File 02〈首輪に従う黒狗〉

01 «拘引»

 ゆらゆらと、揺れている。男の右肩に担がれた僕は、人形の如く垂れ下がるようにして、ただゆらゆらと揺れていた。

 重力に身を任せ、振り子のように揺蕩たゆたう。その力ない様は、中々物騒ではあるものの、さながら死体を連想させるようだ。応急処置を受けたとは言えども、依然として身体は血塗れ。淡色のカットソーを着ているからこそ、大量に染み渡った付着血液がよく目立つ。傍から見れば、相応の手傷を負った死体を彷彿させたに違いない。


 目覚めてから、およそ二時間辺り。先の悶着で浴びた銃創、止血後包帯を巻かれた患部に、乾いた血で枯葉のようにカサついた服が絡み着く。赤黒く染まった衣服はそのままにして、着替えもせず、監視官総括役とやらの元へと、僕は連行されていた。


 さて、その総括役様とは、一体何処いずこ御座おわすのか。今より向かう目的地を教えられずして、僕は物言わぬこなしている。すたすたと歩く男の微弱な振動が伝播して、撃たれた傷口がじくじくと痛み出す。かすかに呻き声を上げそうにはなるものの。彼の部屋を出る前に交わした「声を出すな。微動だにするな」という、怪我人の都合を無視した誓約を遵守する。そのためだけに、僕は極めて行儀のいいを演じ続けていた。


「何だぁ、黒狗くろいぬの野郎。血塗れの小僧ガキなんぞ連れ歩いてるぞ」


 そう言ったのは、果たして誰だろうか。明らかに僕達を指して野次を飛ばしているように思えるが、その人物を特定することは敵わなかった。

 何しろ、顔に付けられた秋田犬の面が邪魔をして、上手く視界が取れないのだ。見通しの悪い中、自分だけ事態がよく飲み込めぬまま、人目に曝され運ばれている。秋田犬の面をした血だらけの死体など、好奇の眼差しを浴びて当然だ。

 そして、僕を俵担ぎにする男もまた、黒いガスマスクで表情を隠している。この珍妙なコンビが人前を歩く——ただそれだけで、辺り一帯から視線を掻っ攫うのは当然であろう。ざわざわと騒めく人波を縫いながら、男が歩を進める度に、周囲はまるで珍しいものでも見たかのようにどよめく。


 抑々そもそも、何故表に出る際に顔を隠す必要性があるのか——これが奇妙であった。がしかし、一応僕は第一級接触禁忌種厳重管理区域に侵入罪を犯した無法者である。これ故、周囲に素性が露見すると何かと稚児ややこしいのだろう。個人的にも、見物客の格好の餌食になる犯罪者気分を軽減できたことで、多少は気が楽になったと思う。


 それより、白子アルビノという人目を惹く容姿を彼が押しくくんでいることの方が疑点だ。美しい容貌はことごとく隠されてしまった。白金の地髪をフードの付いた外套が、真紅の虹彩を直結式ガスマスクが、各々直隠ひたかくしにしている。折角の善美を黒一色で晦ましてしまうには、随分と惜しいものだ。「いっそ堂々とてらえばいいのに」なんて思うほど、厳威で、きよくすらある存在感。この容貌は、やはり初見で感じた【神】に類する授かり物ではないか、と考えずにはいられない。

 厚いベールに包まれた真の姿を知って間もない内、軽率な思考に支配されてしまうのは、僕の浅慮故だろう。少し勘案すれば、辿り着けたはずだ。【神】を喚起させるほどの崇高な風采。——そんなものが悠然とそぞろ歩きでもしようものなら、必要以上に周囲の興味を惹くことなど想像に難くないと。

 きっと軍内部における第一級接触禁忌種には、その外見を満天下に知らしめることさえ許されぬ機密性の高さがあるのだろう。そんな答えに、何となく僕は着地した。


黒狗くろいぬが犬を背負って歩いてるとは、何かの洒落か?」


「おいおい。天下の黒狗くろいぬ様が、何だってこんな真っ昼間から俺達低階級のホームをお通りになっていらっしゃるんだぁ?」


 それにしても騒がしい連中だ。辺り一帯で賑々しく沸き上がる悪声は、男を小衝く野次や非難する陰口ばかり。思わずうんざりとするのは、必然の帰結だった。


 黒狗くろいぬ——先ほどから耳を澄ませば聞こえてくる、聞き慣れない単語の雨。恐らく黒一色を身にまとった彼を形容するワードであろうことは、何となく察しが付いた。

 が、「黒狗くろいぬとはどういった経緯いきさつで付いた名称だ?」と、僕は純粋に首を傾げていた。黒狗くろいぬと口々に語る者達からは、男を気嫌うような、煙たがるような態度が見て取れる。そんな彼らが発する黒狗くろいぬという一語が、尊敬や憧憬を込めた美称でなく、軽侮や拒絶を持つ卑称のように聞こえたのだ。しかし、何故ここまで悪感情を向けられているのかが分からない。だからこそ、「黒狗くろいぬとは何ぞや?」と、そう尋ねたい心境で一杯だった。


 行動に出たい気持ちは山々でも、何せ許可が出るまで発声は一切禁止されている。止むを得ず懐疑を飲み下し、僕はたちまち荷物たり得る姿勢を、姿を取った。


 一方男は、辺りから飛んでくる野次を悠揚迫らぬ様子で躱しながら、前へ前へと歩みを進めていく。己が外を出歩けば、野次馬の存在が湧くことなどいつものことなのであろうか。至極泰然とした態度で、鰾膠にべもなくその場を後にする様子は、最早慣れ切ったようにも見えた。

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