買い物と契約
いさらメディアパークから歩いて数分。そこにショッピングモールがある。
地元民だと結構高めの店ばかり入っているから、いったいどんな人をターゲットにしているところなのかいまいちピンと来ていなかったけれど、おそらくはデート用スポットなんだと思う。
なんてことは、ただ経費で先祖返りとの戦闘で溶けた服を買いに来ただけの桜子さんに言っても仕方がないんだろうけれど。
私たちはコートを買いに店を探すものの、まだ寒いというのにどこの店も商品を春ものに変えてしまっていて、なかなかコートが探し出せないでいた。
「もう……まだこんなに寒いのに、春もの買う余裕なんてあるのかしら。そもそもここに春が来るかどうかわからないのに」
「桜子さん桜子さん、まだここの人たちは、陰陽寮の殲滅作戦なんか知りませんよぉ」
「……ええ、わかっているんだけれどね。そんなことは」
この人はいちいち生真面目な割に、少しでも想定とずれた途端にポンコツな言動を取るなあ。そこがおかしくなってしまうが、ふたりっきりになれたから言いたいこともある。
「あのう……今回はふたりが間に合ってくださったので、私の服が溶けるだけで済みました。風花ちゃんも無事です」
「ええ。次からは、私も式神を使ってもうちょっとあなた方をサポートできるようにしますから……」
「そうじゃなくってですね。私考えたんです」
最初に選択を迫られた頃から、ずっと考えたことだ。もし風花ちゃんやうらら先生が近くにいたんじゃ、きっと止められたから、桜子さんと一対一のときでなかったら言えなかった。
「……風花ちゃんは元の人間にならなきゃ駄目です。人魚の血のせいでいつまで経っても年を取ることができず、ひとりぼっちになっても死ねないっていうのはつら過ぎますから。うらら先生も……今は抑え込まれてますけど、もしうらら先生の発作が起きたら……日常生活送れなくなっちゃいますから、人間に戻るべきです。ただ……」
ずっと考えていた。
この七日間で、残り六カ所の要石を修繕しないといけないけれど、どこか一カ所を落としても、私たちは人間に戻れなくなってしまう。
もし桜子さんがピンチになって、私たちが異形の血の発作に悩まされて理性を飛ばしたら? 異形の血に飲まれて、そのまま我を忘れてしまったら? もう人間に戻れなくなってしまう。
でも……。
みもざは、本当に人間に戻るべきなの? みもざだけは、異形の血の発作や衝動が、プラスに働いているというのに。
「私は、正直このままのほうが、嬉しいです。私自身、自分のことが嫌いで、自信もなくって、だからいじめられて、まともにしゃべれなくなって……鬼の血のおかげで、人を殺しかけても、私はこのままがよかったんです」
みもざのルートは、鬼の先祖返りが普通の女の子に戻る話だけれど。
あれだけ気が弱いみもざが、我を失って生きるルートが本当に幸せなのか、私にはわからなかった。自我が押し流される異形の血を思い知ったときに感じたのは、みもざは異形の血に抗って助けを求めたはずなのに、それが普通の女の子に戻り、完全に自我を隠してしまうのと、異形の血に押し流されて自我を失うのと、どう違うんだろう。
自信のない女の子が先祖返りの力を使って皆を助けることで、やっと自分を肯定することができた。それなのになんの力もない普通の女の子に戻るのって、まるで虎から牙も爪も引っこ抜いて、これから猫として生きろと言っているのと同じようなものだ。自分でご飯を狩ることも敵と戦うこともできなくなったのに、大きさがそもそも違うのに、それを猫だってどうして言えるのか。
失恋のショックで死んでしまったみもざのことを考えると、私はそれがどうしても納得ができなかった。
「だから……どうか桜子さん。私と契約してください。私を……鬼のままでいさせてください」
そう言って頭を下げた。
それを桜子さんは黙って見守っていた。
「……あなたは、自分がなにを言っているのかわかっていますか?」
「わかっています。だって、残り七日間で私たちはひとつも落とすことなく、要石の修繕を行わないとどっちみち町が滅びるんです。だから」
「だから、あなたはなにを言っているのか本気でわかってないんですよ。あなたの生き方は、あまりにも刹那過ぎて、許容できません」
桜子さんはきっぱりと言い切った。
「いいですか? 私は衣更市に来たのは任務のためです。先祖返りの暴走で一般人が巻き込まれる自体が多発したために、調査と衣更市抹消の任務を受けてです。そのことで、あなた方ともさんざん対立したはずです」
「わかっています、そんなことは……!」
「わかっていません! 私はどういう結果であれ、今回の件が終了したら、衣更市から退去します。衣更市抹消か、存続かは関係ないんです。あなたは……この件のために全てを私に捧げるとおっしゃるんですか?」
この人は、いっつもこうだ。
いつも正し過ぎるくらいに、正しい。陰陽寮は男社会であり、結果を出さないと誰も省みることもないから。だからこそ、彼女は正しさが最優先であり……自分を大切にしない人を許すことができない。
口でこそ厳しいものの、桜子さんは私がやっているのは「衣更市の騒動が原因で、自分の人生を棒に振るつもりか、考え直せ」と言ってくれているんだと思う。
でも。桜子さんの考える幸せと、みもざの……私の考える幸せは、決定的に食い違っている。
「……そのつもりです」
「どうしてそこまで……」
「……私は、鬼のままでいたいから。でも、私も人を殺したくありません。殺せと言われた人以外、本当だったら殺したくないです……先祖返りだって、本当は殺したくありませんけど、私も死にたくありませんから、殺すしかありませんでした……私の剣をあなたに捧げます。私が殺してもいい人を、あなたが指し示してください」
桜子さんは、とうとう閉口してしまった。
おそらくは、なに言ってるんだこいつと思われているからだろう。でも、私だって自分が雪消みもざにならなかったらわからなかったことだ。
みもざは、気が弱いからこそ、仲春くんに依存して、ずっと好きでいた。彼のことが好きだったからこそ、彼の求める日常の象徴である、普通の女の子になりたかったんだ……でも、彼はもういない。彼は普通じゃない人をパートナーに選び、衣更市から逃げてしまったから。
みもざは本当に気が弱かったせいで、ショックのあまりに死んでしまったけれど、私は彼女として生きていて、気付いてしまった。
彼女は鬼でいることが楽しかったし、結界が修復されて異形の血が完全に抑え込まれてしまった世界で、なりを潜めて生きることが本当に楽しかったのかがわからないのだと。
もう依存する人がいなくなってしまった以上、今度こそ自分らしく生きたいとなったら、常に陰陽寮で妖怪と対峙している桜子さんに付いていくのが一番いいんじゃないかと。
もし契約すれば、彼女の体液をもらわなくっても私は自我を失わないで済むし……人間に戻らなくって済む。
しばらく黙っていた桜子さんは、やがて長い溜息を吐いた。
「……あなたの心証は理解できました。ただ、私は自分の意思で戦いに身を投じています。この先はあなたを人間扱いできませんが、本当にそれでもかまいませんか?」
「桜子さん。私、他の人にも言われたんですよ。私、執着がないと生きていけないって。心配かけたんです。普通の女の子になってしまったら、普通になることに精一杯で、きっと執着だって持てない……死にたくないはずなのに、死にたくなってしまいますから」
「……あなたのことは、どうして戦闘嫌いなのに、いつも笑いながら戦闘を行ってるんだろうとは思っていましたが……複雑骨折していますね。気持ちはわかります。わかりました」
そう言いながら、店のひとつに入ると、適当にワンピースを二着選んでから「すみません、試着室はどこですか?」と店員さんに尋ねてくれた。
私たちはそのまま試着室に入ると、桜子さんは「脱いで」と黙って指示してきた。
「は、はい……」
「……仲春さんの家に戻ったら、また次いつふたりっきりになれるかわかりませんから。今のうちに契約を結びます」
「な、なにをすればいいんでしょうか?」
「あなたに契約印を描きます」
そう言いながら、桜子さんはまたしても自分の指を噛み切った。血の滴る匂いに申し訳なさを感じながら、私は慌てて着ていたワンピースを脱いで、下に着ていた下着も落とす。
肉付きはお世辞にもよろしくない私の体を一瞥しながら、桜子さんは手早く私の肌に触れ、流れるように血で絵を描きはじめた。
「うう……っ」
「静かにして。背筋を伸ばして」
「は、はいっ……んん」
くすぐったい。なにかが溢れてくる。体の血流を嫌でも意識してしまい、肌もだんだん汗ばんでくる。その中、桜子さんの血で描かれた体中の模様がだんだん熱を帯び、私の中に染み込んできた。
熱い。暑い。あつい。アツイ。
「あっ……あぁ……あ……」
「その熱。意識してください。それが、私とあなたの契約印。私が死んだら、あなたも自動的に死にます……使い魔契約とは、一蓮托生の呪いですから」
「う……うう……」
「ちゃんと息をしてください。あなたが死んでも、私は残念ながら後追いはできません。薄情だと思ってくれて結構です。あなたは私を守る剣となり、盾となり、死ぬ運命です。もう、あなたの命の無駄遣いだけは、決してしてはなりません」
桜子さんの言葉のひとつひとつが、私の中に刻み込まれる気がした。それで私は歓喜に震える。
……桜子さんは怒るかもしれないけれど、これが、私が私らしく生きて、友達を守るための方法だ。
「……ありがとう、ございます」
あれだけ発汗するほど暑かったというのに、熱はだんだん引いてきた。もう体中に描かれたはずの模様は、どこにも見えない。
「あの……これで契約は完了しましたか?」
「はい。もう私の心臓にあなたの心臓は繋がりましたから。服を着替えてくれていいですよ」
「あ、わかりました……あのう、このワンピース返したほうがいいですかねえ?」
桜子さんが選んできたワンピースは、真っ黒なロングワンピースで、どことなくゴシック名イメージが纏わり付く。私の普段履いているスニーカーよりも、ブーツのほうが似合いそうな感じだ。
「いいえ、そのワンピースは差し上げます。経費ですから」
「えええええええっと……そこまで、してもらう謂われは」
「あります。あなたの全人生、私がお買い上げしたようなものですから」
そうきっぱりと言われてしまうと、私も無下に断ることもできず、ただ「……ありがとうございます?」としか答えることができなかった。
ワンピースを二着お買い上げで、ついでに「このワンピースに似合う冬物コートありますか?」と尋ねてくれたら、売上アップでうきうきの店員さんが引っ張り出してくれた。
上質なレザーのロングコート。暖かいけど、値段は怖過ぎて確認できなかった。そしてロングワンピース。靴までミリタリーブーツを買ってくれて固めてくれたので、普通の女子高生のおしゃれ着が、一気にミステリアス冬仕様に変貌を遂げてしまった。
「……どうして、ですか?」
「いけませんか? 使い魔に、自分好みの服を着せただけですけど」
「……私よりも、桜子さんのほうが似合うと思いましたけど」
「……私が着るには、仕事に差し支えますし、ロングコートで剣を振るうのって、格好いいじゃありませんか」
そう言われてしまったら、もう私もなにも返すことができなかった。
ロングコートで札を操る桜子さんは、きっと格好いいだろうに。
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