第2話

 *

 その引っかかりを思い出すことになったのは、ガンズヘイルをNemeとプレイするようになってから半年が経った頃だった。

 都式は、ヘッドフォンを外して、

「Nemeさんってもしかして、ねむさんですか?」

 日課となったUnder Crown──アンクラ──の配信を終えて、ディスコには二人しかいない状況で都式は口を開いた。ディスコードに繋いだマイクの手触りを確かめながら。

 半年前と心境は真逆の状態で、都式はその真偽を恐る恐る尋ねた。しかし、恐れることが必要ないくらいその質問は確信を持って訊いた。恐れたのは、それで関係性が崩れてしまうことだった。

「あーばれたか」

 あちゃー、とでも言うかのようにNemeは白状した。あれだけお互いの個人情報を気にした会話をしていたのに、ほんの少しの興味で扉は開かれてしまう。

「っていうか、Nemeさん、ガンヘ(ガンズヘイルの略称)の公式プロモーターじゃないですか」

「いや、気付くの遅いよ」都式のその言い方にむしろ怒り調子になりながら「あまりに気づかないものだから、わざと気を遣って触れてこないのかなと思ってたじゃん。ユーチューブとか見れば一発なのに」

「切り抜きをたまたま今日見たんですよ」

「このタイミングで⁉︎ 普通ハマったらもっとすぐにプレイ動画とか見るよね?」

「アンクラの動画しか見てなかったんです。毎日チェックしないと今の環境がわからなくて。ガンヘのプレイングはNemeさんがコーチングしてくれるし、見る必要なかった。いや、見てたとしてもVチューバーの配信ばっか見てたんで気づかなくて」

「なるほど」

 なるほどじゃないけどね! とNemeはすぐさま自分にツッコんだ。

「じゃあ一回食事でも行く? 私もそういう秘密がなくなったわけだし」

「いいですね。先週の大会のお祝い会でもしますか」

 

 *

 ぽんぽんと話は進み、新宿のサブカルバーで飲むことになった。お互い新宿は三十分ほどで行ける距離にあり、ちょうど良かった。都式は、先日のUnder Crownアジアウィンターカップ予選で三位という結果に落ち着いた。あれだけ毎日一緒にゲームをしていてもNemeは大会に出てくれなかった。本業との兼ね合いがあったからだ。アンクラは日本発のゲームということもあって、世界大会の枠は特別に一枠多かった。ぎりぎり、都式たちは世界への切符を手にした。

 新宿駅の東口で都式はNemeと待ち合わせていた。東口の二階はスタバがテナントに入っており、ちらほら飲み物を持っている人が、特にカップルが待っている都式のもとを通り過ぎた。片手で飲み物を持ち、もう片方はパートナーと手を繋ぐ。冬の落ちた時間帯ということもあり、肌に沁みる寒さが心まで沁みていった。

 Nemeが、「ねむ」という人物であることを知ってから、彼女の容姿は検索するたびに目についた。ゲームの顔であるということもあって、可愛いのは言わずもがなだった。有り体にして言えば、都式はねむに見惚れた。都式自身、ただのゲーマーであることを自覚している分、ガンズヘイルをやる時は、有名配信者とマッチングしないかと願うことはある。自分が配信者であるがために、知名度獲得のためにマッチングしたいという気持ちもないわけではなかったが、そんなのものは全体から見れば誤差に等しい。とにかく、半年間数千試合を潜ってきた異性のアンクラ仲間のことを意識しないわけがなかった。

 彼女のために人気が少なくなったのかと思うほどだった。上はケーブルニット、下はストレートレッグジーンズ。ケーブルニットをストレートレッグジーンズの臍のあたりに中に入れている。更に彼女の魅力を引き立てているのは、青いコートだった。ゆるやかさとスタイリッシュさを両立しており、都式は完全にNemeしか見えていなかった。

 都式も出来るだけ背伸びした格好で来ていた。そのお陰か、見劣りすることはなかった。

「式くんだよね? すぐわかったよ」

 その言葉が発せられたのは目があってすぐだった。都式は過去に一度、メディアへの露出をした。優勝した時に、優勝チームとして写真を撮られた時だ。Nemeはその時「式」として紹介された人間を覚えていたということだった。そのことを都式はやりやすい、という程度にしか考えていなかった。コミュニケーションをする上でいちから会話を成立させるというのは都式にとっては億劫になりがちな事案だった。

「ほんとですか? 俺もすぐ分かりましたよ。オーラが凄くて」

 適当な会話を楽しみながら、二人は目的地へと歩き出した。新宿駅東口から歩いて十分。三叉路の角にあたる建物の地下一階に「タイプA」というアニメバーはあった。

 黒板には「店長のおすすめアニメランキング」と題されたランキングが、壁にはひと昔前のアニメキャラが、そして昔のアニソンが天井から吊られているモニターで流れている。バーカウンターでは普通のバーよろしく酒が所狭しと並んでおり、お通しではアヒージョが出てきた。

「飲み放題にします?」

 これまでの会話でお酒の話題が出たことはあまりなかった。Nemeがどれくらいお酒に強いのかも都式はわからなかった。

「いいよ、しよう」

「結構種類ありますね」

 おなじみのカクテルから日本酒まで、普通の居酒屋の二、三倍は選べる量があった。もちろん、ノンアルカクテルも。

「じゃあ俺はシンデレラで」

「私は獺祭」

 店員さんが注文をとり、はけていく。

「あ、乾杯するなら普通にお酒の方が良かったですよね?」

「まあ気にしないで」

 ふっ、と笑って、宙で乾杯と言った。

「三位おめでとう〜」

 シンデレラは甘さがすうっと広がって美味しかった。オレンジとほどよい酸味に、レモンの酸味が後追いをかけて、その中にパインの甘さがくる。

「ありがとうございます。今回は優勝できなくて残念でしたけど、次は頑張ります」

 大会後の感想戦と似たようなことを口走る。本当はもっと悔しかったし、その結果に落ち着いたことのあらゆる怒りが、たびたび自分に襲いかかってくる。プロゲーマーの寿命は短い。モラトリアム期間で悠々自適にゲームしていた頃とは違う、という焦りが都式にはあった。

 店のスタッフが常連客に話しかけにいく。やけにフレンドリーで一緒に写真を撮ったりしている。陽キャな雰囲気に、都式は慄いて、Nemeと同じ獺祭を頼んだ。メロンを想起させるフルーティな味に、最初からこれを頼めば良かったと自分のダサい振る舞いを後悔する。

「最近生活どう?」

 あれから似たような生活が続いていた。単位を取り切り、卒論も書き終わった都式は、やることもなくて以前にも増してゲーム中毒──大会で勝つためにアンクラをプレイしていた。

「似たような毎日ですね。変わり映えのない生活で、しかもずっとゲームしてるんで堕落しきってます。それに──」

 獺祭を一口含むために言葉を区切った。それに合わせて、Nemeもグラスに残っている獺祭を飲みきる。

「アパートの契約も切れるんで、部屋も探さないといけないし」

「式くんは、東京に残るつもりなの?」

「そうですけど」

 漠然と考えていたことだった。そのようになっていく、とばかり思っていて、綺麗に思い描いたことなどなかった。

「じゃあ、私と一緒に住まない?」

 Nemeは衝撃の提案を都式にした。会って一日も経っていない男に、何を提案しているのだろう、と都式は思う。

「だってさ」酒の勢いもあるのか、Nemeは自信げに「私たち半年間毎日ボイチャ繋げてゲームしてるんだよ? それも結構長い時間。それってもう一緒に住んだ方がよくない?」

 都式が言葉に詰まっていると、それにそれに、と追撃をかましてくる。

「今、いいなと思ってる部屋があって。防音室完備で、配信機材も置ける部屋なんだけど。家賃がぎりぎり出せないの。新宿のアクセスもいい! 防音室二部屋あるから、式くんも配信で使えるし」

 そう捲し立てると、Nemeはおかわりを頼んだ。

 都式の方にデメリットはなかった。ただ、今の自分にまともな判断ができないとわかっているからこそ、その話が旨く聞こえた。

「その話って、交際を前提にしていますか? することって出来ますか?」

 何を言っているんだろう? 何を言っているのか自分ではわからない。酔いがただ心地よい。都式の中で不敵な笑みが浮かぶ。ふふふ、と心が笑う。

「いいよ。そうする?」円な瞳で言う。

「じゃあ、引っ越します」

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