最終話 青天目兄妹
翌朝、いつも通りに英莉香が家の前にやってきた。
「おはよう」
「ああ、おはよう――」
いつも通りの挨拶のつもりではあったが、いつもより一瞬長く英莉香と目を合わせていたように光輝は感じた。
昨日、告白した相手がすぐ隣にいる――そしてその相手も自分を好きだと言ってくれたのだ。なんだか不思議な気分だ――光輝はそんな気持ちのままいつの間にか教室に入っていた。
「……」
なんとなく緊張してしまう。学校では普段通りに接すればいい――
(……)
が、光輝はいきなりつまずいた。明らかに緊張しているのが自分でもわかる。いつもなら他愛のない会話を始めるのだが、未だ自分の後ろの席にいる英莉香の方に振り返ることもできない。
気が付けばクラスの女子が英莉香のところにやってきて話を始めてしまった。
(くっ……! 何意識してんだ、俺は!)
光輝は両手で頬を叩いた。
「何やってんだ?」
気が付けば純が来ていた。
「あ、いや」
「やっと受験も終わって解放された気分だ」
「都立もようやく合格発表が終わったか」
「今日ゲーセンに行かないか?」
「いいね、行こう」
今日も午後に卒業式の練習が行われた。卒業生代表は光砂が務めている。少し前までは何かと気に障る存在ではあったが、今ではちょっと尊敬の念すら感じていた。
そして、英莉香の方をちらりと見る。彼女の姿を見ただけで心の中が温かくなるような気がした。
(それにしても、なんか普通だったな)
英莉香と話はしたものの、いつもと全く変わらない感じだった。本当に昨日告白して両想いになったのだろうかと思うくらいだった。
(あいつの行く高校は男子が多いんだよな……俺なんかよりずっと頭のいい連中だろうし)
光輝は以前とまた同じことを思い返し、ネガティブ思考に陥っていた。通学の路線も別々だったし、不安要素しかない気分だった。
考え事をしていたら、いつの間にか卒業式の練習は終わっていた。
「光輝、今日は森久保と遊びに行くのか?」
帰りのホームルームが終わった後、英莉香が訊いた。
「えっ、あ、うん」
「そうなのか――彼女の私より、男友達をとるんだな」
英莉香は声をひそめて付け加えた。
「あ――いや、俺、ちょっと断ってくる――」
「冗談だ」
英莉香はいたずらっぽく微笑んで言った。
「今日の光輝の態度が面白くてついからかってしまった」
「だ、だってな――」
「いいんだ。明日は、放課後どうだ? その――光砂のこともあるし」
英莉香は意味ありげに言った。光輝も光砂にはまず自分たちのことを話さなくてはならないと思っていた。
「ああ。明日……」
「よし、じゃな」
英莉香は教室を出ていった。入れ替わって伸一がやってきた。
「光輝、俺も行くわ」
「ああ、じゃあとりあえず帰ろうか」
光輝は色々考えていたが、カバンを持って教室を出た。
◇ ◇ ◇
(……)
純や伸一たちとゲームセンターに来ていた光輝は今一つゲームに集中できなかった。
(やっぱり、ターニャの方を優先するべきだったかな……)
ふとスマートフォンの画面を見ると着信履歴があった。光砂からだった。
(光砂?)
光輝は一旦店を抜け出して、光砂に電話をかけた。
「なんだ、何かあったのか?」
『所詮、その程度だったのね』
それだけ聞こえてすぐに通話が切れてしまった。
(?)
わけがわからずに光輝はもう一度電話をかけようとしたが、今度は英莉香から着信が来た。光輝はすぐに電話に出ると彼女の少し沈んだ声が聞こえた。
『光輝……今から、私の家に来れるか?』
「えっ? 今から?」
『その――光砂も一緒にいるんだ』
光砂と一緒――その言葉に何となく状況を察した気がした。光輝はすぐに行くと伝え、純と伸一には急用ができたと伝えて店を出た。
(なんだか嫌な感じだ)
◇ ◇ ◇
英莉香の家に向かうと、家の前に英莉香と、そして光砂がいた。
「……どうしたんだ?」
光輝は一応訊いた。
「……」
なんだか英莉香は申し訳なさそうな表情をしていた。
すると、光砂がツカツカと近付いてきた。
「お前に、ターニャと付き合う資格なんか、ない」
突然言われて光輝はわけがわからなかった。
「話したのか――?」
英莉香が何かを言う前に光砂が続けた。
「雰囲気がいつもと違っておかしかったからすぐにわかったわ。そしたら昨日告白して、付き合い始めたって聞いた。それなのに何なの? 昨日の今日で、あなたはターニャを放って友達と遊びに? 馬鹿じゃないの」
「いや、俺は――」
「ねえ、あなたは本当にターニャのことが好きなの?」
「もちろんだ――」
「馬鹿みたい」
光砂は切り捨てるように言った。それも嫌悪するかのような表情で。光輝は思わず反発した。
「お前に――お前にそこまで言われる筋合いは――」
「あるわ。ねえ、その程度なのでしょう? 光輝がターニャのことを好きだって気持ち。本当軽くて浅ましいわ」
「光砂、私は――」
思わず英莉香が何かを言おうとしたが、光砂に遮られた。
「ターニャは私にとって大切な子なの。大切にできないのなら、付き合うだなんて軽々しいこと言わないで」
「……俺だって、考えたさ。けど、どうしたらいいのかわからなくて――本当は今日だって途中で間違っていたんじゃないかって思ってた。昨日告白したのにまともに話もしないままでいて――」
「あなたの言い訳なんかどうでもいい。私はあなたのことが信じられない。前に一度、ターニャのことを泣かせたわよね?」
「それは――」
学園祭の時のことを思い出した。自分の不甲斐なさを棚に上げて英莉香のことを傷付けてしまった。
「そのことならもう済んだことだ――光輝は謝ってくれたじゃないか!」
英莉香が光砂の腕をつかんで言った。
「ターニャ、あなた今日、こいつと一緒に帰りたかったんでしょう?」
「……光輝は友達と約束があったから」
「何を言っているの? 普通は好きな子を優先させるでしょう?」
「だってまだ、私たちは付き合って間もなくて……わからないだろうし……」
英莉香の声はだんだん小さくなっていた。それと反比例するかのように光輝の中にある罪悪感のようなものが膨れ上がっていた――そうだったのか。やっぱりお前は俺と一緒に――放課後、冗談めかして言った英莉香の言葉の裏の意味を読めなかった自分を恥じた。
しかしそれにしてもここまで光砂がきつく当たる理由は何故だろうかと思った。
「俺の配慮が足りなかったのはすまなかったと思ってる。けど、それをお前にそこまで言われなきゃいけないのか?」
「誰のおかげで学校に来られるようになったと思ってるの? ターニャのおかげでしょ? それでいてこの子のことをないがしろにすること自体が許せないって言ってるの」
「ないがしろになんか、してない!」
「してるわ!」
双子はお互いを睨みあった。
「や、やめてくれ! 二人とも――」
英莉香はいたたまれなくなって二人の間に入った。
「な? これ以上はやめてくれ」
「ターニャ……どうしてこんなやつのことをそこまでかばうの?」
「ああ〝こんなやつ〟ですまなかったな。どうせ俺はお前と違って落ちこぼれのクソ人間だろうよ」
「やっぱり中身はそう簡単に変わらないのね。そのひねくれた性格があなたの一番の汚点」
「そりゃ、俺は〝成績優秀何でもできる憧れの光砂様〟にとっちゃ〝汚点〟だからな。光砂様の評判の足を引っ張っていたことを謝るよ」
光輝はわざとらしく卑屈に言った。
「……やっぱり何もわかってないのね」
「俺にこれ以上どうしろって言うんだ! お前は勉強ができて、みんなから好かれて、憧れの的で――それにひきかえ俺はお前みたいに頭も良くない、人気もない、器用でもない――何もない! 少しくらい祝ってくれたっていいだろ!!」
すると光砂は光輝の頬を張った。その瞳には涙が浮かんでいた。
「……何よ! 自分だけ不幸みたいな言い方!!」
「お前は何でもできるし、友達もいるし、恵まれてるだろ!」
「恵まれてなんか、ない!!」
光砂は光輝の胸ぐらをつかんだ。
「私は――羨ましかった!!」
「え――?」
「あなたが学校に来なくなってからは、ターニャはずっとあなたのことばかり――私と二人だけでいるときもずっとあなたのことばかり話してた。私が、ずっと一緒にいたのに――」
「光砂……?」
光砂は俯いたかと思うと、ついに感情を爆発させるかのように叫んだ。
「私だって――私だって、ターニャのことがずっと好きだったのに!!」
「えっ――?」
「小学校の時から、ずっと――友達としてじゃなくて……恋愛感情として……一人の、女の子として…………好きだった」
「光……砂……」
英莉香は衝撃を受けた表情で光砂のことをじっと見つめていた。
「……ずっとターニャのことが好きで……言えなくて……。あなたにはわからないでしょうね……本当のことを言えないこの苦しみなんて。周りからは勉強ができるとか、何でもできるとか、そういうイメージだけで人を語って、誰も私を私として見てくれない――自分の好きな人のことも、女の子が女の子を好きになるなんておかしいって思われるってずっとおびえてた――けど、あなたたちはお互いに好きな気持ちを言うことができる――好きな人に好きだとも言えない――私のこの苦しみなんて、絶対に誰にもわからないんだから!!」
光砂は叫ぶように言うと、その場に崩れ落ちて泣き叫んだ。
「ターニャと離れたくなかった……学校も一緒が良かった……ターニャ……私はあなたのことが、ずっと好きだった」
「光砂……」
泣き崩れる光砂を光輝は何も言えずに見ていたが、今になって気が付いた。
「そうか……だからお前、ターニャと同じ学校……いや、中学受験をしなかった理由って、そういうことだったんだな?」
「えっ」
英莉香は光輝の方を振り向いた。
「中学受験をするために塾に通っていただろ。紹蓮女子も受けるつもりだったのに、突然やめたじゃないか。理由も何も言わずに……。ターニャと離れ離れになるのが嫌だったんだな」
「……」
英莉香は光輝の言葉を聞くと言葉の意味を理解して唇を震わせたが、泣いている光砂の元にかがんで、そっと抱きしめた。
「光砂、ありがとう」
「……」
「私のことを、そこまで想ってくれていたんだな。気が付くことができなかった――すまない」
光砂はわずかに首を振った。
「本当に――ごめんよ」
英莉香の琥珀色の瞳からも、きらきらとした涙が流れ落ちた。
すると光砂は再び話し始めた。
「……わかっていたわ。ターニャは光輝のことが好きだってこと。それでも……私は諦めきれなかった。光輝が不登校になってからはあなたと二人だけで学校に行ける、ターニャを私に振り向かせたい――なんてことも思っていたわ。本当に最低なのは光輝でなくて私の方」
「光砂が最低だなんてことは絶対にない。光輝を立ち直らせたくて学校に行かせようとしたのはお前じゃないか。いつも光輝のことを心配して」
光輝は光砂を見た。
「いつかは……諦めなきゃ、って自分に言い聞かせていたわ……。そしてあの日――光輝が高校に受かったことをあなたが知った時の表情を見て、やっと悟ったの。ああ、私の入る余地なんてとっくになかったんだ、って――」
「……」
「それでもどこか、諦めきれなくて――けど、もう吹っ切れた」
光砂は立ち上がると光輝の横をすり抜けて、
「……ごめんね、八つ当たりして。ターニャのこと、幸せにしてよね」
そう言って立ち去ろうとしたが、英莉香も立ち上がった。
「光砂――」
「……大丈夫。私は本当の気持ちを言えたから――それで充分」
光砂は振り返らずに言った。英莉香は彼女の後姿を見てすがるように、
「明日からも、一緒に――学校に……行ってくれるよな?」
「……」
光砂は一旦立ち止まって、
「……高校も一緒に行くって、約束したでしょ?」
光砂はそう言って、去っていった。
光輝も英莉香もしばらく言葉もないままその場に佇んでいた。
すると、光輝が英莉香の白い手を握った。
「ターニャ、好きだ」
「光輝……」
英莉香も光輝の手を握り返した。
◇ ◇ ◇
その後、最初は多少のぎこちなさはあったものの、光砂も英莉香も元通りになった。
卒業式を間もなく迎える前に、光輝は伸一や純たちに英莉香と付き合い始めたことを打ち明けたが――
「え? 今さら?」
二人の反応は薄かった。
「誰がどう見たってお前ら付き合っていただろ」
「いやいやいや――本当についこの間からだって」
「だって、学校に一緒に来て一緒に帰っていたし、ビリヤードだって一緒に行ってそれがどうして付き合っていないって言えるんだよ」
「いや……その」
「そんなことより、青天目さんはどうなんだよ」
光輝の英莉香と付き合い始めた話はたちまち光砂の噂話で霞んでしまった。
ついでに英莉香から聞いた話では恵や春花たちも似たような反応だったらしく、やっぱりみんなの関心事は光砂の方だったようだ。
(なんだよ、こっちはそれなりに色々覚悟して打ち明けたのに)
まあそれでもいいか、と光輝は思った。光砂の本心は自分とターニャ以外誰も知ることはないだろう――
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