四、十四度目の大正直
「足掻くも何も、これまで通りですよ」
何をしてもしなくても、順当に断罪されてきたのだ。わざわざ無駄な体力を弄して骨折り損をする必要性を感じない。
「全く、お前はつまらん反応ばかりするな。来世が従来通りとは限らんだろうが」
「のべ一千年かけて中世から時代を下ったのですから、考え得る範囲では近未来あたりが妥当かと。違いますか」
「さあ、どうだろうな」
表情筋が仕事をしないバビルサの至極淡々とした物腰に、沼の主は裂けた口元に面相の悪い笑みを浮かべるに留めた。
地獄の沙汰が、そんな安直なわけなかろうが——言外に込められた皮肉はあからさまだった。
「……」
「本来なら、とっくに頭の先から喰らってやるところを、十連フィーバーなんぞやらかしおって。十二分に覚悟しておけ」
「沙汰をくじ運に任せるのをやめたらよろしいかと」
「相手に合わせて逐一、沙汰を考えるなんざ、七面倒くさいだけだろうが」
人類何億人いると思っているんだ、増えすぎだろうが——と悪態をつく地獄世界の王の姿を間近に見ていると、地獄の運営方針は本当にこれで良いのだろうかと俄かに先が思いやられたが、バビルサはあえて何も言わずに左へ受け流すことにした。
老衰で生涯を終えた時は、赤ん坊から後生が始まった。
今回は
来世に何が待っていようと、この根幹はおそらく何も変わらない。
「まあ、いい。さて」
牧草俵か小麦の袋でも担ぐかのように軽々とバビルサを肩に抱えると、沼の主はざっと泥温泉から立ち上がる。
ばたばたと荒々しい音を立てながらびたびた滴る泥炭が、足元で鈍く蒸気を噴いた。岩塊のごとし巨漢が沼に背を向けた時、担がれたままのバビルサは、ふと湯けむりスクリーンの向こうに広がる溶岩温泉から殺気に満ちた視線を感じて顔を上げた。
愕然としながらも、眼光だけはやけに鋭い亡者が、こちらに向かって人差し指を差し向け、焼け爛れた口元を開閉させている。
すっかり面変わりをしてしまったというのに、その仕草と態度には嫌になるほど既視感を覚えて、バビルサは我知らずと無言で拳を握り、枯れ枝のような親指で足元の地獄を指し示す。
俗にいう、サムズダウンを真顔で返していた。
それを理解したのか、溶岩風呂に沈む亡者は瞼の焼けた両眼をカッ開いて更に何事か喚こうとしていたが、競歩のようなスピードで沼地を去る肩上でぶらぶら揺れるバビルサは、程なく運搬酔いと強烈な眩暈によって気絶した。
そして、意識を回復してみれば、目の前にヌッと馬の鼻面があり、直後、前髪をがぶりと強かに噛み締められた。
「い……っ」
咄嗟に振り払うよりも先に、自分の両腕からウリ坊サイズの黒い塊が飛び出し、そこそこの重量感で馬の下顎を穿って跳ねた。
嘶いた馬の荒れた馬蹄の音と共に、なぜか不規則な風圧が押し寄せる。
ベッタリと張り付く前髪を掻き分けながら改めて目の当たりにした光景に、バビルサは我が目を疑った。
馬体を覆うように生えた渡り鳥のような大きな翼が、バッサバッサと羽ばたく様は架空生物のそれだった。
(馬に翼……とは?)
その羽先を果敢にも食いちぎろうとしているのか、黒い塊が、ぶん回されながらも追撃を諦めない。
一見、豚に似ているが口元から伸びた四本の牙は鋭く、うち二本は完全に上顎の皮膚を突き破って生えていた。
(あ、見たことあるわ、こっちのは……)
現存する全ての個体がインドネシア原産という絶滅危惧種、イノシシ科の偶蹄目バビルサ属バビルサ——またの名を、死を見つめる豚。
なぜそんな地域限定希少種をこの場で抱えていたものか。そもそも、成体の特徴を有しているのにウリ坊サイズというのもおかしい。
『放さんかい、このっ!』
『放せいうなら離れろや!』
おかしな動物たちの頭上に、それぞれ可視化された吹き出しが見える。
バビルサは眉間を寄せて目元を摘むと、数度、瞬きしてから再び眼を凝らした。やっぱり二頭の頭上に罵詈雑言を投げ合う吹き出しが、ポンポン音を立てながら沸いている。
「……」
なんだ、この光景。
過去十三度の断罪を謳歌したバビルサと言えども、そのいずれの時代の状況とも合致しない視界に、ただ唖然とするほかなかった。
(近未来……きっと動物とも意思疎通が図れる近未来……!)
だが、そう思い込もうとする脳内の片隅で、冷静に不合理を指摘する理性が働いている。
海を挟んだ彼方に、そこそこ標高のありそうな山麓を臨む立地、小高い長閑な丘陵ごとに見える古代文明を彷彿とさせる建築様式の建物類——ドーリアともイオニアともコリントともとれる特徴が、ごちゃ混ぜの視界情報については後で考察する。
そして、「正午をお知らせします」と通達しながら天空を走る
「大変だ! ペーガソスとバビルサが、また喧嘩しているぞ!」
土埃と羽毛が舞い散る喧騒の中、バタバタとした複数人の足音と謎のキラキラしい効果音までが加わると、途端に騒音デシベルが上がった気がした。
それ以上に、ツッコミどころが多すぎて目眩がするバビルサの背後から怒号が飛んだ。
「早く二頭を引き離せ! またお前の仕業か、バビルサ・バルソビア!」
「……」
またと言われても、当の本人は全くの初見である。
とりあえず、過去十三度の経験則から、こういうことが日常的に行われている状況での再スタートなのだろうと、おおよそ察したが、言いがかりにも程がある——毎度のことであるが。
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