ショパン未完成「交響曲第8番」
夜は、月光、朝は、朝日。
夜から朝へと変わる、その今は、朝日が私の身体に当たって来て次第に脈動して目覚める、朝が来た感覚のもとに寝室から起き上がり布団を身体から、剥ぎ取り起き上がる。
そこには、新しい生活の中での日常がある。
ここ半年ころから、あの画展の時見た、今とは違う女性と見に行った、少女を思い出す。
たまに夢にでてくるが、誰にも言えない事のように私は思っていた。
その時、部屋の中に朝から音楽がかすかに卓志の耳に聞こえてくるそれか、それからだんだんとはっきりりとした意識になり窓の付いてあるカーテンを広げる朝日の光が部屋に広がって来る朝だ。
その朝日から初夏と思える光である
今年の11月から新しい部署に異動した、まだ、新しい職場でとまどいを感じていた。
会社の人間関係と言うものだ、
家庭にいる妻に言えなかった今もトラウマと言うやつである。
ふとそんな朝の幸せな時間までも心の隙間に入って来る思想は自分でも、わからない人に相談も出来ない事だった。
朝の洗顔が終わり、妻のいる台所に向かう。
音楽が聞こえてくる、耳にはきりっと又ショパンの未完成を聞いている妻、台所の扉を開く「おはよう」互いに声をかける今日は声をかけるのが早かったのは卓史だった。
結婚した3日目に一度卓史は妻になぜショパンの未完成が好きなのか聞いた、その時も朝だった。
又聞いたら会社に遅刻してしまう、聞いた時も遅刻したから。
妻が言うには自分の考えでそんな事を思うと言うことは、勝手な解釈だがショパンの未完成の楽曲が好きではなくタイトルが未完成なのが好きらしいクラシックは、たまたまだと言う、その時聞いた後わかった「あなた」と妻が卓史に言った。
ショパンの未完成は、なぜ未完成なのかと思うらしくてそのことが妻の意見は、人生の生成段階ではなのか、何を表現したかったのかそれは、生成段階から始まると人の場合老人が完成であり。
生と死その場合はその物事以上では、作品としてなら未完成でもう世に出ている本当に未完成なのか?
自分が作った時は完成したと思っていたが、自分一人の作品だったら、でも調和奏でる音楽は、人の好き嫌いがあるので人の気持ちまで自分の物には、出来ないから自分以外の人の気持ちまで、自分が出来ないから自分以外の人が聞くから未完成にしたのではないかと妻は、思うらしく人の音楽を聴く感じ方が同じ共感性の無さへの作品だったのではないだろうかと。卓史はその時、君の作った作品は知らないよと言った、そしたら朝ごはん食べないのと妻が言った、食べてと、その時朝ごはん朝食中だったその話、聞いていたら、会社に遅刻するはめになったので,良く覚えている卓史だった。
相談出来ないのだと誰にも部長の妻と自分が付き合っていたと言うことはである。
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