17

「ご主人様、ごめんなさい……。美濃お姉ちゃんと国上お姉ちゃんが……」

「いいんだ、狸ちゃん。僕の方こそ、ごめん。よく頑張ってくれたね」

 男は、しゃがんで、ブロック塀にもたれかかる狸――と呼ばれた少女に向かって手をかざすと、その身体の傷がみるみるうちに癒えていった。

「喋れるかい、狸ちゃん。ゆっくりでいいから起こったことを教えてくれないか」

「は、はい……。さ、作戦通り美濃お姉ちゃんがあの化け物を倒したと思ったら……と、突然身体中にまとわりつくように……」

 狸は、震える声で、何とか絞り出すように云った。

「力を取り戻した口裂け女に、完全に取り憑かれたってわけか……。しかし、回復があまりにも早すぎる……。それで、国上君はどうなった」

 男は、辺りを見回す。

「く、国上お姉ちゃんは、美濃お姉ちゃんに連れ去られてしまいました……。ご、ごめんなさい……」

 狸は、申し訳なさそうに俯いて云った。

「いや、いいんだ。狸ちゃんは本当に十分に活躍してくれたよ。僕達に知らせてくれてありがとう」

「狸お姉ちゃん、帽子あったよ~」

 反枕は、落ちていた帽子を持ちながら、こちらに駆けてきた。

「あ、ありがとう、反枕ちゃん」

 狸は、少し落ち着いたようで、微笑みながら云った。

「二人……否、三人がどこに向かったかわかるかい?」

「え……?は、はい、私の尻尾の毛を美濃お姉ちゃんの制服に付けておきました。場所は……」

 駅のようです、と狸は、再び震える声で云った。

「やっぱり、きさらぎ駅か」

 男は、覚悟を決めたような、落ち着いた口調で云った。

「反枕ちゃん、狸ちゃんを連れて現実世界で待っていてくれ」

 男はそう云って、ゆらりと立ち上がった。

「ご主人様!私もまだお役に立てます。そ、それに美濃お姉ちゃんと国上お姉ちゃんが……」

「大丈夫、心配するな。彼女達は僕が必ず連れて帰る。だから、あっちで待っていてくれ」

 男は、静かに、しかし、力強い口調で云った。

「わ、わかりました……。お気をつけて、ご主人様」

「お家で待ってますね、ご主人様」

 狸と反枕はそう云って、夜の闇の中に消えていった。

 男は、二人が完全に消えるのを見届けると、暗闇の街中を駆けた。

 先程まで黒いスーツに黒いネクタイを締めた姿であったのが、闇夜の影に紛れた刹那に、黒衣の和装へと変わっていた。

 しかし、その手に嵌めた白い手袋だけは変わらず、甲の五芒星の印が妖しく光っていた。夜の闇に加え、服装まで真っ黒であるため、余計に存在感を放っている。

「さて、どうしたものか」

 男は、住宅街の屋根を次々に飛び、駆け抜けながら云った。

 およそ人間にできる芸当とは思えなかった。

 その背景には、青く輝いて、美しく綺麗な月が浮かんでいた。

 男は、少しも速度を落とさず走り続けながら、その頭の中の思考を整理する。

 まず、この街に妖怪が多発するようになった理由。

 それは、きさらぎ駅の発生によるものだ。

 そして、それによる口裂け女――の残りかすの出現。

 次に、美濃君が何故口裂け女に取り憑かれたか。

 これは、恐らく――。

 美濃君は、きさらぎ駅に迷い込んだ。

 そして、そこで願ってしまった。

 その願いを聞き、叶えようとしたのが口裂け女だった。

 残りかす状態だった口裂け女は、窮奇やドッペルゲンガーを取り込む形で何とか存在を保っていた。

 そうしてできあがったのが、あの妖怪とすらいえない紛い物。

 力のほとんどを失っているとはいえ、口裂け女程の妖怪が、ここまで一人の少女に執着する理由。

 この世界を見るに、口裂け女は、相当律儀に美濃君の願いを叶えようとしている。

 だから、やはり――。

 妖怪は、人間に依存しなければ、その存在を確立できない。

 今や口裂け女は、美濃君の願いを叶える妖怪として、その存在を保っているのだろう。

 そして――彼女の闇によって――。

 美濃雨奈――。

 僕達は、この街の怪異譚の増加、きさらぎ駅及び口裂け女の噂の検証をするためにやって来た。

 そして、きさらぎ駅へと変容する駅で、昏睡状態になった美濃君を発見。

 国上君の話によれば、彼女宛てに病院から連絡が来たのが学校からの下校時――つまり、逢魔時であったという。

 だから、条件的にも、美濃君がきさらぎ駅に迷い込めたのは確かだろう。

 そして、きさらぎ駅調査の一環も兼ねて、反枕ちゃんに美濃君の記憶を覗いてもらうが、肝心なところは封印されていてわからなかった。

 よって、彼女がきさらぎ駅で迷い込み、何かを願ったことはわかったが、複数あると思われるその内容まではわからなかった。

 封印されている記憶は、恐らく精神を守るための脳の防衛機制によるもの、そして、その記憶イコール願いと見ていいだろう。

 思い出したくない記憶と願いが重なっているのだ。

 だから、精神世界における美濃君は、その記憶はもちろん、願いも覚えていない。

 しかし、覗くことができた記憶から推理するに、一つ目は、本の世界――空想の世界で生きたいこと。

 つまり、この世界の中で閉じ籠ることか。

 恐らくこの世界は、徐々に美濃君の――心や環境等を含め――理想の世界へと変化していっている。

 二つ目は、美濃君をいじめていた女子グループに対する復讐か。

 一つ目の願いについては、この二つ目を同時に叶えるために、わざわざ現実世界そっくりに創ったのだろう。

そして、先の如くのような女子生徒を襲う成就の仕方が採られた。

 三つ目は、国上君とずっと一緒にいたい……ということだろうか。

 彼女が自分の本心にどれ程気がついているかわからないが、可能性は十分に高い。

 そして、女子グループの次は、父親や嫌いな男性教師、男子生徒なんかを襲っていくはずだったんだろう。

 だから、やはりあえて、こんな高度な世界を創ったのだ。

 最初からいない世界ではなく、消していって、フラストレーションを発散し、徐々に理想の世界にするために。

 このままきさらぎ駅で電車に乗られたら、現実世界に二人とも帰って来られなくなる。

 そして、今美濃君がきさらぎ駅に向かった理由と、四つ目の願いは重なるだろう。

 つまり、自殺願望――楽園へ行くこと――か。

 恐らくこの一~四の願いを叶えるためのシナリオに則って進んでいたのだ。

 しかし、僕達部外者が侵入してきて、いくつかのシナリオは省略され、加速した。

 美濃君を奮い立たせるために、ああは言ったが、反枕ちゃんの能力で、現実世界で眠っている国上君の目を無理やり覚ますことはできる。

 しかし、今となっては美濃君に阻止されるだろう。

 それに、やはりこれは、あまりにもリスクが大きすぎるか。下手をすれば、一生昏睡状態になる可能性だってあるんだ。

 二人をあくまでも、こっち側から連れ出すしかないのだ。

 急がなければ、手遅れになる前に。

 そして、男――陰陽師は、闇夜の中で、完全に溶けて消えた。

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