第3話 あの日見たスタンドの風景
「腹減ったー」
「せやなー」
「お腹空きました」
「私も」
同期の4人が、輪になって、就寝前のロビーに集まっていた。
最初に発したのは、同期で18歳の
そして、「大林」という苗字で呼ばれるのを意識してか、彼は「凱」と呼ぶように強制していた。もっとも、私自身、「おおばやし」なんて呼びにくいから都合がよかったが。
スポーツ刈りの甲子園児みたいな、日焼けした明るい笑顔を見せる男だが、どうも山ノ内昇太とは別の意味で、私の苦手な部類だった。「凱」という名前は、もちろん世界最高峰の競馬レース、フランスの「凱旋門賞」を意識しているのだろう。
それに山ノ内昇太、川本海、私が続く。
競馬学校というのは、競馬界の明日を担う若者を育成するが、同時に想像を絶する「過酷な」世界の一端を容赦なく見せつけてくる。
入学する時は、体重制限が44.0~46.5キロ。卒業時の上限体重が47.5キロと言われている。
それは「食べ盛り」の少年少女たちにとっては、「地獄」に等しい日々になる。
そのためもあって、減量生活と、寮生活、そして毎日の過酷なトレーニングに疲れ果てた日、たまに空腹すぎて、夜中に目が覚めてしまうことがあった。
その日は、卒業を間近に控えた2035年1月の下旬だったが。
猛烈に寒い一日でもあり、寒さと空腹で起き上がった私に、同室の海ちゃんが声をかけ、コートを着て、二人で部屋の外に出たら、廊下から続く、階段前の共有スペースでもある寮のロビーのソファーに、上記の二人の男子が座っていたのだった。
「なあ」
不意に、凱くんが呟いた。
「ん? なんや?」
「みんなは、何で騎手になろうと思ったの?」
根本的な問いかけではあるが、確かに私もそれは気になっていた。凱くんのように、父が騎手で、ごく自然に目標になるのとは違う以上、みんな心に何かしらの「インパクト」があったから、騎手を目指したのだろう。
「俺は、誰よりも強くなって、勝ちたかったからや」
山ノ内くんが右拳を握り締めていたが、凱くんは笑っていた。
「何、その格闘家みたいな目標。プロボクサーにでもなればいいじゃん」
18歳と、海ちゃんと同年齢で、この中では最年少ながら、この凱くんだけは敬語を使わない。もっとも、この中でそのことを咎める人は誰もいなかったのだが。みんな、そんなことを気にしている場合ではなかった。
「アホ。格闘家とはちゃうんや」
「何が違うの?」
すると、山ノ内くんは、難しい顔をして、腕組みをしながら考え込んでしまうのだった。やや間があってから、
「俺は頭悪いさかい、うまく説明できんが。馬に乗って、地平を駆け巡る、何とも言えへん高揚感っちゅうかなあ。まあ、元々俺は、乗馬クラブでその感覚を味わったんやけどな」
とは言っていたが、正直、私にはよくわからない感覚だった。その上、乗馬クラブの馬なんていうのは、大抵、人間を満足させるために、言わば「去勢」されたような状態に等しい。暴れ馬なんていないし、逆に言うと、彼はそんなにスピードを出して乗っていたのか、と動物虐待すら疑ってしまう。
「ふーん。じゃあ、海ちゃんは?」
「私は、そうですね。テレビで見た騎手がカッコよかったから、ですね」
「誰、誰? ひょっとして父さん?」
凱くんが、父と言っているのは、もちろん現役騎手の大林翔吾のことだろうが、海ちゃんは、苦笑しながらも首を横に振った。
「
「ああ、やっぱり」
「だよね」
凱くんと、私は予想していた答えに、失望と安堵の感情をそれぞれ抱いていた。しかし、山ノ内くんだけは、無言のまま、相変わらず腕を組んで難しい顔をしていた。
武政修一。この競馬界では「伝説」級に勝っている、超有名な騎手で、10年連続でリーディングジョッキーになり、すでに通算3000勝は達成している騎手。恐らく、競馬界に詳しくない人でも、名前くらいは聞いたことがある存在。
もちろん、私も知っていたし、憧れはあった。ただし、長坂琴音の次くらいに。
「小さい頃に、父に連れられて行った、中山競馬場で見た武政さんは、最高にカッコよかったんです」
「なるほどねー。まあ、父さんじゃないのは残念だけど、気持ちはわかるわー。んじゃ、優ちゃんは?」
相変わらず下の名前を軽く呼んでくる、軽い男だと思ったが、私は構わずに答えを頭の中に展開する。
そう。それは遠い過去の記憶。私が初めて、大きな競馬場に行った時のことだ。
2023年8月、札幌。
道都、札幌。人口約195万人を擁するこの北の大都会では、毎年8月に札幌競馬場で「札幌記念」というGⅡのレースが開催される。
いわゆる「夏の競馬」と呼ばれるもののメインレースだった。
当時も今も、日高地方の門別では、地方競馬が開催されている。いるのだが、地方競馬と中央競馬では規模が格段に違う。
私は、家が日高だった関係で、物心ついた頃に、祖父に門別競馬場に連れて行ってもらったことがあった。
もちろん、それはそれで嬉しかったし、初めて「競走馬」という物を見たのはその時だった。
ところが、9歳のこの時。初めて札幌競馬場に連れて行ってもらった時に味わった感覚は違ったのだ。
パドックに現れる無数の馬を間近に見られるのも、もちろん感動したが、ここ札幌競馬場には門別競馬場にはないものがあった。
芝生席だ。芝生席からは柵のすぐ向こう側にコースがあり、文字通り、間近で馬が見れるのだった。
札幌記念はGⅡとはいえ、今やGⅠ級と言われるくらい大きなレースで、過去にGⅠを勝った馬が何頭も出走する。
それら、テレビで活躍が見れるような競走馬が、目の前のレース場を通過していくのは、驚きを通り越して、新鮮すぎて、興奮する出来事だった。
一際大きな体の、サラブレッドたちが大地を揺らすように、目の前をすごいスピードで駆け抜けるのだ。
幼い私は、父に手を引かれ、その柵の前で馬を見ていたが、文字通り、目を見張っていた。
「お父さん! すごいね、ここ。お馬さんが目の前で見れる!」
「おお、そうだろ。気に入ったか、優」
「うん!」
幼い私の記憶の中で、鮮明に覚えていて、記憶にこびりついている光景。
その中で、私は「馬」、特に「競走馬」について触れ、そしてそれら馬に乗って、操る「ジョッキー」という存在に、一種の憧れを抱いたのだ。
恐らく、それこそが、私の騎手への憧れの
だが、回想を話し、思い出から戻ってきたような私の心地よい感覚を、無遠慮に奪ったのは、いけ好かない山ノ内くんの言葉だった。
「ふん」
バカにしたように鼻で笑ったかと思うと、
「お前には競馬は向かん」
と言ってきたのだ。
「どういう意味?」
「そのまんまの意味や。お前はな。『優しすぎる』んや」
「この前は、『甘い』って言ったり、今度は『優しい』って言ったりどういうこと?」
珍しく私が、食ってかかったからだろう。
いつもは、流すようにお茶を濁す彼が、渋々ながらも口にした。
「競馬はな。『馬が好き』だけではやっていけへんのや。小学生の遠足とちゃうんやで」
さすがにそのバカにしたような物言いに、私も腹が立って、言い返そうと思ったが、その前に、
「まあまあ、2人とも」
手で制したのは、騎手の息子の、ある意味、サラブレッドの凱くんだった。
「凱くん」
「ふん」
しかも、何か上手いことでも言うのかと思いきや、彼の口から出てきた言葉も、ある意味では私を「バカにする」言葉だったのだ。
「優ちゃんは、可愛いから、たとえ勝たなくても人気が出るから大丈夫」
「ちょっと、それフォローになってないよ」
「えー。せっかく褒めてあげたのに」
不満そうに口を尖らせる凱くん。このお調子者も私はどちらかというと苦手だった。
その時だ。
「お前ら! 何してる! さっさと寝ろ!」
拡声器がないのに、まるで拡声器を持ってきたかのような怒声が階下から響いてきて、懐中電灯の灯りが階段の下から見えてきた。
鬼教官のお出ましだ。
私たちは、蜘蛛の子を散らすかのように、それぞれ一目散で、部屋に走って逃げるのだった。
競馬学校の青春の日々は、「楽しい」よりも「ツラい」の方が、はるかに多い世界だった。
その日、私が夢に見たのは、ニンジンを生で食べる私の姿だった。
同年、2035年3月。私は、この競馬学校を無事に卒業し、騎手免許試験にも合格した。
ところが、本当の意味での「地獄」がこの後に待っていたのだ。
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