え切れるものではなくなっている」
慈愛に満ちたアーサーの瞳が私の胸をつく。
「よく、耐え難きを耐えた。君は悪くない。
もう君はひとりじゃない」
得難い理解者との邂逅に涙を流しかける。全てが全て私のせいではないと、誰かに言って欲しかった。客観的な意見を聞きたかった。
腹の中で渦巻くこの感情も、アーサーなら受け止めてくれるかも知れない。私は再び口を開く。
またハンサムな男に騙されるのかい?
しわがれた懐かしい声に喉が震えた。老人特有のすえた臭いが左端から香る。
お前も学ばないね。
こぼしかけていた涙が引っ込む。思考がクリアになっていく。
アーサーの服飾品が目についた。シャツの金ボタンひとつで平民は何日食えるだろうか。
彼は貴族なのだ。私たち平民とは生きる世界が違う。彼は甲斐甲斐しく、気分良く酒が飲めるよう取り計らっている。
貴族であるアーサーが、家畜と見做す平民を歓待する理由はなんだ?
突然話を止めたので、アーサーは不思議そうに首を傾げている。その仕草で疑惑が確信に変わる。
「失言を誘ってます? 女神を愚弄する言葉を引き出して、私を殺そうと?」
アーサーは目をしばたかせた。
「やっぱり露骨過ぎたかい? 王都を覆う闇の原因は間違いなく君だからさ、手っ取り早く死んでもらおうと思って」
悪びれもせず言い放たれた言葉に面喰らってしまう。
「修行すれば大丈夫だなんて言ったけど、器がぶっ壊れた君が修行しても無意味さ。
そも修行でコントロールできる範囲なんて限られてるからねぇ。最初から死んでもらうつもりではあったけど」
うまくいかないよ、とアーサーは杯を傾ける。彼の朗らかな殺意に血の気が引いていく。
この男も笑顔で他人を陥れる下種か。
腹に溶岩でも抱え込んだかのような心地がした。頭の先がちりちりと燃えるようだ。
「『君は悪くない。もう君はひとりじゃない』って言ったら君、感極まった顔してたでしょ。それ見て吹き出しそうになっちゃってさ。
『こんな耳障りが良いだけの無責任な言葉に感化される馬鹿いるんだ!』って可笑しくて」
これは生かしておいてはいけない人種だ。大司教様と同じく、言葉巧みに他者を騙す悪魔だ!
義憤が漲り血が沸き立つ。
「バレるかなって思ったら案の定だったねぇ」
「黙れ!」
言葉を放ったあとに気づく。
言葉に何かが乗ってしまった!
アーサーは首を傾け、顔があった場所にワイン瓶をかざす。
ほぼ同時にワイン瓶が爆ぜた。
拡散する冷徹な破裂音。床とアーサーに降り注ぐ破片。石とガラスがぶつかり合う不快な音。
体内で荒れ狂っていた激情が冷めていく。
私は何をしでかした?
アーサーが避けなければ、彼の頭はワイン瓶のように、砕けたワイン瓶が骨片が、滴る水滴は肉片で。脳内でばたりとうさぎが倒れる。
私は、癇癪ひとつで彼を殺しかけた!
「いやぁ、ここまで話通りとはね!
君の言葉には他を害する力が宿る。人である内に殺すが吉だねぇ」
アーサーは何かを私の頭部に投げつける。無駄が削ぎ落とされた完璧な投擲。私は見惚れるばかりで避けることすら忘れている。
それは私に当たらなかった。
物理法則を無視した軌道を描いて、それは私の足元に転がった。
ランタンに照らされたペリドットの短剣だった。
私とアーサーの間に割って入った者がいた。精悍な横顔に私は息を呑む。
「ドゥ……!」
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