人魚な王子
岡智 みみか
第1章 第1話
いつもの散歩ルートだった。冬特有の強く冷たい風は今日は穏やかで、曇り空の下でもさほど体は冷えてこない。
ゴツゴツした岩の合間は流れも少なく、数日続いた晴天で温まった海水に漬かっている方が、体を外に出すより楽だった。
岩礁に囲まれたこの小さな砂浜は、季節に関係なく多くの人間が訪れる。
人目につきにくい浅瀬の波打ち際にぷかぷか浮かんで、僕は水面に目から上だけを出し、岩陰からこっそり彼らの様子を見ていた。
珊瑚の枝みたいに細い足でちょこまか動く人間の群れは、何時間でも飽きずに見ていられる。
人間なんて、人魚を惑わすロクでもない生き物なんだから、あんなのに関わっちゃだめ。
見つかったら捕まって殺される。
陸に上げられた人魚は、誰も海へ戻ってなんて来ない、来られない。
だから決して、彼らと目を合わせてはいけないよ。
二度と海へは戻って来られなくなるんだから……なんて、同じ人魚仲間から散々言い聞かせられている。
もういい加減、そんな危険な遊びはやめなさいって、どれだけ言われたか分からない。
だけど、誰もその人間としゃべったことがないんだから、笑っちゃうよね。
僕は、僕たちと似たような格好をして、陸上で動く彼らが不思議でたまらなかったんだ。
人間って、海の中じゃ生きられないんだって。
僕らは少しなら陸に上がれるのに、人間は少しも水の中にはいられないんだって。ヘンだよね。
その日は同じ模様の服を着た人間の群れが、朝の早い時間からやって来ていた。
いつもここを住処にしている人間たちじゃない。
初めてみるような若い群れだ。
そういうのも、時々やって来る。
すぐに折れてしまいそうなほど細長い銀色をしたの伊勢エビの触覚みたいなハサミで、波打ち際に落ちている透明なくしゃくしゃしたものや、白くて浮かぶ容れ物、薄く伸ばして筒状にした金属の塊なんかを拾い集めている。
人間って、こういうことするの好きだよね。
いつも沢山置いていくくせに、拾い集めるのも大好きだ。
だったら置いていかなきゃいいのになぁとか思いつつも、それがきっと習性なんだろうなとは、頭で理解しているつもり。
貝殻とか珊瑚の欠片なんかには興味がなくて、人間は人間の作ったモノだけを広い集める。
そういうのは、海にもいっぱい流れてくるから、僕も知ってる。
見たことある。
置いて行く人間と集める人間とは違う人間だから、きっとそれを拾う人間は、何かの役に立てるつもりなんだろう。
ポケットに入れて持って帰って、人間の巣に飾るとか?
そんなことが楽しいと思えるのなら、僕もだって一度くらいなら、彼らと一緒にやってみてもいいんじゃないかなーとは思っている。
その紅藻みたいな色をして、お揃いの服を着た人間の女の子が2人、群れから離れて僕の隠れている岩場のすぐ近くまでやって来た。
黄色い長い髪の女の子と、僕と同じように短くてくるくるした黒髪に黒い目の女の子。
僕が自分で決めている、ここまで人間が近づいたら逃げようと思っていたラインを、彼女たちはあっさり越えてきた。
大変だ。
見つかる前に逃げ出さないと。
僕は水音を立てないよう、こそっと海に身を潜める。
今日の、ここでの人間観察はおしまい。
お腹も空いてきたし、なにかお魚でも捕ってこよう。
いや、やっぱり海老の方がいいかな~なんて、そんなことを思いながら、僕がその岩場を離れた時だった。
ドボーン!! 突然の水音に、驚いて振り返る。
さっきまで陸にいた黄色い長い髪の女の子が、岩場から海に落ちてきた。
足から落ちた彼女は、バタバタと狂ったように暴れ出す。
え? どうしよう。
このままここにいたら見つかっちゃう。
急いでこの場を離れなきゃ。
僕は自慢の大きな尾ひれでのキックを繰り出すため、鱗で覆われた半身を曲げる。
ドボーン!! 逃げだそうと思った直前、また続けて同じ水音が聞こえた。
今度は黒髪の女の子だ。
両手を真っ直ぐに前に伸ばし、紅藻みたいな服を胸びれのようにヒラヒラさせ、その腕を後ろへ押し出し水を掻く。
黄色い長い髪の子とは違う。
人魚のようにスゥーっと水中を進んでくる。
彼女は僕に気づくことなく、先に落ちた黄色い髪の女の子の腕を掴んだ。
人間の泳ぐところは……。
正直、見たことあるけど、こんな近くで見たのは初めてだ。
最初に飛び込んで来た子は、あんまり泳ぐのは得意ではないみたい。
だけど後から来た黒髪の女の子は、まるで人魚のように泳ぎがきれいだった。
ヘンな皮みたいな服というものを身に纏っていながらも、スッとしたひとかきで迷うことなく水中を進む。
魚のようにぐるりと黄色い髪の女の子のまわりを一周すると、パニックになっている彼女の体をしっかりと抱きかかえ、水面に押し上げた。
おかげで、最初に落ちた女の子は、僕がいた岩にしがみつくことができた。
だけど……。
人間は、水中では息が続かないって、本当なんだな。
こんなにも呼吸がもたないんじゃ、ちっとも泳いでなんかいられないじゃないか。
ウミスズメだって、もっと潜っていられるよ?
後から海に飛び込んだ黒髪の女の子は、すうーっと静かに、ゆっくりと水中に沈んでゆく。
そのまま海底の砂の上に横たわり、動かなくなってしまった。
そりゃこんな邪魔そうな皮を、自分の本当の皮の上にも被ってるんだもん。
動きにくいよね。
水を吸うと重たくもなるし。
僕はその紅藻色の皮を、好奇心からちょっとだけ触ってみる。
ざらざらしたヘンな肌触りだ。
ちっとも泳ぐのに向いていない。
岩にしがみついている女の子が、仲間に向かって何かを叫び始めた。
まずい。
すぐにここを離れないと、大勢の仲間がやってくる。
だから僕は、見つかる前に逃げないと。
だけど……。
浅い海の、水底に沈んでいる彼女を見下ろす。
くるくる巻いた短い黒髪が、ゆらりと波に揺れた。
僕の尾びれの巻き上げた砂が、彼女の頬にかかる。
その瞬間、僕は彼女の人魚のような、すっとした腕のひとかきを思い出した。
「……。助けなきゃ」
この子はきっと、人魚から人間になった子だ。
きっとそうだ。
だってあんなにも上手に泳いでいたんだもの。
もしかしたら、かつて海から上がった人魚の子孫とかかもしれない。
気がつけば僕は、彼女を抱え、水中を猛スピードで進んでいた。
生きている人間に、直接触ったのなんて初めてだ。
なんて柔らかく温かい体なんだろう。
海に住む生き物とは大違いだ。
どこに置いておけばいい?
同じ群れの仲間のところ?
だけどそれじゃ僕が見つかっちゃう。
そうだ。
この浜の向こうに、岩に囲まれた砂場がある。
そこならきっと、群れの仲間もすぐに気づくだろう。
今は満潮から引き潮に変わったばかり。
あそこなら僕でも、この人間を浜にあげてから、すぐに海に戻れる。
急がないと、僕も彼女も、どっちも危ない。
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