第13話『開花する才』

 ナルカミ・イズナとユーリ・ストラトスの試合まであと三週間。

 昼下がりのナルカミジムのトレーニングルームでシンドウは、水球から顔だけ出しているイズナを見守っていた。

 イズナは水に身を委ね、指先に至るまで余分な力が入っていない。初めて練習した時、すぐに溺れてしまっていた頃とはまるで別人のようだ。

 シンドウが課したトレーニングは過酷なメニューだった。それなのにたった一週間でランニングしても息は乱れなくなり、水球を使った脱力の練習もあっさりこなす。

 ここまでの急成長は予想していなかった。基礎トレーニングだけで二週間かける予定であったが嬉しい誤算だ。

 脱力をマスターしたイズナにとって、水球の練習は文字通りの休憩時間となっている。


「うはぁ。冷たくてきもちー」


 浮力に身体を任せて、まどろみで顔が蕩けだしそうになっている。


「よし。脱力の感覚は身についたみたいだな」


 シンドウが指を鳴らすと、イズナを包んでいた水球が霧散した。イズナは、猫のようにしなやかな動きで着地して首を傾げた。


「あれ? もう一時間たった?」


 シンドウは、首肯を返しつつ右手に魔力を集中し、射撃魔術を構築する。


「さて、パリングの練習だ」

「おっ! いよいよだね! 待ってたんだから!」


 イズナが触媒のグローブを装着するのを待ってから、シンドウは手の中に林檎大の魔力弾を生成する。


「殺傷力は抑えてあるが、衝撃と速度は実戦レベルだ。用意はいいか?」

「うん! どんとこい!」


 イズナの両眼に魔力が流れ込んでいくのが見える。眼球と視神経を魔術で強化することで極限の反射神経を得る魔眼の技術だ。


「いくぞ!」


 シンドウは右手をイズナに向けて魔力弾を撃ち出した。

 魔力弾の弾速は種類にもよるが音の数百~数千倍。速いものなら光の速さに達する。常人にとっては不可避の速攻だが、魔道師の先読み・身体能力・反射神経ならば十二分に対処可能だ。

 魔力弾射出より一手速く、イズナの右手は駆動していた。魔力を展開した掌を顔面の前で構える。着弾点の予測は正確。イズナの手に吸い込まれるように魔力弾が直撃した。


「くっ!」


 イズナの顔が苦痛に歪む。想像以上の衝撃だったのか、受け流すどころか右腕の力みが見て取れる。魔力弾の持つ運動エネルギーは、片手で抑えきれるものではない。

 魔力弾はイズナの掌の中で破裂し、生じた衝撃波が華奢な体を大きく後退させる。キュキュッ! っという靴底と床のこすれる甲高い音がトレーニングルームに響いた。


「いったぁ……」


 痙攣を起こす右手を見ながらイズナが舌を打った。殺傷力はなくとも速度・衝撃共に実戦級の直撃を受けたのだ。無理もない。


「強張るな! 受け流さないと逆にダメージを受けるぞ! 脱力の感覚を思い出すんだ! 次いくぞ!」


 続いて放たれた二発目の魔力弾も速度・衝撃共に先程と同一だ。イズナが再び魔力弾に右手を伸ばすも、鼻先に命中するほうが僅かに速かった。

 隕石を顔面で受け止めたかのような凄まじい勢いで、イズナの頭が後方へ弾かれる。淡い茶髪のポニーテールを振り乱しながら、咄嗟に両足を大きく前後に広げ、なんとかその場に踏みとどまった。


「いっっっっったああああああああああああああ!」


 真っ赤になった鼻を両手で押さえ、イズナはうずくまった。


「イズナ! 予測が甘いぞ! 魔力弾の速度のほうが手を動かすスピードよりも速い。着弾位置を正確に予測して対応しろ。常に敵の数百手先を読んで動け。もう一度!」


 涙目になりながら構え直したイズナに三発目。今度は右手で受け止めるも、やはり筋肉に力を入れて堪えようとしてしまう。


「受け止めるんじゃない! 受け流すんだ!」

「やってるってば!」

「できてないだろ!」

「やろうとしてるの! もう一度きて!」

「ああ。できるまで何度でもやってやる!」


 十発。ニ十発。三十発。延々とシンドウは魔力弾を撃ち続けた。

 パリングは超高等技術。一朝一夕で身につく技じゃない。本来であれば優れた素質を持つ魔道師が数年の修業を経て、ようやくたどり着く境地だ。

 一ヶ月で身に着けようなんて正気の沙汰ではない。それでもシンドウは信じていた。

 ナルカミ・イズナならできる。彼女が秘めたる才気ならば、きっと結果を出してくれる。

 そして百七十三発目。その瞬間はシンドウの想像より、はるかに早くやってきた。


 バシュン!


 魔力を受け流す特有の音がトレーニングルームに響き渡った。

 イズナの右手によって受け流された魔力弾は標的を見失って迷走し、天井付近で破裂した。

 蒼い魔力の粒子が、天井から祝福の花弁のように舞い落ちる。

 偉業を成し遂げた自身の右手を見つめるイズナから満開の笑みが咲き誇った。


「やった……やった! やったあああああああああ! 成功だあああああ! ねぇねぇ見てたよね? 見てたよね!?」


 天才。彼女を言い表すのに、これほど相応しい言葉もないだろう。


「ばしゅーんってなったよ! ばしゅーんって! ふっふっふー! パリングをもう極めちゃった! やっぱりイズナちゃんは天才だね!」


 練習開始から僅か一時間で成功させるなんて、人智を超越した才覚だ。

 最初のパリング成功まで一週間はかかると想定していたのに。成長速度が異常すぎる。五百年前でもこれほどの逸材には出会ったことがない。

 平和な世界に生まれながら戦乱の世でも通用する才を秘めた原石。封印から目覚めてからこれほど興奮した経験は初めて……いや、二十四年間の人生でも類を見ない感動だった。

 だが、あまり図に乗らせると練習をおろそかにしてしまうかもしれない。イズナは比較的真面目な性根だとは思うが、慢心は隙を生む。念には念を入れておいたほうがいい。


「一度の成功で自惚れるな! 練習で百パーセントできることでも、実戦になったらその半分も成功しなくなるもんだ」

「分かってるってば! いいから次の魔力弾! 早く早く!」


 イズナに求められるまま、シンドウは魔力弾を撃ち続けた。雷に匹敵する速度域の弾丸を正確無比なパリングで受け流していく。ミスは全くない。着弾点の予測も正確だ。

 あえて命中させないフェイント弾を混ぜ合わせてみるが、フェイントを見抜いて手を出してこない。パリングするのは、あくまで自身に着弾する本命の魔力弾のみだ。


 並の魔道師なら一度成功してもコツを掴めるとは限らない。事実シンドウがパリングを使いこなせるようになるまで約四年の歳月を要した。

 けれどイズナは違う。たった一度の成功でコツを完璧にマスターしてしまっている。

 類まれな勘の良さ。これは持って生まれた性質で後天的に身に着けられるものではない。


 そもそもが適性の低い砲撃魔術オンリーでプロ五連勝という規格外の戦績である。砲撃の適性の低さをろくに鍛えていなかった生来の身体能力で補っていたのだ。

 ゲンイチロウがイズナと相性のいい対戦相手を選んでいた可能性はあるが、それだけで連勝を重ねられるほどマギシングサークルの世界は、甘くはないだろう。

 一を教えて十を覚える愛弟子。楽しい。嬉しい。わくわくが止まらない。ガンテツがマリアを可愛がっていた気持ちが少しだけ分かった気がする。 

 現時点でパリングは、実戦で通用するレベルに達している。イズナの吸収の速さを考慮すると、今日中にもう一つ魔術を練習させた方が効率的かもしれない。


「よし! パリングは一旦区切って別の魔術の練習に行くか。雷の属性変換だ」

「お! やるの久しぶり!」


 火・風・水・土・雷。こうした属性を持った魔術には大別して二種類ある。一つは干渉制御魔術。魔道師の周囲に存在する物質や現象に干渉して操作する魔術だ。

 シンドウが脱力の修業に使った水球は、大気中の水分を媒介とした干渉制御魔術だ。使用したい属性の実物が近くにないと使用できない分、実物を操作する関係上、消費される魔力が少なくて済むメリットがある。

 一方の魔力の属性変換は、魔力の性質を特定の属性に変質させる技術を指す。こちらは触媒を必要としないため、どんな環境でも一定の精度で扱うことが可能だ。

 しかしどんな属性を使うにしろ、干渉制御に比べると魔力の消耗が激しい。


「イズナ、さっそくやってみてくれ。やり方は覚えてるな?」

「もっちろん! 見ててね!」


 イズナが腰を落としてどっしりと構えた。

 体内で循環していた魔力が徐々に体表へ漏れ出していく。最初は風呂上がりの蒸気のようにゆらゆらとしていた魔力だったが、突如火山のように激しく噴火した。放出された膨大な魔力は紫電に姿を変えて、イズナの体表を駆け巡った。


「ふっふっふー!」


 わざとらしい高笑いをして、イズナは偉そうに胸を張った。


「中々でしょ? こんな感じでどー?」

「悪くない。その魔力の左拳に集中できるかい?」

「うん。やってみる!」


 イズナが自らの左拳を注視すると、全身を帯電していた雷撃が瞬く間に拳へと集約された。


「そしたら手本を見せるぞ。左のガードを落として構え、脱力」


 左腕を腰の位置まで落とす。拳の握り込みは最小限だ。それから体内で魔力を属性変換。雷撃を練りあげると、シンドウの左拳が激しく帯電し、乾いた枝が次々折れるような音を鳴らす。

 左腕の骨格が鞭になる感覚を持ち、筋肉の強張りを極限まで排除する。そうやって研ぎ澄ませた一撃を――。


「下からしならせるようにして打ち込む!」


 雷速で打ち放たれた拳は、稲光のような不規則な軌道を空間に刻み込んだ。数拍遅れて落雷のような打撃音がトレーニングルームを木霊する。

 如何なる敵にも回避を許さない速攻の一打。それを目の当たりにしたイズナは、うさぎのように飛び跳ねながら近づいてきた。


「すっごく速い! なになに今の!?」

「雷速の牽制打、ライトニングフリッカー。俺も実戦で使ったことがある魔術だ」


 シンドウは両腕のガードを上げると、右の拳をゆっくりと突き出した。


「拳を使った打撃技の欠点は、攻撃の種類が限定されることだ」


 まっすぐ突き出すジャブとストレート。左右のフックや裏拳。下からのアッパーカットやボディ。上からのオーバーハンド。上下左右、基本的にはこの四方向からの打撃だ。


「さらにパンチは人体の構造上、上半身以外の部位に打ち込むのは難しい。となるといくら速い打撃だとしても打点の予測は容易い。ユーリクラスの魔道師が相手なら単純な打撃をいくら素早く叩き込んだとしても避けられる。仮に当たっても耐えられるだろうな」

「被弾箇所への魔力集中防御でしょ?」


 攻撃を受ける部分を予測して魔力を集中し防御するのは、魔道師の基本テクニックの一つだ。熟練した使い手なら致命打となる攻撃のダメージを最小限度にすることが可能である。


「どんな強打でも魔力集中で防御されたら威力は低減する。一度や二度は、押し倒す要領でダウンを奪えても致命傷にはならない。そこでライトニングフリッカーだ」


 鞭のようにしなる打撃は変則的で目で追えない。攻撃方向の予測がしにくければ魔力集中防御もやりづらく、牽制打でありながら決定打にもなりえる。


「接近戦でこいつを主軸にして相手をかく乱し、本命の一撃を叩き込むって寸法だ」

「ライトニングフリッカーかー。よーし!」


 イズナは先程のシンドウと同じように左手をだらりと下げて構えた。無駄な力が入っていない。悪くない構えだ。しかしいくらイズナと言えど、そう簡単にできる魔術ではない。体術・属性変換・魔力の特定部位への集中。複数の作業を同時並列的にこなす必要がある。


「ああ。コツはだな――」


 シンドウの声を断ち切るように繰り出されたイズナの左拳は、蛇のように柔軟な動きを見せながら雷速に到達。雷鳴が如き爆音を伴って大気を打ち抜いた。


「脱力、でしょ?」


 ここまで呆気なく成功されてしまうと指導者としては、感動するより拍子抜けされられる。そんな心情などお構いなしに、イズナはライトニングフリッカーを涼しい顔で連打していた。


「このフリッカーが私の新しい切り札 ふっふっふー。イズナちゃんはこれで完全無敵だね!」

「こらこら調子に乗るんじゃない。切り札は一枚だけじゃ意味ないぞ。それさえ通れば勝つってのは、裏を返せばそれが通らない状況では絶対負けるってことだ。切り札は種類の違う二枚以上を持っていて初めて実戦で機能するもんなんだ」

「お! なんだかトレーナーっぽいよ!」

「師匠の受け売りだけどな。だけど二枚目は後。まずはこいつを完璧に仕上げろ」

「うん! 任せて!」


 トレーナーの役割は宝石の研磨に似ている。原石の特性を見極め、どのような輝きを放つのか想像しながら削っていく作業。

 敵の懐へ切り込み、強打で以て敵を破砕する雷のような高速近接型魔道師。

 ナルカミ・イズナは、着実にその完成形へと近づいていた。

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