第30話「1対2の模擬戦」

 夕刻のナルカミマギシングジムのトレーニングルームでシンドウ・カズトラは瞑想していた。

 胡坐をかき、手を合わせ、肉体を空間と一体化させる。

 閉じたまぶたの裏に見えてくるものがある。ジムの周囲を行き交う人の気配。幾重にも重なった音の波。こちらを見つめる二つの視線。そして大気を揺蕩う魔力の残滓だ。

 魔術とは魔力を用途に応じた形状あるいは現象に置き換える技術。それ故に魔術が使用された後には、必ず役目を終えた魔力の残滓が残る。


「ふーぅぅぅ……」


 ゆっくりと口から息を吐き出し、肺を空にする。


「すーうぅぅ……」


 ゆっくりと口から息を吸い込む。その時意識するのは、酸素と一緒に魔力の残滓を取り入れる感覚を持つこと。空間中を揺蕩う魔力を体内に取り込み、さらに取り入れた魔力を液体化させるイメージだ。血流に乗せて取り込んだ魔力を全身の細胞に浸透させていく。

 主を失った残滓たちを再び己が物とし、合掌していた手を開いて右腕を高く掲げた。体内に蓄積された膨大な魔力は腕を通って掌から放出され、魔力の剣を形成した。

 一見すると刹那の光刃と似ている。が、燃え盛る蒼い炎を強引に剣の形に封じ込めたようなそれとは異なり、魔力の迸りはない。熟練の職人が仕上げた直剣をそのままの形で蒼く光り輝かせたように均整の取れた姿をしている。

 光の剣は、十秒二十秒と経過しても剣の形を崩さなかった。

 シンドウは立ち上がって、剣の切っ先を外へ通じるトレーニングルームの入り口に向ける。

 数分前からこちらを観察する気配をずっと感じていた。

 しかもその気配は、よく知った人物のものである。


「イズナ、マリアのスパイにでもなったか?」


 よくよく見れば入口の扉が少し空いている。隙間からこちらを窺っているようだ。

 扉を開けてイズナとユーリがおずおずとした足取りでトレーニングルームに入ってくる。

 入ってきた途端、二人からふうわりと甘い匂いが漂ってきた。バターと蜂蜜が混ざった香りだった。どうやら仲直りを果たせたらしい。


「いやだなシンドウさん。私が裏切るわけないじゃん?」

「ですがイズナさんがマリアさんのトレーニングをスパイしに来ていました」

「うっ! そ、それはさぁ。シンドウさんが心配だったからで……」

「ユーリもシンドウさんの練習風景を見ないと不公平です。というわけで着いてきましたが……驚きました。その刹那の光刃、そんなに長時間持続できるなんて」


 敵情視察と言う割にユーリから敵対心は感じない。むしろ尊敬の念のほうが強く伝わってくる。


「これは、刹那の光刃の試作型の魔術で光輝の魔刃っていうんだ。その気になれば一ヶ月ぐらいなら持続させられる……ま、これ使うぐらいなら本物の剣を使った方がいい。持続が長い分、燃費もすこぶる悪いしな」


 光輝の魔刃を一本作るのに、シンドウの持っている魔力の大半を注ぎ込まなければならない。燃費の点では最悪の魔術だ。だが実体剣と比較して、まったく利点がないわけではない。


「あ、刃の部分が伸び縮みするぞ! 一メートルから十センチの範囲内で!」

「なにそれおもちゃじゃん」


 イズナの冷徹なつっこみで心が痛い。なにもそこまで馬鹿にしなくても。

 これ以上見せていても馬鹿にされ続けそうなので、光刃の刃の長さを最短の十センチにしてスタッフジャンパーのポケットに入れた。


「そんな非効率的な魔術を何故?」


 一方のユーリは、イズナほどコケにしている風ではなく、表情から察するにシンドウが役に立たない魔術を使用した意図を図ろうとしているようだった。


「大量の魔力を使う分、徴収魔術の仕上りを見るにはもってこいなんだよ」

「ちょっとぉシンドウさん!?」


 イズナは、悲鳴を上げて駆け寄ってきた。


「ユーリに教えちゃったらマリアさんに伝わっちゃうよ!」

「別に構わん。俺とマリアは、同門の出だ。お互いを知り尽くしてる。今更知られて困る情報なんかないんだよ」

「そ、そうかもだけど……ユーリ、パンケーキもう一枚おごるからこのことは!」


 イズナの提案をユーリは鼻で笑った。


「イズナさん、ユーリを安く見過ぎです。パンケーキで買収なんてされるとでも?」

「二枚おごるよ! 今日食べ損ねたブルーベリーとチョコソースのやつ!」

「……二枚?」


 大分心が揺れている。クールな見た目と裏腹に案外ちょろいらしい。


「ユーリ、最後の最後まで迷ってたもんねー。どう?」

「うぅ……で、でも……」


 このまま押せば本当に買収が成功しそうだ。とは言え、シンドウとマリアがお互いの手の内を知り尽くしているのは嘘じゃない。

 イズナの財布を空にした上に、ユーリに買収された罪悪感を植えつける必要はない。

 こういう時は、強引にでも話題を変えるに限る。


「折角だ。二人ともちょっと俺と手合わせしないか? 二対一で」


 唐突な提案に、イズナとユーリは同時に首を傾げた。


「シンドウさんと?」

「ユーリたちがですか? でも二対一って流石に……」

「気が乗らなければ別にいいけどな」


 足でスパーリング用のサークルを踏んで起動させ、イズナとユーリを交互に見た。


「どうする?」


 イズナとユーリは互いの顔を見合わせると、数瞬の間見つめ合ってから同時に頷いた。


「やる!」

「ユーリもやります!」

「よし、じゃあ準備してくれ」


 イズナとユーリは、それぞれトレーニングウェアと触媒を身に着けてサークルに入った。ユーリのトレーニングウェアと触媒の長杖は、ナルカミジムの所有のものを貸与した。


「よし、いいぞ。いつでもかかってこい――」


 シンドウが言い終えた直後、紫電を纏ったイズナが懐に飛び込んできた。脱力した左腕は鞭のようにしなり、雷撃を待った拳が牙を剥いた蛇のように顔面へと迫る。

 さらにイズナより十歩離れた間合いで、ユーリの杖頭が蒼く明滅していた。レイジングフラッシュが間もなく構築を終え、放たれるだろう。

 前衛役と後衛役。自身の得意分野を最大限活かしている。即興にしては悪くない連携だ。


 ――だけど、まだ若い。


 シンドウの左腕が雷撃を纏ってしなり、イズナのライトニングフリッカーの軌道を逸らす。

 イズナに生じた一瞬の硬直、それを見逃さずにイズナの左手首を掴んで渾身の力でユーリ目掛けて投げ飛ばした。

 宙を舞うイズナがシンドウとユーリの射線上に割り込む。ユーリは咄嗟に杖の照準を外し、イズナをキャッチ。その瞬間にタイミングを合わせてシンドウは間合いを詰めた。

 素早くユーリの背後に回り込み、右手の人差し指を後頭部に突きつける。


「ばんっ。俺の勝ちだな」


 ユーリは、小刻みに震えながら息を呑んだ。


「イズナさんとユーリの二人掛かりで手も足も出ないなんて……」


 ユーリの腕に抱かれていたイズナは、そっと床に足を下して呆然とこちらを眺めている。


「私とユーリが二対一で負けちゃった? ……そ、そんなのうそでしょ……」

「奇襲気味に速攻をかけるのは悪くないが、数的優位の二対一だからって油断しすぎだ。もっと連携をうまくとれば俺ともいい勝負ができたぞ。ま、お前らはマギシングの一対一の試合しか経験してないから慣れてなくて当然か」


 イズナとユーリはぽかんと口を開けて、立ち尽くしている。

 力量差がここまであるとは、思っていなかったようだ。


「そうしょげるな。これは魔道師としての年季の差だ。才能ならお前たちのほうが圧倒的に上だ。ただ、今はまだ経験不足で俺と戦っても勝てない。それだけの話だよ」


 これまで一度も戦う姿を見せたことがないのだ。

 シンドウの実力を見誤り、油断するのも無理はない。


「お前たち相手にこれだけやれるんだ。仕上がりが悪くないのはわかった。悪いな二人とも付き合わせて」


 封印以前の全盛期と比較しても力量は全く落ちていない。これならマリアとも戦える。

 サークルを出ようとすると、イズナが肩を掴んで引き留めてきた。


「シンドウさん! わ、私たちともう一回やる? 今のじゃシンドウさん練習にならなかったでしょ?」

「そ、そうです。ユーリもこのままは悔しいです!」


 若い魔道師たちの闘争心に火をつけてしまったようだ。

 シンドウとのスパーリングでなにか得るものがあるかもしれない。

 ならばトレーナーの立場としてやるべきことは決まっている。


「そうだな。それじゃあ、もう少しだけ付き合ってくれ」


 イズナとユーリの提案に、シンドウは拳を作って応えた。

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