04 第三王子は苦労人?


 淀んだ沼のような水辺に出た所で日が暮れて、その近くの重なり合った倒木の狭間で野営をすることになった。

 ぐったりと蹲った菜々美が目だけを男に向けると、何かの石のようなものを周りに5か所くらい置いている。

「何をしているの?」

「魔物除けの魔石だ」

 淡々と答えた男は菜々美の近くに戻り、煉瓦ぐらいの石で囲みを作って、その中に拾って来たらしい枝木を入れ火を起こした。

(ん?)

 鍋を出して水を入れる。

(んん??)

 湯を沸かして干し肉を出して入れる。彼はベルトにポーチのような物を下げているだけで何も荷物を持っていない。

(魔法か? 魔法なのか?)

 しかし、干し肉とか鍋とかまで魔法で出せるのか?


「何処から出しているの?」

「お前はマジックバッグを持っているだろう?」

 パンを出してナイフで削りながら言う。

「持っているわよ。服を出したでしょう」

 削ったパンを何枚か寄越して器を出してスープを入れてくれる。

「ありがとう」

 何処から何処までが魔法で、何処から何処までがマジックバッグなのか。火とか水とかは魔法なのだろうか。


【アイテムボックス】に入っていたマイ箸を取り出して、パンをスープに漬けてお箸で食べると、じっと見ていた男が「食べ物は無いのか?」と聞いて来た。

「あいにく何も──。こっちに来ると分かっていたら色々持って来たかった」

 ガムとかチョコとかご飯とか、何か腹立つ。口惜しいっていうか。


「異世界人は面白い食べ物を作ると聞いていたからな」

「材料があったら作ります。でも、料理はあんまり得意じゃないです」

「気にするな。服が面白かったので聞いただけだ」


 この男は鷹揚で育ちがいいように思える。いやらしさも下卑た様子もない。

 赤い火が男の横顔を照らす。鼻すじ通って顎の線も綺麗だ。

「こちらではマジックバッグと言うのね」


「そうだが、こちらの世界では持っていない者の方が多いから、人前でやたらと出すな。危険だ。始めから何か入れて来ている者の話は聞いたことが無い」

【アイテムボックス】には普通、最初は何も入っていないらしい。菜々美も聞いたことがない。ゲームだと初期装備くらいだ。


「大体、お前は何も持っていないと鑑定した者が言っていたが」

 最初に自分でステータスを見た時も、名前と歳と【巻き込まれた異世界人】としか出なかった。言葉も遅延して分かりにくかったし。


「多分バグがあったんだわ。召喚儀式の不具合で私まで来てしまったのかも」

 ゲームではエラーが出て落とされたり、巻き戻しで素材が無くなったりとかあったけど。

「バグとか、聞いたことが無いな」

「そう? 小さな虫の所為で間違いが起こるのよ」

「そうか、魔法陣の中に潜り込んでいたのかな」

「きっとそうだわ」


(私の平凡で適当である筈の人生は、とんでもないことになってしまった)

 これはラッキーなのか、それともどん詰まりなのか。

 でもこれからは、適当でいい加減な諦めた人生ではなく、この手で人生を掴み取って生きて行かなければならないのだ。誰の所為でもなく自分の責任で。


(ああ、自己責任か──。神様がちゃんと生きなさいって、この世界に放り込んだんだろうか。…………。多分違うな。ただの間違いだな)

 菜々美はごく普通の女子高生、いや女子大生になる予定だった。


「あなたは何であそこにいたの?」

「召喚の間か?」

「ええ」

 追手が敬語を使っていたし、聖女召還って国家的な行事じゃないのか。

「私はこのアンベルス王国の第三王子だ」と、男は宣った。

「ええ! そうなんですか」


 なるほど気品のようなものを感じるし、位が高い人は美形が多いともいうし。

「殿下って言った方がいいですか?」

「いや、もう出奔したからな」

 男は肩を竦めた。


「王子様だったら付き人とか近侍とか侍従とか護衛の騎士とか……」

「国家反逆罪になるかもしれんし、おいそれと連れて行けない」

 菜々美は唖然とした。そうだ、たった今、国家行事じゃないかとか思ったばかりだった。国の方針を裏切って異世界人を奪って逃げた──、ことになるのか?


「俺はこの髪色で馬鹿にされ、ないがしろにされた。剣を頑張っても、学問を頑張っても、いや頑張れば頑張る程、見下され冷たい目で見られた。だがお前は俺を選んだ。並み居る麗しの王子達の中から俺を──」

 私から俺になった。


 この人、王子様だったのか。その割に隅っこの方に居たな。他の貴族っぽい人々は金髪碧眼や色の薄い人ばかりだった。髪の色だけで差別される世界なのか。


「せっかく選んでもらったんだ、選んでもらっただけのことはしよう」

 そう言ってニカリと笑った。彼はちょっと目付きが鋭くてきつい顔をしているのだけど、笑うと目がフニャンと猫のような糸目になって可愛い。


「俺の名前はエラルド・ルフィーノ・ラ・ペンナという。エラルドで構わない」

「エラルド様? 私は菜々美です。あ、18歳です」

「ナナミか、呼び捨てでいい。俺は20歳だ」

「よろしくお願いします」

(もっと上に見えたけど、二つ上か)


 じゃあ今回の聖女は王子と結婚もありなのかな。年齢的にちょうど良さそうだし、あの人、美人だったし。

「聖女様って王子様と結婚するのよね?」

「決まっていないな」

「そうなの?」

 あの人は栗色っぽい茶色の髪だった。

「召喚された女性って黒髪ばかりじゃないの?」

「色々だ。記録には金髪や銀髪、赤毛の女性とか黒い肌の女性とかあったな」

 日本人だけじゃないのか。

「お前のように来て嫌がったり泣き喚く者はいないらしいが」

 むっ、勝手に召喚して迷惑極まりないって思うんだけど。


「あのう、召喚のシステムについてお聞きしてもいいですか?」


 聞かなければいけない。

【アイテムボックス】に入っていた物が何を意味するのか。

「私は帰れないんですか?」

 召喚の間で聞いたが、もう一度確かめる。

 エラルドは淡々と答えた。

「こちらに召喚されたことで、お前の存在は無かったものにされる」

「はあ?」

「お前のいた痕跡は全て抹消される。そう聞いている」

「抹消されるって……」

 菜々美は脱力した。


(元の世界に私はいないのか。行方不明や死ぬよりマシなのだろうか?)

 自分の影が三倍薄くなったように感じた。

(誰も私を待ってくれたり、探してくれたり、悲しんでくれたりしないのか)

 少しの風にも吹き飛んでしまいそうな気がした。

「はあ……」

 涙も出ない。


【アイテムボックス】には菜々美の私物が全部入っていた。消さないでこちらに送ってくれたのは、善意だろうか、謝罪だろうか。──きっとバグだな。


 エラルドが菜々美の頭をポンポンと撫でた。

 隣にいる男を見上げる。くせっ毛の黒髪の後ろを三つ編みにして垂らしている。

 菜々美が巻き込んで、彼は第三王子の座を捨てて一緒に来てくれた。

 エラルドの手はゴツゴツしていて傷痕があった。

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