第三章 ラキ

第三章 ラキ 1

          * 1 *



「けっこう、人多いんだな……」

「そうですね……」

 俺がトールとともにたどり着いたのは、リーリフの町の商業エリア。

 大きな河の側にできたリーリフは、ここから半日ほどの、ちょっと小高い場所に建造されたメイプル要塞と、王都に至る街道の中継地点として発展した町だ。

 人が要塞都市に流れるだけでなく、山の幸や木材、鉱物などが要塞の方から流れてきて、その加工を行うのはもちろん、商業的な取引は要塞都市だけでなくリーリフでも行われてるそうだ。

 人口は五〇〇〇人ほどという話だったからそんなに大きくないのかと思ったけど、そうでもなかった。

 今日は一〇日に一度の大市の日。

 ちょうど俺たちがやってきた、日用品や食料品、商人向けの宿屋や酒場などの常設の店が建つ大通りには、敷物を敷いただけのものから、テントのようなけっこうしっかりした構えのものまで、たくさんの露店が立ち並び、買い物をしたり取引をするためにお祭騒ぎのようなくらい人が集まっていた。

 たぶん、リーリフの住人だけでなく、近くの農村や外から来た商人も多いんだろう。俺が姫からもらった服とそう変わらない簡素な格好の人が多い中で、生地が分厚いものや革製だったりする、旅に適してそうな服装の人も多く見られた。

 すぐ近くに魔王が根城を構えているとしても、住処を捨てる判断はやはり難しいのだろう。王都からも討伐軍が出る事は告知もされていた。

 不穏な空気が流れ、行き交う人に緊張した空気はあるものの、一〇日に一度の大市となれば、やはり人出は多いようだった。

「タクト、タクトッ。あれはなんでしょう?」

「んー。たぶん、牛肉の串焼きだな。タレに漬けて味をつけてる」

「あっちは? あっちのは何ですか?」

「えぇっと、詳しくはわからないけど、クレープの一種、かなぁ? 小麦粉を水で溶いた生地を薄く伸ばして焼いて、鶏肉とか野菜を包んで食べるみたいだ」

「なるほど……。なるほどっ!」

 引き籠もりがちだった俺は、お祭りのような人の多さに酔ってしまいそうになってる。

 対してトールは、たぶん人の町にくること自体初めてだと思うのに、見たこともないものへの興味が先行するのか、周囲をきょろきょろ見回して、まるで幼い子供のようになっていた。

 ――なんか、可愛いな。

 メイド服の裾が浮き上がるほどくるくると周りを見て回っているトールは、猫背だから目立たないけど俺でも背が高い方のこの町で、さらに頭ひとつ飛び出すほどの背丈なのに、可愛らしいと感じられるはしゃぎっぷりだ。

 姫の住むお屋敷ほどがっちりした建物は少ないが、煉瓦や石、土を塗り固めたと思われる建材と、たぶんこの辺りは地震がけっこうあるんだろう、しっかりとした木の柱で建っている、洋風と和風が混ざったような、ファンタジーRPGで見たことがあるような町並みを、俺はトールとともに歩く。

「これは……、なかなか」

「うん、美味いね」

 牛串を二本買って、人を避けて建物の壁にトールと一緒に並んで食べる。

 元の世界で食べてた牛肉に比べ、筋張ってるし肉も固いけど、醤油ベースと思われるタレが味わい深く、嬉しそうにしてるトールの笑顔もあって、牛串はかなり美味しい。

 露店の親父に聞いてみたら、牛はこの辺りじゃ畑を耕すのに使ってるだけで、食用には飼育してないそうだ。たまたま脚を折って使えなくなった牛が出たから買い取って、市では久しぶりに牛串を出したという話だった。運が良かった。

 リーリフの町を見てみたいと姫に言ってみたら、ちょうどタイミングがよかったようだ。町が見て回るには、市の日というのはちょうどいい。

 三日分の護衛の報酬と、魔石の一部を買い取ってもらったから懐は暖かい。使い切るわけにはいかないが、多少遊んでも大丈夫なお金も持っている。

 初めての異世界の町を少しくらい楽しんでも、罰は当たらないだろう。

「どうしたんだ? トール」

「あ……、いえ」

 木組みの棚を階段状に積み上げ、商品を並べてる露店に身体を屈めながら注目してるトール。

 身体を起こそうとした彼女の隣に並んで、一緒に同じものを見てみる。

 木製のものを中心に、陶磁器とかの食器を扱っているそこでは、他にも少しだけどガラス器を扱っていた。

 その中でもトールが注目していたのは、最上段に飾られた、ガラス細工。

 まるで飴のような色つきガラスで造られた、かなり精巧なオオカミやイノシシ、クマといった動物の飾り。大小あるけど、どれも置物で、身につけるタイプのものはない。

「気に入った?」

「……そうですね。こんなに綺麗なものが、この世界にはあるのですね」

「そうだね。たぶんもっともっといろんなものが、この世界にはあると思うよ。妖精族のドヴェルグが造る細工物なんかは、人間が造れないくらい精巧だって姫が言ってたし」

「凄いんですね……」

 話ながらも、トールは陽射しを受けてキラキラと輝いてるガラス細工に視線が釘付けだ。

 細められた彼女の赤い瞳には、羨望の色が浮かんでいた。

「ひとつ、買う?」

「いえっ! いえいえいえっ」

 そう言ってみたら、露店から半歩離れてから、いらないと激しく手を振る彼女。

 値札に書かれている値段をちらりと見て、まだ気になってる様子のトールに言う。

「お金の心配なら……、一個なら問題ないよ」

「綺麗で、凄いと思うのですけど、その……、こうした物は持って歩くものではありませんし。それと……、わたしが触れると壊れてしまいそうで!」

「……うぅーん」

 ちょっと悲しそうに言うトールに、俺は否定の言葉をかけてやることができない。

 トールの指は太いわけではないが、無骨だ。

 慣れたことをやるには問題ないんだけど、慣れないことをやると力加減を間違えることもしばしばだった。

「早く家でも建てて、こういったもので飾り立ててやりな、兄ちゃん。それが男の甲斐性って奴だろ?」

「えぇっと……」

 食器屋の親父がそんな声をかけてくる。

 どう答えて良いのかわからず、見知らぬ人に声をかけられてどうにも返事ができない俺は、トールの様子をこっそりと覗き見る。

「家を持つのは、良いかも知れませんね……。すぐにというわけには行かないでしょうけれど。いろいろと、知らなければならないことがあると思いますし」

「――そうだね」

 真面目な顔をしてそんなことを言うトール。

 親父の言葉に含まれた、下卑た意味には気づいていないらしい。トロールには結婚の概念はないのかも知れない。

「まぁ、次行こう」

「はい。わかりました」

 ガラス細工にまだ視線を向けているトールと一緒に、親父のイヤらしい笑みに送られて、俺はその場を離れた。

 町の様子をじっくりと観察して、この世界のことを知ろうとしてる俺に対して、トールはやっぱりいろんなことに興味津々で、驚いたり、嬉しそうにしたりと忙しい。

 ――なんか、デートしてるみたいだ。

 そんなことを考えて、ちょっとため息が出る。

 前の人生で、彼女ができたことがなかった俺は、デートなんて一度もしたことがなかった。

 中学の頃には小学校の頃から知り合いだった女の子に、荷物持ちとして買い物に連れ出されたことは何度かあったが、それだけ。別にデートでもなければ、甘い展開なんて欠片もない。

 トールのような美人の女の人と、こうやって楽しく町を歩いたのは初めてだった。

 ――でも別に、デートってわけじゃないからなぁ。

 今回の目的は町の観察。

 冊数は少ないけど本を置いてある露店を見てみると、書庫にあった本もそうだけど、手書きのものに加えて、おそらく活版印刷術かなにかの、簡単な印刷技術が使われているらしいことがわかった。

 絵文字で表記している店も多いが、同時に文字が使われていることが多く、商品の名前や値段も文字が使われている。大通りを歩いた限り学校と思しき施設は見つからなかったけれど、おそらく識字率はかなり高いんだと思う。

 姫の話だと外洋船には蒸気機関を利用したものも何隻かあるそうで、帆船の時代はそう遠くなく終わると言っていた。ただ、石炭が充分な量採れず、鉄も決して豊富ではないため、少し時間はかかりそうだという話だったけれど。

 行き交う人々の服装も布地はわりと豊富そうで、素材も様々。ファスナーはないけれどボタンのついた服は多く、紡績技術と裁縫技術は中世辺りよりもかなり進んでるのがわかる。

 屋敷にもリーリフの町にも上水もあれば下水もあって、高度なものとは言えなそうだけど、しっかりと衛生概念も根付いている。

 その上、たぶんこれはジョーカーの使徒か転世者がもたらした概念と技術だと思うんだけど、手動可動式の洗浄便座まで屋敷にはあった。水が豊富な地域だからこそ実現できてるんだろうが、その概念は明らかに現代的だ。

 姫が言った、いびつな発展をしている、という言葉を、俺はリーリフの町を歩きながらも実感していた。

「どうかしましたか? タクト」

「いや、なんかいろいろ、面白いなと思って」

「そうですね。人間の世界というのは本当に面白いですね。おそらくタクトが感じているものとは違うと思いますが、わたしはこの町がかなり好きです」

 嬉しそうに笑うトールに、俺も笑みが漏れてしまう。

 少し歩いただけだからわからないことばかりのリーリフだけど、トールの言うように、確かに面白い場所だと俺も感じていた。

 そんな町は、いま魔王スイミーとその配下である魔王軍の危機に曝されている。

 ――俺に、何ができるだろうか。

 俺なんかにできることはほとんどないと思うけれど、もしできることがあるなら、少しでも何かしたいと、いまは思っていた。



            *



 踏み入れたその店は食堂。というか酒場。

 昼間でも薄暗い木造の店内はかなり古いようで、意外に広いスペースに一〇以上のテーブルが並んで、三分の一ほどの席が埋まっていた。

 たぶん外からきた商人、それも魔王軍が近くにいるリーリフに来るだけあって柄があまりよくなさそうな彼らは、開け放たれたままの入り口から入った俺を、値踏みするように睨みつけてきた。

 けれど続いて入ってきたトールの攻撃的な視線に、目を逸らしてそれぞれの食事や談笑に戻っていった。

 町の中でもそうだったけど、背が高くひと目見て強そうだとわかるトールは、警戒もされるし注目もされる。いまもこそこそとささやき合ってる彼らは、彼女のことを話してるらしい声が聞こえてきていた。

 カウンターにいる恰幅の良い小母さんに声をかけると、顎でしゃくって奥を示された。そこには扉がある。

 厨房に繋がってるわけじゃない、個室エリアの短い廊下に踏み入り、特徴的な家紋がかかっている部屋の扉をノックのあと開ける。

「まったく、遅かったじゃないか、タクト」

「ゴメン、遅くなった。町がけっこう面白くて」

 一国の姫様にタメ口はどうかと思ったりするけど、トールが彼女を呼び捨てにするのも含めてあまり気にしていない姫様の様子に、いまさら直すこともできなくなっていた。

「んー。やはりここのミートパイは美味いな。お前たちも食え」

「はしたないですよ、カエデ様」

 さほど広くない個室にいるのは、先に来ていた姫とリディさん、それから勧められて丸テーブルについた俺とトールだけ。

 木造ながら土を塗り固めて外に音が伝わりにくくしているらしい個室で、姫は屋敷にいるとき以上にリラックスしてて、口の周りにソースをつけながら大きなミートパイを頬張っている。

 俺とトールが町を見て回る他に、姫とリディさんも食材の買い出しなどでリーリフに来て、こうして酒場の個室で待ち合わせることになっていた。

 兵士たちの視線を完全に断つことができない屋敷では食事も上品にしてる姫は、いまは黒いワンピースの裾をバタバタと足を動かして乱しながら、食事を堪能している。

 俺とトールも大皿にまだ八割方残ってるミートパイに手を伸ばした。

「さて、腹も膨れた。リディの食事はいつも美味しいが、いつ襲撃があるともわからん屋敷では手の込んだ料理は難しいからな。たまには町での食事が恋しくなる」

「なるほど……。なるほど……。なるほど……」

 険しく目を細め、扉近くに建って外を警戒してるらしいリディさんはともかく、姫とトールは食事を楽しんだようだった。確かにブタと思われる肉のミンチとトマトソースのパイは、俺にとっても美味しい食事だった。

「これをやろう、タクト」

 食事を終えた姫は、そう言いながら傍らに置いた鞄から一冊の大きめの本を取り出し、食器を片付けたテーブルの上に置いた。

 開いて見せてくれたそれは、地図。

「これは旅の商人のためだけにつくられた本でな、本来組合に入っていないと手に入らない特別なものだ。普通の旅人や様々な仕事を請け負いながら旅をする冒険者、傭兵と言った者たちでも手に入れられない貴重品だ」

「そんなものを? くれるの?」

「あぁ、構わんぞ。私の人脈を使えばこれくらい手に入れるのは容易い。おそらくお前には必要なものになるだろうからな、タクト」

「ありがとう」

 差し出された本を受け取り、トールにも見えるようにしながらページをめくっていく。

 主にエディサム王国とその周辺の国々の地形と街道筋、町や村が記載されてるその地図。

 ただの地図だったら屋敷の書庫にもあったが、これは物が違った。

 道の険しさや馬車が通れるか否かといった道路事情、推測を含めた妖魔の居留地や出現頻度、野盗や山賊の危険度から村や町の名産品、果ては観光名所や景勝地などが事細かに書き込まれ、言うなれば商人向けのガイドブックとなっていた。

 ただの地図よりも、旅をするならよほど有用な情報が集められている。

 ――というか、これって……。

 巻末に収録されていた、大陸から独立しているというこの島、というか列島の全体地図を見て、俺はため息が出そうになっていた。

 日本だ。

 全体地図はデフォルメされてるし省略もされてて、一部は学校で使っていた地図帳とも違うところもあったが、この形は間違いなく日本列島。

 星の配置がキャンプで見たときと大きく変わらなかったのは気づいていて、緯度は近そうだと思っていたが、それどころじゃなくエディサム王国があるこの列島は、日本そのままだった。

 ――これはどういうことなんだろうな。

 異世界に来たはずなのに、星の配置も島の形もまるで元の世界のコピーのようなこの世界。

 ――いや、そもそも、どっちがどっちのコピーなんだ?

 元の世界を基準に考えていた俺だが、どちらが基準なのかはわからない。それどころか、歪魔や神々と言った違う要素を含みながら、別々に発生し似た形になった並行異世界だって可能性も、もちろんある。

 わからないことをとりとめなく考えることは、もっと情報を得てからにして、とりあえずいまは思考を止めた。

「この地域がいま我が国の支配地域で、こちらが敵対していると言って良い隣国。こちらにも国があって、リーリフはここ、メイプル要塞はここ、それから王都エディンはここだな」

 王国全体を描いたページを開いたとき、テーブル越しに身体を伸ばしてきた姫が指で示してそう説明してくれる。

 王都エディンはほぼ東京、埋め立てが進んでいないようだから江戸と言った方が良いかもしれない場所にあって、王国支配地域は関東平野の大半と山地の一部に及んでいる。神奈川から西は別の国で、埼玉から長野にかけてはさらに別の国。

 リーリフとメイプル要塞は北東の外れ、茨城と千葉と埼玉が隣接してる辺りに近い場所だった。

 一気にこの世界のことがわかったような気がするけど、ちょっと脱力を感じながら、俺は姫の説明を聞いていた。

「歪魔が集団行動をしている集まりのことを魔群と呼ぶが、スイミーが自ら魔王と号し、配下を魔王軍と呼ぶようになったのはつい数ヶ月ほど前、メイプル要塞を攻める直前と言って良い頃合いだ。魔群だった頃のスイミーどもがいたのがこの辺りで、ライム竜族が支配していたのはこの地域、奴らが戦ったこの辺りは火山の噴火もあって、大半の生き物が住めないほどいまは荒廃していると聞いている」

 もう少し北の地域、小さな村が点在していたはずの辺りの地図のページで、姫はそう教えてくれる。ちょうど群馬の東側辺りだろうか。

「討伐軍の本隊は、王都から来るの?」

「あぁ。私が出立した後、できるだけ速やかに組織すると言って、もうひと月近くになるな」

「それは本当に、討伐軍は組織されているのですか?」

「心配するのはわかるがな、トール。さすがに魔王軍は王国全体の、それだけでなく近隣諸国にとっても脅威となり得るから、何もしてないということはない。派遣されてくるのがどれくらいの規模かは、わからんがな。一応朝方、屋敷に来た伝令によると、王都は出発したそうだ。軍の歩速からすると、七日から十日で到着するだろう」

 トールの心配の声に肩を竦めながら言う姫は、討伐軍に期待している様子はない。

 悔しそうというより、呆れ返っている様子の姫に、今朝来たという伝令の内容がよほどだったんだろうと推測できた。

 ため息を吐きながらお茶を飲む彼女に、いたたまれず俺は問う。

「王様は、本当に魔王を討伐する気があるの?」

「どちらでも良いのさ。倒せても、倒せなくても」

「え?」

「派遣した討伐軍で倒せればそれで良し。倒せなければこの地域全体の脅威として他国に援助を求めることも、徴兵を増やしたり、他国との関係で戦争の準備と思われる可能性があって難しい傭兵を雇い入れたりもできる。それで討伐できれば他国の兵を疲弊させ、自国の軍備を拡張できる。それを機に適当な理由をつけて戦争を始めても良い」

「……そんなことで良いのか?」

「良いもなにも、それが政治だ。現王は低能でズルいというのはよく知られているさ。……だが、敵は総数二〇〇翼を数えたライム竜族を滅ぼしたスイミーの魔王軍だ。いまは最盛期ほどの勢力はないが、甘い考えで挑めば国ごと滅ぼされかねんよ」

「笑いながら話していますが、カエデ。王は貴女の安否を気遣っている様子がないように聞こえますが」

 トールの指摘に、姫は諦めたように息を吐いた。

 ちらりとリディさんの方を見て見ると、不快そうに眉を顰めている彼女は口を挟んでくることなく、トールの指摘を肯定しているようだった。

「王は私に死んでほしいと思っているだろう。何しろ、私は妾腹という奴でな、王が手を出した女官との間に生まれた子供だ。身体の弱かった母は私を産んでしばらくして病気で死んだ。嫁にでも差し出して政治の道具にしようと引き取ったのだろうが、その妾腹の娘が聖女と呼ばれてもおかしくない、三柱の神に祝福を与えられてしまった。王はもちろん、ふたりの兄とふたりの姉も、面白くはなかったろうよ」

「そんなこと、俺みたいな奴に話して良いのか?」

「構わんとも。王都では小さな子供でも知ってるほどのことだ。神の恩寵を集める私は他国に出すわけにもいかず、かといって妾腹の娘を取り立てるわけにもいかない。魔王退治の先頭に立ち、戦死したとなれば言い訳が立つという算段さ」

「……」

 肩を竦め、おどけた笑顔で話す姫は、痛々しさすら感じるほどだ。

 どれかひとつでも兄や姉と同じであったなら、姫の境遇はこれほど逆境を極めなかったかも知れない。

「それにな? タクト。私が先遣に出されたのはもうひとつ理由がある」

「もうひとつ?」

「うむ。いまから四ヶ月ほど前になるが、魔王はメイプル要塞を制圧した直後、王宮に現れた。魔王と側近の二体だけでな」

「大胆な奴だな」

「あぁ」

 目を伏せ、視線をどこか遠くに投げながら、姫は語る。

「奴は最近要塞に赴任したばかりの、若い兵士長の首を転がして、言ったよ。王国に、そして人間族に宣戦を布告する、とな。それからちょうど居合わせた私を見初めて、嫁に差し出せばしばらく静かにしておいてやると言った。まぁ、王が返事をする前に兵士に囲まれ、あやつは去って行ったが」

「嫁、ですか……」

 そんなことをつぶやくトールを見てみると、首を傾げて明後日の方向を見ていた。

 トロールのことには詳しくないけど、嫁とか結婚とかにはあまり詳しくないのかも知れない。

「じゃあ、王様としては姫が掠われても死んでもいい。魔王が倒せても倒せなくてもいまのところは構わない、と」

「そう考えてるだろうな」

 楽しそうに笑ってる姫だが、その身体からは怒りが立ち上っているように見える。

 彼女の境遇は、もし俺だったら絶対に逃げてるくらいに厳しい。それなのに姫は、怒りによってこの境遇を跳ね返そうとしている。そう思えた。

 姫であることに疲れた、とこの前言ったのは、このことかも知れない。たった一四歳にしては、過酷すぎる立場だろう。

「まぁ、私は死ぬつもりなどないがなっ。どうやってでも生き残って、王都に凱旋し、いつかは王も、兄も姉も蹴落とし、私が女王として立つ! さらに近隣の国々も併合し、天下統一を果たしてくれるわっ!!」

 言いながら椅子に立ち上がった姫は、片足でテーブルを踏みしめ、拳を突き上げてそう宣言した。

「カエデ様!」

「いいではないか、リディ。タクトとトールが誰かに話しても、与太話としてしか思われないさ」

「……いくらなんでも羽目を外しすぎです。王族としての礼儀と節度は忘れませんよう」

「うっ」

 リディさんの凍りつきそうな視線に、姫は椅子から飛び降りていまさらながらに行儀良く座り直した。

「でも魔王と魔王軍を倒せるの? 強いんだろう?」

「かなりの強さだろう。本隊とぶつかり合ったとして、奴の軍勢はどうにかなったとしても、魔王本人がわからん」

「というと?」

「何とも言えないのだ」

 困ったように顔を歪め、姫は首を傾げる。

「魔王スイミーは、まだ魔王と号する前、四〇〇年以上昔に大魔王グラム・スパイズの圧政に反旗を翻し、大魔王討伐に参加したという不可思議な魔人なのです」

「それは、不思議なことなの?」

「はい」

 口を尖らせている姫の代わりに、リディさんが説明してくれる。

「歪魔は世界を怨み、破壊の権化とも言える存在。それが歪魔同士にも向けられ、敵対して争うこともあるそうです。魔群を形勢する際は概ね同じ方を向いているので、争うことは少なくなります。そしてスイミーは元々、グラム・スパイズ配下の魔人でした。スイミー自身については、あまり記録が残っておらず、光の魔人の二つ名を持ち、光を操るという能力の他は不明です。また破壊の権化である歪魔もその衝動の強さは様々で、時折正体を隠して人間とともに長く生きている者もいることもあるほどです。スイミーは破壊の衝動が薄いらしく、力で魔族を従えるよりも、人間のように政治を持って魔群を納めていると聞きます。そのためスイミーの魔群に所属しているのは、魔族から虐げられることの多いゴブリンやオークなどが中心です。大魔王に反旗を翻したこともそうですが、スイミーには不可思議な行動が多いのです」

「トールは何か、スイミーについて知ってる?」

「あまり詳しくは。……たぶん、オルグだったときに一度直接対面したと思うのですが、記憶が曖昧です。確かオルグにも負けない大柄で筋肉質の、羊のような角が生えた魔人だった、ような気がします。戦ったわけではないので強さはわかりません」

「昔から不可思議な行動の多いスイミーなのですが、いまもよくわからない行動をしています」

「どんなこと?」

「先の首を落とされた兵士長が時間を稼いだことにより、元々要塞勤めだった兵士はいまリーリフに多くいるのですが、彼らが調査したところによると、ゴブリンやオークを要塞から近隣の村に派遣し、畑を耕させていると……」

「スイミーが南下してきてメイプル要塞を攻めたのも、先のライム竜族との争いで魔群を維持するための食料が不足したからと推測されている。しかしそうだとしても、ゴブリンやオークが略奪もせず畑を耕しているというのは解せないのだ」

「んー。ぜんぜんわからないね」

「それにな、スイミーはトールの言った通り、大柄な男の姿をしていると伝えられているが、私が会ったのは角こそ伝えられている通りだったが、タクトと同じ年頃の小僧に見えた。魔族は姿を変えられる者もいるがそれでかも知れぬが、どうにも私には大魔王討伐戦を生き残り、最盛期には万に及ぶ歪魔を率い、何百年と生きてきた魔人には、王都で見たときに思えなかった」

「なんだろうな……」

 そんなことを言われても、スイミーとか言う魔人に会ったことがない俺にはわからない。

 首を傾げてるトールと見つめ合って、俺も首を傾げるしかない。

 ――ちょっと、魔王には興味が出てくるな。

 会った途端に殺されるかも知れない魔王と積極的に会いたいとは思えない。でも正体がつかみきれないスイミーとかいう魔人に、ちょっと会ってみたい気はしてきた。

「まぁ良い。仕入れるものは仕入れたし、ミートパイも堪能した。そろそろ屋敷に戻るとしよう」

「はい」

「そうだね」

「わかりました。行きましょう、タクト」

 姫の号令で俺たちは席を立ち、屋敷に戻るために裏口から酒場を出た。

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