第11話 「黙ってお金を受け取って出ていくのが常識なのよ」
【4月9日 午後5時20分】
「はーい。みんな、ちゅーもーく」
天を指さしたその男は、ひと目で只者ではないと分かる異様な風貌だった。
着ているのは、改造された学園制服――ジャケットの縁には銀の鋲が規則正しく打ち込まれ、前後に髑髏と薔薇を組み合わせた刺繍が施されている。派手で不気味なその意匠に加え、下に合わせたのは上質なシルク地の青いシャツ。さらに首元から手の指先に至るまで、金のチェーンやリング、ブレスレットで隙間なく飾り立てられていた。
髪は燃えるような赤に染め上げられ、肌の白さとの対比が一層その存在を浮き彫りにしている。
彼が一歩踏み出すだけで、その場の空気が変わる。周囲にいた生徒たちは言葉もなく、わずかに距離をとる。誰もが本能的に察していた――この男に目を付けられるとどうなるか分からない。全員がわずかに目をそらし、うつむき加減になっていた。
「いいか、キミたち。この時期に予約もなしに店を貸し切るのがどれだけ難しいか、そのくらい誰でも理解してんだわ。でも、やる。現場じゃ何でも起こる。何があっても対処するのがプロなんよ」
赤髪は傍に控えていた黄色サングラスの男の後頭部を軽くはたく。叩かれた方は、黙って深々と頭を下げる。
「なぁなぁ、一人トロトロやっている奴がいるよな。現場じゃアクシデントはつきものなんだぜ。大事なのは指導と――」
言いながら、彼は店の展示用のハンドグレネード――木製の柄の先に鉄の塊がついたバトンのようなもの――をそっと手に取る。
「気を付けろよ?」
その一言とともに、零斗たちに対応していたボサボサ髪の男子生徒の後頭部に向かって、勢いよく投げつけた。ハンドグレネードが勢いよく宙を舞い、肩に命中する。鈍い音を立てる。男子生徒はうつむいたまま肩を押さえている。
「大丈夫だよな、それくらい。ま、そこは頭で受けたほう笑えたけど」
赤髪は男子生徒のふくらはぎを鋭く蹴りつけた。男子生徒は思わず前方に倒れこむ。だが、赤髪は一瞥すらくれず、まるで小石を蹴ったかのような素知らぬ顔で零斗たちのテーブルに近づいてきた。
「悪いな、新入生。今からここで千夜学園映画研究会が新入生歓迎会を取り行うことになったんだ。というわけで、貰うもの貰ったらさっさと出て行ってくれるかな?」
彼の口調は軽く、しかしそこに「拒否」の選択肢は含まれていない。その笑顔は、虫を弄ぶ子供のように無邪気で、残酷だった。そして、返事を待つこともなく、もう終わったかのように周囲の生徒たちに再び命令を飛ばす。
「大事なのは指導と実演って訳よ。こっちは片付いたから、さっさと新入生を入れろ。雰囲気は良くしろよ。俺はここに座るから、女を連れてこい」
その言葉に、生徒たちは無言のまま動き始めた。誰一人、逆らおうとはしない。
零斗は迷っていた。あえて騒ぎを起こしてまで、この店にいる理由があるのか――そう自問する。しかし、店を選んだのは他でもない、“神様”こと綾瀬一夜である。
一方の一夜はというと、店の最奥、赤髪の男の視線の届かない陰に潜み、微動だにして沈黙を守っている。
(あの沈黙。もしかして、俺を試しているのか)
――零斗は決断を迫られていた。
「先輩、申し訳ないんだけど、、ひとつだけ確認させてください。貴方が何者なのか教えていただけませんか。どういう権利があってこんな――」
赤髪の男痩せ型で、見るからに線が細い。鍛え上げた肉体にも見えず、格闘家のような気配もない。。落ち着いて対峙すれば怖い相手には見えない。
(大丈夫だ、冷静になれ……)
冷静になって周囲に視線を走らせる。
屈強そうな男が一人、二人、三人と……それ以上。店内のあちこちに配置されている。
誰も喋らず、ただ命令を待つように静かに待機していた。
(あれ、やばくない?)
「君、新入生だよね」
そして、ゆっくりと近づいてくると、まるで子供をなだめるような口調で言った。
「こういうときは黙ってお金を受け取って出ていくのが常識なのよ。これ、先輩からのありがたいアドバイスな」
赤髪の男は零斗の頬に手のひらを軽くあてがい――ポン、ポン、と二度、侮蔑を込めて軽く叩いた。
そのとき、店の反対側で騒がしい声が上がった。
赤髪はそちらを振り返り、それきり零斗には興味を失う。
「やだやだ。やめろってぇ。アタシもう帰るから。触んなー。噛むよぉ」
その声に聞き覚えがある。瞬間、零斗の背筋が強張った。
すぐにその声は途絶え、代わって口を塞がれた金髪の少女が男たちに引きずられてくる様子が見えた。
「すいません。トイレにまだ一人いたみたいです。すぐに追い出します」
赤髪は金髪の少女をじろりと値踏みするように眺め、命令を下す。
「多々良葉さーん!」
零斗は叫んだ。
引きずられるミキティが顔を上げ、二人の視線が合う。
ここで動かねば人でなしだってことくらい理解している。
零斗は考える間もなくカメラを構え、男たちに向けてシャターを切った。
「どうだ。現行犯だ。面倒事が嫌なら彼女を離せ」
フラッシュの白光が店内を裂く。しかし、赤髪は動じる様子がない。
「阿呆が」
低い声で彼は言った。
「俺の兄貴は風紀委員会の局長だ。ひとつ上の兄貴も、もうひとつ上の兄貴もだ」
零斗はその言葉の意味を本当に理解できなかった――そんなことは関係ないだろうがよ。
(だから何だっていうんだ。多々良葉さんが嫌がってんだろ)
赤髪の命令一声で屈強な部下たちが押し寄せ無理やりにカメラを取り上げようとする。必死に抵抗する零斗。
ミキティも無理矢理に何か液体を飲まさせそうになっていた。
抵抗する二人と、それを制しようとする男たち。
混乱と暴力が支配する数秒間――。
「兄貴自慢とは、ずいぶん立派なことだが――」
静かに、けれど誰よりも通る声で。
「その兄上方がお前のことを何と言っているのか聞いたことはないのかな」
声の主は、奥の席に座っていた少女――綾瀬一夜。
満を持して、女神が重い腰を上げた。
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