第22話 ひとりじゃない
刀を仕舞う青の前に立った東は、青が見上げるほど背が高くなった。
声も低くなり、幼き頃の面影はあるものの、布作面で隠している顔つきには精悍さが滲み出している。
だが、それを知っているのも青だけだ。
星河のような白銀の髪も、深紅の瞳の清逸さも。人目に付かぬよう、夜な夜な武術の訓練を共にして程よく鍛えた東の清癯な体つきも。
今も尚、東は性別を偽って美弥藤家で生活している。背が伸びるにつれてどう誤魔化そうかと青は案じていたが、杞憂に終わった。長身ではあるが、低い声をほんの少し高くし、口調も仕草もしおらしく演じていれば、どうにか周りに気付かれずに済んでいる。
白人ということを隠すために白い頭巾、白い布作面を身に着けているのが功を奏したのかもしれない。
青を見下ろした東は言う。
「花神たちが、青の舞をみて感嘆を漏らしていたよ」
ほら、と包帯を巻いた人差し指を満開の桜に向けた。
確か、花神とは花の精霊だったな。
そう幼き東が教えてくれたことを思い出しながら青が顔を上げると、さぁっと上空に吹いた風を受けて桜の花びらが舞い踊る。
一気に青の世界は花のひといろに染まった。
「お礼に花を贈るんだとさ」
柔和に笑った東の声に、青も笑う。
「こちらこそお礼を言わなければ。……素晴らしい景色をありがとう」
そう青が手のひらを空に差し出すと、幾重にも花びらが積もっていく。
柔らかな花びらの感触に青は、ふふっと笑った。まるで、花神が抱き締めてくれているかのように花びらがあたたかく感じる。
青は精霊と称される存在を目にすることはできない。できないが、こうして東が介在者となって目には見えない世界に触れさせてくれる。
不思議な感覚だ。
自分の瞳に映し出されない世界なのに、そこにあると信じることができる。
すると、青の手のひらの上に、骨ばった東の手のひらが重なって花びらを閉じ込めた。
「湖に行かないか? 舟を借りることができるらしい」
花びらを落としたくなくて、青は東の手を握り返した。
「東が漕いでくれるなら行ってもよいぞ」
青が意地悪く言うと、東は恭しく頭を下げてみせた。
「青の仰せのままに」
御所からほど近いところに位置する湖――
御所がある京樂はちょうど湖がゆるく縊れている場所で公家や武士、商工業者が集まり栄えている。町屋には米や魚、呉服などの様々な商品が売られ賑わいを見せていた。
それも、ひとえに於恵湖のおかげである。
於恵湖は、その名の通り湖の周りで生活する人々の生活に恵みを与えていた。
湖では、しじみやえび、湖魚が豊富に採ることができる。
京樂の屋敷で湖魚の種類である小鮎の佃煮が食卓に並んだときは、感動したことを青は覚えている。塩のみで煮詰められた佃煮ではあるが、小鮎の味に添えられた塩味がたまらない。捌くことなく小鮎を煮ているので苦味はあるが、それがまたいい。
予波ノ島で採れる魚と言えば鰺や鰯、鱸などの海魚である。四季折々、旬の魚を食すことができる速津内海は豊かな海だ。それ故、淡水魚を食すことはあまりない。
幼い頃に直政と溜池で鯉や鮒を釣ったことがあるが、臭みが強くて食べられないと直政が言っていたことを青は思い出していた。
隣で歩く東を一瞥して表情を柔らかくする。
成長するにつれて、東の目元が直政に似てきた。
さすが兄弟だな、と微笑ましく思う反面、青は危うさも感じていた。
東は何かを抱えている。
布作面を外して二人きりの時間を過ごしていても、楽しそうに笑っていても、深紅の瞳の奥には暗い陰が潜んでいる気がしてならない。
直政もまた闇を抱えていた。
東は知らないことだが、東の父――直成の影響を受けていた直政は、父親と同様に東の存在を疎んでいた。弟が白人であることで自分の人生に悪影響を及ぼす、と。
自分のことを信じて話してくれたことだとわかっていた青だが、妙に腹が立って頬を叩いたことがある。
『そのような狭量な家臣では國保が可哀そうだ』
そう嘆いた青は当時六歳。
年下の女子に叩かれて直政は大層驚いていた。そのときの直政の唖然とした顔は今でも忘れられない。
心を入れ替えた直政ではあるが、弟のことを邪険に扱っていた自分を許せずにいた。最後の最後まで。
青は思う。誰にでも闇はあるのものだと。
自分にも卑しく醜い感情がある。気づいたときには、驚きと共にみっともなくて羞恥心から逃げ出したくなった。
だが。
東に握られた手を見つめ、青は密かに笑みを零した。
それでもその醜い感情があったからこそ、自分の中にある愛おしいという感情に気付くことができたのだ。
闇から光が生まれることもある。
おまえはひとりじゃない。
そう想いを届けるように青は結ばれた手に力を込めた。
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