ふたりの契りと美術館
私の精一杯の誘いに、桜子さんは心底困り果てた顔をしていた。さっきから彼女は、顔を崩したり困り果てたりと、本当に凜とした様子は崩れてしまっている。いや。
私の前では、この人も精一杯鼓舞して自分自身を造り上げる必要がない、自然体の自分でいるんだろうと信じたい。そうなんだよね? 多分。
「……大変申し上げにくいことですが、みもざさん」
「はい」
「……私も、女性同士の場合はどうすればいいのかを、その、知りませんので」
「私も詳しくは知りませんけど、とりあえず部屋に行きますか? そこからとりあえず、ネット検索してからしてみましょうよ」
それを言ったら、途端に桜子さんが「ぷっ!」と噴き出してしまった。口元を抑えて、プルプルと笑っている。
「あ、あのう? 私、別に面白いこと言ってませんよね?」
「すみません……ただ、ふふっ。緊張して、私が精一杯エスコートしなければと思っていたのが、一気に気が緩んでしまって」
「よかった、ですね?」
「いいのかどうかはわかりませんけど」
とりあえずふたりで部屋に入ると、肌に塗る保湿クリームを持ってきながら布団を敷き、スマホで検索をはじめた。どれもこれもいまいち痛そうだったり、そもそもこれは互いの霊力を練るためという大義名分があるのに、変に言葉責めがあったりと、なかなか参考になるものはなかった。
「……なかなかありませんね」
「とりあえず、触りながら痛かったら手を挙げてみるというのはどうですか?」
「それ、歯医者さんじゃないですか……」
「いえ、前に私に契約印を刻まれたときは痛くなかったし、多分本番もそんな感じでできないかなあと……」
私があまりにも楽観的過ぎたのか、それとも桜子さんが納得したのかはわからないけれど。
ひとまずスマホの電源は落とされて、ついでに証明の電源も消された。ただストーブの赤々とした色だけが真っ暗な部屋に浮かび上がっている。そこで桜子さんは困った声を上げる。
「……これだと、見えなくないですか?」
「あれ? 私は普通に見えてるんですが……」
そこでようやく、先祖返りであり使い魔の私と、陰陽師であり人間の桜子さんだと、視界も全然違うことに気が付いた。
桜子さんは私を押し倒しながらも、眉を寄せている。
「……とりあえず、私だと『痛い』と手を挙げられても見えません。痛いときは本当に『痛い』と言ってください」
「……この手のことって『痛い』は『いい』って勝手に変換されませんか?」
「元々私は、痛いことしたい訳じゃありませんし、痛かったら二日も霊的訓練ができないじゃないですか」
……これ、二日もするんだ。妙な感動を覚えながら、私は口を開いてみた。
「はい、じゃあ『ヤダ』とか『ヤ』とかも、別に『いい』の意味じゃないと思いますので、そのときも辞めてくださいね」
「……喘ぎ声って、自分でコントロールできるものなんでしょうか?」
「それはわかりませんけど」
こうして締まらない私たちは、保湿クリームだけを頼りに、本当に手探りではじめることになったのだ。
多分桜子さんは才能があったのだろう。触り方も触る場所も、痛いところがどこもなく、ただただ心地がよかったんだ。
****
互いの霊力を練り合い、高め合うという、体液交換。
なんとか終わったときには、私は程よい疲れでとろんとしていたものの、やっていたほうの桜子さんのほうが疲れているようだった。
「あ、あのう……終わりましたけど……桜子さん、大丈夫ですか?」
「……疲れました」
「お、お疲れ様です。霊力って、これで練れたんですかねえ?」
先祖返りになってからもいろいろあったとはいえど、体液をもらうことなんて、自分の理性を蒸発させないためくらいだったから、霊力を練り合い高め合うと言われても、いまいちピンと来なかった。私は霊力を使わず、周りからも『脳筋』と言われても否定できないような戦い方しかしてなかったから、霊力のありがたみが未だにわかってはいなかった。
一方ぐったりしているほうの桜子さんはと言うと。なぜか布団を被っているとはいえど、しきりに下腹部を撫でている。
「……正直、甘く見ていました。あなたとは何度も口で体液交換をしていたと思ったので、もう慣れているとは思っていましたけど」
「え? あの……」
「……お腹がパンパンになっている感じがずっと続いているんです」
「!? 私がなんか変なことしたようなこと言うのやめてくださいよ!?」
「ご、ごめんなさいね。ただ、こんなに鬼の霊力がお腹いっぱいになるって感覚……初めてだったんで……」
私はそれに呆けてしまった。
鬼の霊力については、かなり強いとは聞いていたものの、神通力も使えない私は、ずっと腕力頼みに戦っていたから、霊力でお腹いっぱいという感覚がわからなかったものの、桜子さんがお腹を撫でているのに、思わずこちらも手を伸ばしてしまうと、途端に桜子さんに手の甲を抓られてしまった。
「痛い……」
「……そういうのは、ちゃんと許可取ってからしなさい」
「ご、ごめんなさい……でも、これで桜子さんも強くなった……んですかねえ?」
「一回ぽっきりでは、一回の戦闘で過剰霊力は消えてしまうとは思いますけど……でもこれを何度も繰り返せば私も強くなりますし、あなたが普段使わない霊力を私がもらい受けることで、あなた自身の戦い方もよくなると思います」
「私もですか?」
霊力を使った戦い方をしていなかったので、それには少しだけ驚いた。桜子さんは頷く。
「はい……敵は神ですから。それとも対等に戦えるようになるかと」
「……わかりました」
最後に私は桜子さんに頬擦りをすると、桜子さんは私をあやすように頬にキスをしてくれた。そして互いに手を繋いで眠りにつく。
残り二カ所。あと二カ所で全てに決着がつく。
この町が滅びるか、生き残るか。
私たちが死ぬか、生きるか。
その全てが。
****
翌朝、私たちは朝ご飯とお弁当をつくっている中、風花ちゃんはおずおずと口を開いた。
「あの……みもざちゃん。申し訳ないですけど」
「はい?」
「……今日は、ハイネックを着たほうがいいと思いますよ」
「え、いつもちゃんと首にはマフラー巻いてますけど……外寒いですもんね」
「いえ、その……」
風花ちゃんは言い淀んでから、最終的に自分自身の首筋をトン。と指で叩いた。私は思わず首に触れ、台所にあるステンレス部分を鏡代わりに見る。
……今は冬。虫に刺されたなんて古典的な言い訳が通じる訳もなく。私は口の中で「ひいっ……!」と声を上げると、風花ちゃんはおずおずと尋ねてきた。
「今日のお弁当、お赤飯にしますか? 小豆はありますので、おこわなりお赤飯なりつくれますけど……?」
「わっ! わっ! お赤飯……は、さすがにあれなんで、おこわにしてくださいっ!」
「わかりました……ええっと、おめでとうございます?」
「あ、りがとう……ございます……」
さすがに長年友達を続けてきた子に、そんな祝われ方をすると、気まずくてしょうがない。私が心底恥ずかしがっているのに勘弁してくれたのか、風花ちゃんがつくってくれたおこわは小豆一色ではなく、栗や鶏肉も入ったものになった。
小豆のおこわでおにぎりを何個もつくり、温かいお茶を水筒に入れる。昨日のホルモン鍋の残りのスープでうどんを炊いてそれを朝ご飯にしてから、私たちは会議を行った。
「それじゃあ、おそらくは次の図書館には、仲春と照日さんもいるとは思うけど」
うらら先生の言葉に、桜子さんが口を開く。
「ええ……土日なため、人通りも多いです。その分、そこには既に退魔師と陰陽師の配置の陳情もしております」
「なるほど……私たちが要石に真っ直ぐに行けるようにだね」
「はい」
退魔師さんや陰陽師さんが今回に限りは味方に回ってくれるのはありがたい限りだけれど。でもふたりとも命からがら衣更市から脱出したんだから、そんなことは既に織り込み済みだと思うんだよな。
風花ちゃんがずっと喉に骨でも引っかかった物言いをしていた理由も察することができた。
なんだか、都合が良すぎない? と。
うどんをすすってから、風花ちゃんも口をはさんできた。
「……仮にです。本当に仮にですけれど。照日さんが衣更市の皆さんに対して容赦がなくなった場合は、どうなるんでしょうか?」
「……はい?」
「仲春くんは衣更市出身ですから、故郷の人たちとむやみやたらと戦いたがらないと思いますが。もし、照日さんが人間を守るのを辞めてしまった場合は……どうなるんでしょうか?」
その場が凍り付いた。
……正直、『破滅の恋獄』のゲームをしていたときは、いくらでも好き勝手なことが言えた。ふたりが好き同士で、邪魔する相手なんて全部蹴散らせばいいじゃないって。
でも、記憶が戻って、みもざの記憶を思い返しながら振り返ってみると。ここに先祖代々住んでいる人たちのほとんどは、先祖返りだ。そしてその中の転勤族の中に、人間が混ざっている。
そこに区別付けるのを辞めて「全員敵」認識してしまった場合。
……普通に美術館に来ている人たちや、その付近で仕事している人たちは、全員照日さんの人質というか……弓矢の的になりかねない。
「……その場合、どうなるんですか?」
私は思わず桜子さんを見ると、桜子さんは深刻な顔をする。
「……仮に先祖返りでもなんでもない一般人が巻き込まれて死傷した場合、現状の要石の修繕及び結界修復の件は白紙に戻り……衣更市殲滅作戦に移行します」
「そ、そんな……!?」
私たち、必死に五つ。五つも要石の修繕と修復に時間を費やしてきたのに、それが全部無駄に終わって……この町が戦場になるの?
私や風花ちゃんが震えている中、うらら先生だけが冷静に「やれやれ」と言いながら、うどんを食べ終えた。
「そうなったらそうなったで、こっちも切り札を使うだけさね。やれやれ……本当だったら決戦だってことで衣更城で使おうかと思っていたのに、締まらないねえ……」
「あのう……うらら先生。決戦で使うって……いったいなにをするつもりで?」
「んー? 私もいろいろと被害者なのか加害者なのかよくわからないポジションだけどねえ。少なくとも自分より若い子たちより長く生きようとは思ってないんだよ。もちろん、自ら死出に赴く気もないんだけどね?」
「あの、うらら先生?」
いったいなにをする気なんだ。私と風花ちゃんはハラハラしている中、桜子さんだけ冷静なままなことに気が付いた。
そういえば……桜子さんとうらら先生は成人済みということで、ふたり揃ってお酒を買いに行くことが多かったと思う。既に桜子さんは、うらら先生の切り札について知っているっていうの?
私と風花ちゃんがハラハラしながらも、うらら先生は「よっと」と立ち上がった。
「あまり気にしてるんじゃないよ。使わなかったらそれまでなんだからさ。それじゃあ、早く行こうか。あと二カ所で全部終わるんだからさ」
とにかく、私たちは朝ご飯を食べ終えると、急いでお弁当と得物を携えて、衣更市美術館へと向かったのだった。
あと二カ所。それで、全部終わるんだから。
お願いだから……お願いだから、もうこれ以上邪魔しないで。昨日再会したふたりのことを思って、胃がキリキリと痛んだ。
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