第17話 黒狼は慎重に機会をうかがう(SIDEラスムス)
ラスムスが帝位について2年が過ぎた。
先祖返りのラスムスがその座につくのは既定路線であったが、前皇后や異母兄には違う未来図があったようだ。あらゆる策を弄してラスムスの立太子を阻み、皇帝の座から遠ざけようとした。
皇帝など面倒くさいだけだと、ラスムスは思っていた。権力闘争、けして本音では語れない社交に外交、それに婚姻。真面目に向き合えばげんなりくるだろうことを、異母兄はなぜそんなにやりたがるのか。不思議で仕方ないと。
けれど10歳のあの日、りんごの香りのする姫リヴシェに会って変わった。
この姫を得るために、皇帝の力が必要だと悟る。
力がなければこの先永久に、ラスムスが安心して息のできる場所はない。自分一人なら良い。返り討ちにしてくれる。だがリヴシェはどうなる。彼女に傷1つでもつけられたらと思うと、とても平静ではいられなかった。
早々に片づけよう。
そう決めて、ラスムスは異母兄の陰謀を逆手にとって断罪した。むろんその母である前皇后も、道連れになってもらって。
皇帝であった父にも、剣をつきつけた。
帝位を退こうと、父は笑った。
権力までは渡さないとそういう思惑であるのは知っていたが、思うのは勝手だ。父の思惑どおりになるか否か、それはラスムス次第だったから。
ラスムス1世として即位して、しばらく後。
前皇帝が、ヴィシェフラドの愛妾と親しくしているという情報が入る。
どうやら側室として召し上げるつもりらしいとも。
同じころヴィシェフラドのラチェス公爵家から、ひそかに使いがあった。
ラチェスといえばあのラーシュ・マティアスの家だと苦々しく思いはしたが、隣国の愚かな王が立てるのはラチェスあればこそだと言われるほどの家だ。何を言ってきたかだけでも聞いてやろうと思い、秘密裏の謁見を許す。
ラスムスの私的な居間に現れたのは、思ったとおりあの男、ラーシュ・マティアスだった。
「ノルデンフェルト皇帝陛下、拝謁いたします」
ラスムスと同じほどの身長だろうか。やや細身に見える身体を優雅にしならせて、ラーシュは申し分のない最敬礼をする。
「良い。これは非公式の謁見だ。
手早く済ませたい。
かけろ」
早く本題に入れと、目の前の長椅子を指した。
美しい微笑を浮かべたラーシュが、おそれいりますと口にして続ける。
「ジェリオ伯爵夫人のことでございます。
お聞き及びでしょうが、あの夫人を先の皇帝陛下がお望みのようですね」
ああと、短く答えた。
困るから止めてくれと、そう言いに来たのなら情けない男だ。だがその程度の男ではないはず。あのリヴシェの婚約者であるこの男は。
見定めてやろうと、意地悪く沈黙する。
「陛下には、ぜひともお父君の婚姻をそのまま進めていただきたいのです」
微笑をためた優し気な
「ほう……」
「あの夫人の事情について、ここであらためて事細かにお話しする必要はございますまい。
正直なところ、我が国でも扱いに困っております。
女神ヴィシェフラド信仰の総本山たる我が国に、かような女がありましては……」
「今に始まったことではあるまい。
7年前だったか。我が貴国を訪れた際、かの女は玉座近くから我に言葉をかけてくれたがな」
「過日のご無礼、心よりお詫びを申し上げます。
大変お恥ずかしいことと、ヴィシェフラドの臣下一同になりかわりまして」
「それで?
なぜ今になってかの女を我が国に寄こすのか。
その事情とやらが聞きたい」
適当な言い逃れ、きれいごとで済むとは思うまいな。ラスムスが視線で伝えると、ラーシュは静かに頷いた。
「リヴシェ王女、我が国第一位の王位継承者であり女神ヴィシェフラドの寵を受けた方が、15歳になります。
16歳の成人までに、いろいろと調整いたしたく」
王の交代か。なるほどヴィシェフラドの臣であれば現在の愚王には、さっさと引退してもらいたいだろう。
「貴国の事情に我が国が関わる理由がないが。
かの女を受け入れて、どんな得があるのか」
「かの女は長年現国王に仕えてきた者です。利用価値はありましょう。
それはどうぞご自由に」
つまりは大した機密は持ってこないと踏んでのことか。
おそらくラチェスのことだ。現国王には重要機密を伏せてきたのだろう。食えぬ奴らだ。
「それにかの者の娘も、おつけいたしましょう。出自はご存知のとおりの娘ではございますが、美しいと申して良いでしょう」
話にならん。かの姫リヴシェを差し出すというのなら、即座に頷いてやるが。
あれから幾度正式な申込をしても、ヴィシェフラドは否と返してくるばかりだ。
交渉というのであれば、ラスムスの一番欲しいものを差し出さねば。
「あくまでも非公式な発言ではございますが……。
かの娘は、リヴシェ王女とは腹違いの妹。
面差しに似たものがないわけではありません」
「そうか……。
ならば我がリヴシェ王女を娶ろう。
そなたはその腹違いの妹とやらで良しとするのだな」
いい加減にさっさと最後のカードを切ってこい。
腹の探り合いには、ラスムスもそろそろ飽きた。
「ヴィシェフラド聖女からの祝福を、貴国に差し上げましょう」
聖女の祝福。
それは万病、どのようなケガでも癒す術のことだ。力の強い聖女の場合、死者を蘇らせることもできると聞く。
通常、その奇跡の力はヴィシェフラドの神殿でのみ施される。
高く険しい山と海に囲まれた天然の要塞であるヴィシェフラドには、そう簡単によそ者が入ることはできない。その優先権をやろうと言われたのだ。
ノルデンフェルトは武によって立つ国である。
大陸の覇権を得たのもその力によるものだが、それは死と隣り合わせの危険な力でもある。
だからヴィシェフラドの祝福は、ぜひとも手に入れたい力だ。
「悪くない条件だ。
だが今ひとつ不足だな」
あくまでも表情を変えず、ラスムスは答えた。
「少なくとも年に一度、聖女自らが我が国の神殿で祝福をたれてもらおう」
さあどうする。
リヴシェ本人をノルデンフェルトに寄こすのなら、交渉に乗ってやっても良い。それならば期限付きではあっても、愛しい
ラーシュの微笑が濃くなった。反対にその青い瞳の温度はどんどん下がっているようだ。
「そうおっしゃると予想はしておりましたからね。
承知いたしました。
それでは王女が即位した後……」
「いいや、かの女を受け入れた時よりだ。
なぜ我が、王女の即位を待ってやらねばならぬ」
時間稼ぎは許さない。ラスムスは内心でにやりと笑った。
自分がラーシュであったなら、即位までの時間でリヴシェがノルデンフェルトへ行けない理由を作っただろうから。
「我はどちらでもかまわぬが」
わずかの間の後。
ラーシュは息をついて、頭を下げた。
「承知いたしました」
その数日後、ノルデンフェルト前皇帝よりジェリド伯爵夫人にあてて、求婚の使者が発った。
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