第4話 婚約者は悪役令嬢を選んだ
この場面を誰かが見たら、リヴシェがヒロインをいじめているようにしか映らないと思う。
ふわふわと綿あめのようにやわらかい金の髪の美少女が、うるうると涙に濡れた緑の瞳で跪いてすがる。
完璧な活人画だ。
タイトルは「黒蛇姫、異母妹を虐める」か。
やられたなと思いながら、同時に確信する。
二コラ・ジェリオ、このヒロインはやはり曲者だ。
つい先ほどまで、圧倒的な悪者はジェリオ伯爵夫人だった。
国王の寵をかさにきて、第一王女に無礼をはたらくふてぶてしく下品な女。誰が見てもそうだった。
それを二コラは、一瞬でひっくり返した。
今この瞬間だけ見れば、日陰の身の親子を虐めているのは癇癪持ちで有名な第一王女ということになる。
どうしてくれようかしら。
どうするのが正解?
叱ってはいないと、二コラに返事をするのはよろしくない。
無礼にも先に声をかけた伯爵夫人親子の存在を、リヴシェが認めたことになるから。
かといって、このまま無視して通り過ぎようにも正面を塞がれている。こちらが引き返すのも、筋が違う。
立往生とはこのことだ。
「あぁ、リーヴ。
ここにいたんだね。
探したよ」
不意に背後から、聞きなれた声に名を呼ばれた。
けど愛称呼びは初めてで、少し戸惑っていると。
「散歩に出たと聞いたから、追いかけてきたんだ」
レモングラスのさわやかな香りがふわりと鼻先をかすめ、眩い金色の軌跡がリヴシェの正面を終点とした。
すいっと左手をとって唇を落とす。
「今日も綺麗だね。
僕の愛しいリーヴ」
春の陽だまりのように優しく温かく、この上もなく愛し気にラーシュが微笑している。
「なんなの、あなた。
失礼でしょう」
ゴージャスなオバサンが、尖った声で責めるのもガン無視だった。
失礼なのはどっちだ。
リヴシェは内心で返したけれど、表情には出さない。
「たちの悪い虫が王宮に入りこんだみたいだね。
リーヴが毒にあたっては大変だよ。
行こう、リーヴ。
僕にエスコートさせてくれるかい?」
まるでこの場にいるのは、リヴシェとラーシュの二人だけだとばかりに言葉を続ける。
背中できぃきぃ言っている女とその娘は、たちの悪い虫らしい。
助かった。
心からほっとしたら、ようやく笑顔が戻る。
「ごきげんよう、ラーシュ。
ええ、もちろんですわ」
薄い青のジュストコールの腕に手を預けると、「たちの悪い虫」からリヴシェをかばうようにしてエスコートしてくれる。
虫の親子は、勢いに押されるように脇へ退かざるをえなかった。
「お姉さま、怒らないで。
お母さまも私も、ただお姉さまにご挨拶したかっただけなんです」
切なげな涙声が、リヴシェの背中に浴びせかけられる。
いや、だからその声は止めてほしい。
内心で思いきり眉を顰めていると、ラーシュがそっと手を握ってくれた。
見上げると、海のような青い瞳が大丈夫だと教えてくれる。
無視して良い。
関わらなくて良い。
はじめてラーシュを、頼もしいと思った。
「そういえばこの間のお菓子、ずいぶん気に入ってくれたんだってね。
ペリエ夫人から、聞いたよ。
夕食を食べられなかったって」
バラ園の中央にしつらえられた
明度の高い紅いお茶を口にしながら、ラーシュがからかうように笑う。
ペリエ夫人はまた、余計なことを。
「食べられなかったんじゃなくて、食べたくなかったの」
まさか春先、療養に出なくてはならないから、病弱なフリをする必要があるとはさすがに言えなかった。
かなり屁理屈っぽい返しになったのは、とても不本意だ。
それにしても……。
さっきから気になっていることを、リヴシェは口にした。
「さっきの子、わたくしの
ラーシュは王宮で偶然見かけた二コラのはかなげな美少女っぷりに一目で恋に落ちたと、小説ではそういう設定だ。
なにも感じなかったのだろうか。
「血のつながりだけで言うのなら、僕にも母の違う縁者がいるらしいよ。
だけど僕は彼を弟とは呼ばないし、むしろ呼んではいけないんだよ。
正式に認められれば別だけどね」
ラーシュの生家ラチェス公爵家には、二人の男子がいる。ラーシュと跡取りである兄と。公爵夫人腹の嫡出子は二人だけである。
それ以外に男子がいるなどとは、初耳だった。
表に出ていないということは、正式に認められた庶子の扱いを受けていないのだろう。
女神ヴィシェフラド信仰の強いこの国では、愛人の子を堂々と家に入れることはとても難しいから。
愛人の子に好きで生まれたわけでもないのに、そこはなんとも理不尽だとリヴシェは思う。
責められるべきは妻を裏切った男と妻がいることを承知で男を寝取った女で、その結果できた子供ではない。
だから愛人の子だという理由で、リヴシェが二コラを嫌ったことはない。
直情型のリヴシェを利用しようとする狡猾さが、悪役令嬢リヴシェを幸せにしたいと思う現在のリヴシェの癇に障るのだ。
けれど今気にすべきは、リヴシェ本人の思いではなく、ラーシュの思いだ。
ラーシュは二コラをどう思ったか、それが一番知りたかった。
「彼女、さっきの虫だけどね。
リーヴをお姉さまなんて呼んではいけない。
そんな初歩の教育も受けていないんだね」
口調も表情も優しかったけど、青い目だけは笑っていない。
「父に言っておくよ。
あの虫、もう少しマシな教育が必要じゃないかって」
ひゅるると、北風が吹きぬけたような気がする。
怖い。
先ほどの様子では、一目ぼれはないなとは思ったけど、それにしても「虫」だの「マシな教育が必要」だのとは、小説の設定とあまりにも違う。
「ラーシュは、あんな感じの子が好きなのではないの?」
おそるおそる聞くと、よほど意外だったのだろう。
え……と声に出してから、ラーシュはゆっくりと首を振った。
「僕が好きなのは、リーヴだけだよ」
海より青い瞳でまっすぐに見つめられて、天然のたらしっぷりに赤面してしまう。
照れ隠しにティーカップを手にして、場を取り繕った。
「僕のかわいいリーヴをまた煩わせるようなら、あの虫は駆除しないとね」
にっこり微笑むラーシュは、相変わらず天使のようだ。
けれど駆除って、穏やかじゃない。
あなたは、心優しく穏やかな設定ではありませんでしたか。
「安心して僕に任せて」
ありがとうと答えながら、こっちが本性かと怖くなる。
綺麗な優しい顔をした男が、こんな穏やかでない発言をさらりとするなんて。
そこはかとなく漂うのは、ヤンデレの香り。
異世界転生、鉄板のお約束だ。
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