第28話 敵はまずその美貌
ヴァラートからの使節団が、ヴィシェフラドの港に着いた。
客船を兼ねた巡洋艦が1隻と護衛用の艦が5隻。使節団としては順当な規模らしいけど、巡洋艦って攻撃もできる艦だったはず。
確か高速でしかも遠くまで移動できるタイプで、戦艦よりは図体が小さい。
ヴァラートの軍事力を見せつけるつもりなんだろう。
もう既に、交渉は始まっているのだ。
「今日の夕刻には、王宮へ着くだろうね」
報告書に目を通したラーシュは、すっきりシャープな顎のラインに指を添えている。
「リーヴに会わせないわけには……」
ぶつぶつと何か言ってるけど、向こうは皇帝の親書を持ってくるんだから、リヴシェが会うのは当然だと思う。
どうもラーシュは過保護に過ぎる。女王になったのだから、他国の使者に会うことだってあるし、社交辞令のひとつやふたつ、口にすることもある。
「ヴァラートの使者は、カビーア皇子だったわね?
人となりはどんな?」
ラチェスの情報網を駆使して、ラーシュが集めた情報はいつも正確だった。
ヴィシェフラドの諜報機関は壊滅状態で、ほぼ機能していない。ラチェスの特務機関がなかったら、今回ヴァラートに丸腰で向かわなければならなかった。
「現皇帝の同母弟。人あたりはあくまでも柔らかで、交渉時にはキツネに化ける。
外柔内剛と言われているそうだ」
手元資料に視線を落として、ラーシュはすらすらと答える。
さらさらの金の髪、同じ色のまつ毛は長く、翳ができるほどに濃い。
すっきり通った鼻筋は、前世の純和風顔だったリヴシェの憧れてやまない美しさ。
そして表の舞台に立てば、ばりばりに仕事もできるのだ。
書類に添えられた長い指、そこに落とす厳しい視線。淡々と事実を伝える唇。
こういう姿を見ていると、ラーシュは確かに知略謀略のラチェスの男なのだとあらためて思う。
「間違いなく曲者だね」
指の先で報告書をひらひらやりながら、ラーシュは薄く微笑んだ。
「付け加えるとね、たいそうな艶聞家だそうだよ。
そこは兄である皇帝と同じみたいだ」
艶聞家、つまりプレイボーイってことじゃない。
あっちこっちに良い顔をするヤツってこと?
「妻や子供はいるのかしら?」
妻子がいてあちこちに手を出しているとしたら、どんなに顔の良い男でもごめんだ。正直なところ、お近づきになりたくない。
「いないみたいだね。
18歳独身、特に親しい女性もいないようだよ」
それなら、まあ良いか。皇帝の弟ともなれば、社交界でのお付き合いもあるだろう。そうそう無愛想にばかりもしていられない。
(遠くからはるばる来たんだし、食事くらいつきあってあげても良いか。ていうか、礼儀上そうすべきだろうな)
「リーヴ、一応伝えておくけどね。
王弟はまたの名を、カビーア・チャドルというそうだ。ヴァラートの言葉で、月の皇子という意味なんだけどね。
月の神チャドルのように美しいそうだよ」
気をつけてねと、ラーシュが嫌そうに眉を顰めている。
何をいまさらとリヴシェはおかしい。
ラーシュは自分の美貌をわかっているのか。それに美しいだけなら、ノルデンフェルトのラスムスだって相当のものだ。なにしろ二人とも「失われた王国」のメインキャラクターなんだから。
そんな二人に幼い日から絡んでもらったおかげで、こと男性の美貌に関してだけは、かなりの免疫がついている。
大丈夫だからと肩をすくめて笑ってみせたけど、それでもラーシュは不安げな
「偉大なるヴィシェフラドの女王陛下に、拝謁いたします。
わたくしはカビーア・ヴァラートと申します」
(これは確かに月の皇子)
女王としては良くないのだけど、思わず一瞬見惚れてしまった。
立位のままではあったけれど優雅に一礼して見せた青年は、ヴァラートの正装らしいゆったりとした白いローブをまとっている。
彫の深い美貌に褐色の肌、長い髪は輝く真珠色で、その瞳も照りのある真珠の色だった。
穏やかに優しげに微笑む彼は、とても猛々しいと噂されるヴァラート人とは思えない。その典雅な様子は、女性よりも美しいのではと思う。
ラーシュの冷たい刺すような視線を隣に感じて、はっと我に戻る。
見惚れている場合ではない。
「遠路はるばる、よくおいでになりました。
歓迎いたしますよ」
国王らしく威厳をもって話すのは、けっこう気を遣う。なんだかおばあさんのような喋り方になってしまった。前世で観た歴史ものをイメージしたらこうなったんだけど、多分間違ってはいないはず。ラーシュも平然としているし。
口調は尊大でも愛想くらいはしておこうかと、最後に微笑んで見せた。歓迎していると言ったんだから、このくらいは良いだろう。
「噂どおりですね。
女神ヴィシェフラドの美貌と、遠い我が国にも陛下のお美しさは伝わっております。
本当にお美しく、そしておかわいらしい」
ふ……と口元をほころばせて、月の皇子は微笑の色を深くする。
儚げで神秘的そして繊細な感じに、どきんと心臓が跳ねた。
しくじった。
リヴシェは後悔した。
もう少しラーシュに、交渉時のポーカーフェイス訓練をしてもらっておくのだった。このままでは月の皇子のペースに巻き込まれてしまう。あの美貌は、とにかく意識の外に置かなければ、本気でまずい。
「カビーア皇子こそ、噂どおりですね。
小娘を喜ばせるのが、本当にお上手です」
お世辞はけっこう。さっさと本題に入れと、促してみた。
マジで長くは心臓がもたない。ラーシュやラスムスとは違うタイプの新手の破壊力だ。
「おや、心外ですね。心からの賛辞ですのに……。
ですが、さようでございますね。
わたくしが此度こちらへ参りました用件を、お伝えいたしましょう」
春風のように暖かい微笑を崩すことなく、カビーアは切り出した。
「陛下、ヴィシェフラド女王リヴシェ陛下に、ヴァラート帝国皇帝が婚姻を申し込みます」
時間とその場の空気が、一瞬にして凍り付いた。
婚姻。
そうきたか。
こっそり息をついて、気分を落ち着かせる。
交渉シミュレーション、パターンCだ。
月の皇子の美貌に、目くらましをされてはならない。
シミュレーションのあらましを三倍速で再生して、リヴシェは覚悟を決めた。
さあ、始めよう。
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