人魚の迷いと日常風景
次の日、最初は皆でいさらメディアパークに向かうとなった。言い出しっぺの桜子さんに、私は思わず突っ込む。
「ですけど……二手に分かれて要石の修復をすれば……」
「いいえ。修復はそもそも風花さんにしかできませんし。うらら先生と風花さんは、仲春さんの体液が残りどれだけ体内に残っているかわかりませんから」
それに周りは押し黙る。
……私は自分が先祖返りの血に飲まれかけたことを思うと、たしかにと思ってしまう。私の場合は今すぐにでも人を殺したい衝動に体が引きずり回されて、自分自身が消失する恐怖に襲われた。
風花ちゃんやうらら先生の場合も、仲春くんから体液をもらってから衝動は起きてないけれど、いつ起きるかわからない。その場合は。
……桜子さんがふたりに体液を分け与えるしかない。それにザリッとしたものを感じて、私は目を瞬かせた。どうしてザリッとするんだろう。
仲春くんとキスしていても、なんとも思わなかったのに。どうして桜子さんだと駄目なんだろう。
その答えが出せないまま、とにかく風花ちゃんは手を叩く。
「わかりました。でもいさらメディアパークに行くとなったら少々遠出ですから、お弁当がいりますね。わたし、つくります!」
風花ちゃんが空元気でそう言うのが、私には心苦しかった。
仲春くん家の台所は、昔ながらの武家屋敷のせいか、土間にかまどの代わりにガス台が置かれ、作業台と流し場があるという、昔と今が混ざり合ったつくりとなっている。当然ながら冬場だと寒く、そこで風花ちゃんは真っ黒なワンピースの上に仲春くんが家に残してくれたエプロンを巻いて作業をしていた。
家電は普通に置かれているけれど、この土間だとICコンロの設置は難しいだろうなあ。私はそうぼんやりと思いながら、風花ちゃんの手伝いに顔を出した。
「風花ちゃんがお弁当つくってくれるなら……私は朝ご飯をつくりますね」
「ありがとう、みもざちゃん。じゃあお米を洗って、炊飯器にセットしてください」
「炊飯器ね。了解」
米びつからお米をボウルに入れて、ザクザクと洗っている中、風花ちゃんはお弁当用に卵焼きをつくって、鮭の塩漬けを焼き付けていた。
「風花ちゃん。あのう……」
「……正直、桜子さんとキスするのは、怖いです」
「えっ?」
風花ちゃんは複雑そうな顔をしていた。
……そりゃそうだ。彼女はなんとしても先祖返りの血を鎮めないと、人魚の血が活性化していたら、年を取らなくなるし、怪我だってしなくなる。人魚の肉は不老不死の薬として使われたのは古今東西有名な話だ。だから彼女はそもそも桜子さんと契約するって選択肢はない。
でも、彼女だって仲春くんが好きだったんだ。自分の正気を保つために取る選択肢を浅ましいと考えて、絶望してしまう気持ちもなんとなくわかる。
「……暴走してしまうよりも、いいと思いますよ」
「みもざちゃん?」
「……私、桜子さんに無理矢理キスされなかったら、きっと正気に戻れませんでした。目の前の先祖返りをズタズタの細切れにすること以外、頭からなくなっていましたから……あんなに自分自身が押し流される感覚、もうこりごりです」
それに風花ちゃんは押し黙ってしまった。
お米は炊飯器に水を入れてセットする。
大根は皮を剥いて、いちょう切りにして鍋に落とす。これは朝ご飯の味噌汁にする。大根の葉は切って炒めて、お弁当のふりかけだ。
豚コマは炒めて、そこに生姜チューブと醤油とみりんでつくったタレを回しがけにして生姜焼きにする。生姜焼きは脂が回りやすいから、朝ご飯で皆で大根と薄揚げの味噌汁と一緒に食べよう。
大根と薄揚げの味噌汁、生姜焼き。ご飯。私が朝ご飯を完成させている間に、風花ちゃんもお弁当を完成させた。
大根の葉っぱのふりかけのかかったご飯。鮭の塩焼き。卵焼き。きんぴらゴボウ。ピカピカで綺麗だ。
「おいしそうです……」
「みもざちゃんの朝ご飯も、なんとなく料亭っぽいです」
「料亭、もっといっぱい皿出るし、多分生姜焼きは出ないと思うな! とにかく運ぼう」
「はあい」
なんとなくいつもの雰囲気になってしまったけれど。
私は不安に駆られた。
……風花ちゃん、最後に仲春くんから体液をもらったのはいつだっけか。もし桜子さんから体液をもらうとしたら……それは今日かもしれない。
彼女の理性が飛んだら、いったいどうなってしまうのか、私だって知らない。いつもおっとりとしていて温和な風花ちゃんは、戦って荒ぶる私やうらら先生のストッパーになってくれていたから。
そんな彼女から理性を失って欲しくないけれど……桜子さんとキスするんだ。
体液だったらなんでもかまわないとはいえど、そう何度も何度も手を切ってくれと懇願するのは違う気がする。桜子さんだって痛いから。
……私、なんだかずっと変だ。風花ちゃんの心配をしたいはずなのに、桜子さんと誰かがキスをしてほしくないってことばっかり考えている。
……いくらなんでも浅ましい。
自己嫌悪を抱えたまんま、ふたりでご飯を持っていった。
既に着替え終えた桜子さんとうらら先生は、出かける準備をしていた。
「それで……私もいさらメディアパークってどんな場所か知らないんですけど……」
桜子さんは今日は巫女装束ではなく、歩きやすいようにデニムに黒いタートルネックのセーターを纏っている。一方うらら先生は真っ白なとっくりセーターにデニムを纏っていて、シンプルな格好にもかかわらず、体のラインが露骨に出る格好のせいで、色気がダダ漏れになってしまっている。普段は上から白衣を着ているおかげで、かろうじて先生らしさを保っていたものが、要石の封印をどうにかしない限りは学校に行ける訳もないし。
桜子さんの質問に、味噌汁をすすりながらうらら先生が説明してくれた。
「最近公募で決まった名前だから、メディアパークもなにも、あれ図書館の名前だよ」
「……そうだったんですか?」
「正確には、元々あった市立図書館に、地元の有志のつくった私立図書館が合併してつくった複合型施設……で、いさらメディアパークだよ。要石があるとしたら、おそらくはカツカツの運営状況の市立図書館のほうではなくって」
「……私立図書館のほうですか」
一応いさらメディアパークは入場料がかかるものの、地元の高校生以下はただだ。大人のうらら先生や出向組の桜子さんは払わないといけないものの、この辺りの予算は全部陰陽寮が出してくれるらしいので、それで賄ってもらうとして、私たちは出かけることにした。
そういえば。朝ご飯の味を聞けなかったな。それぞれの服の上にコートを羽織ってから、出発する中、私はひそかにそうごちた。
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