今日も僕らは夢を見る

ゆーちゃま

第1話 すべてが壊れた夜

 夢を見ていた。

 

 彼と、ジュークボックスから流れる彼の好きな洋楽に耳を傾けながら、彼の作った牛ホホ肉のポワレを食べるランチタイム。向かい合う彼が少年のようにピュアな笑顔を浮かべ、「おいしい?」とひと言。私はすぐにトロけてなくなる肉とライスを口いっぱいに頬張りながら、彼に負けないくらいの笑みを浮かべ、うん、と頷く。

 いつもの日。何も変わらない、いつもの日。

 ただ、一つ違うのは、お互いの左の薬指のリングと見慣れない真新しいダイニング。ああ、結婚したんだね。夢が叶いました。祝福する様にロックシンガーもバラードを歌ってるよ。

 でも、なんだ時折入るブーという不快な音は。

 

 あ、LINEの通知音――

 

 夢は夢だと気づいてしまった時に初めてどんな内容だったのか把握出来る。つまり人は把握出来る数以上に夢を見ていて、そのほとんどは覚えていない。生物学的に言えば脳が記憶を整理するための現象。たまに悪夢も覚えているけれど、基本的に覚えているのは自分がヒーローだったり、ヒロインだったり、ぶっ飛んだ内容だったり。まるでアニメでも観ているように心地良いものだから、「いつまでも見ていたい。」というのは人の性だろう。

 現実逃避をしろ!と脳が――いや、自分の中のどこかに潜む悪魔が囁やいてくる。ただ、残念なことに現実という名の天使は絶望的な強さを誇っている。

 アニメをイッキ見していたら「散々見たでしょ?ニュースやってるんだから少しは見て勉強しなさい。」とか、「ゲームは1日1時間」という誰が最初に発案したのか分からないパワーワードを言い放ち、コンセントをぶち抜くオカン。その3秒後にはウィーンと60デシベル騒音(掃除機)と共にこちらに突進してくるオカン。それと同等の圧倒的な強さを誇っている。

 目を覚ましたらもう諦めるしかないのだ。天使と向き合わなくてはいけないのだ。

 だから人はまだ成仏出来ていない非現実的な空想を成仏するために、朝起きて友達に会ったら「昨晩見た夢自慢大会」を開催する。生産性のない会話だがそれは必要不可欠なことなのだ。私も例になくみんなと語り合おうと思ったのに。

 

 真っ暗な部屋を不快なバイブ音とともにスマートフォンの画面が煌々と照らす。

 幼馴染のほたるからだ。さっき私に夢だと気づかせた数十回のLINEの通知音。

 嫌な予感がした。

「んー、もしもしどうした?」

 寝起きの渇き切った喉を震わせて言った。

遥翔はるとが――」

 私の嫌な予感は的中してしまった。私はすぐに電話をスピーカーモードにして、コップ一杯の水をイッキ飲みし、まだ抜け切ってないアルコールでふらつく身体にムチを入れて外へ飛び出した。

「遥翔が救急車で運ばれたってセイちゃんから聞いて、今ね大聖たいせいとセイちゃんと3人で病院の待合室にいる。」

 状況は大体把握出来た。また君の大切な何かが壊れてしまったんだね。少しずつ直していこう。大丈夫、私には分かるよ。どこか一点をじっと睨みつけ、少し血走っている眼球、でも今にも涙が溢れ出しそうな、駄々をこねる子供のように何かを訴えかける、そんな顔がすぐに浮かんだ。思い浮かべただけてこちらまでセンチメンタルな感情に引きずり込まれそうな、そんな顔が。

 私はなるべく息づかいや感情が伝わらないように、一度スマホを口から遠ざけて深呼吸をしてから「分かった。すぐ行く。」と温度のない声でそれだけ言って電話を切った。

 病院に着くとちょうどお医者さんと3人が話をしていた。「単刀直入に言います。命に関わる程のものではないのでご安心を。ただ、複数ヶ所の擦過傷と右脛部の骨折が見られるので一か月程度入院が必要です。」まるで熊のように大柄な医師は淡々と説明した。

「ふーん、まぁ、とりあえずは大したことなくて良かったな。いつものことじゃねぇか。」

 大聖はいつも通り、他人事のようにのほほんとしているので、私はもうちょっと心配してよと、鋭い視線を向ける。蛍は、またかと呆れた顔をして、セイちゃんはただ俯いて黙っている。

いいえ、違います。――と、大柄な医師はまた淡々と話を続けた。

 「今回は精神的ショックがいつもよりかなり大きかったと思われます。何か心当たりがあるのではないでしょうか。それと…」

「あー、まぁ打ち上げのときのアレだろうよぉ、でもさぁ俺ら悪くなくねぇ?あいつは夢みすぎなんだよ、いわゆるピーターパン症候群なんだよあいつは。」

 大聖はいつもこうだ。仲間同士、もう少し同じ方向を向うとは思わないのかといつも思う。

「まぁ、遥翔は気づいてるよ俺らには無理だって。それとオイラもそろそろ国試に向けて追い込みかけるから、申し訳ないけど辞めどきかなと。」もう、蛍まで無責任な。

「あたしも本当はソロでやりたいなってずっと思ってた。いい機会なのかな。」セイちゃんまで、そんな。

 

 高校のある日の帰り道、自転車を押しながら遥翔はボソッとこんなことを言った。

「ねぇ、みーちゃん。やっぱり人ってさ、自分勝手生きるのが一番幸せだよな。」

「なんで?思いやりを持って、支え合って、それが一番幸せって感じるでしょう?」と、返すと、「ううん、違うよ。それは建前。みんなやりたいことやって、言いたいこと言って、自分がよければそれでいい。それが本音だよ。」と、投げやりな口調で言い放った。

 遥翔はたまに鋭利な刃物で心を抉るような言葉を私に突き刺す。そして、大体その後はまるで力を使い果たしたかのように弱々しい言葉を吐く。その時は「でも僕はみんなとは違うから。」だった。

 全く意味が分からなかった。いや、理解をしようともしなかった。の方が正しいだろう。その時は私もヒートアップしてしまい、私だって、とを投げつけ、その言葉の意味なんて考えなかった。

 

 つまりはこういうことだったのだろうか。彼が言いたかったのは。みんなにはちゃんとした夢とか目標があって、それに向かって努力している。みんなに自分の人生を歩んでいる。でも、対するこの僕にはちゃんとした夢とか目標とか何もなくて、何の為に生きているのかが分からない。このままだとどうにかなっちゃいそうだから、みんなを誘ってバンドを組んでみたはいいが、それはみんなの邪魔をすることになる。結論、僕のは、辞書に載っている本当の意味のになってしまう。だから僕はみんなとは違う。そういうことなんだろうか。

 そんなことを頭の中に思い浮かべていると、大柄の医師の声が私の鼓膜を震わせ、脳を刺激した途端、全身からどんどん血の気が引いていくのが分かった。

「ですから、遥翔君はしばらく精神的な治療に専念するために入院させます。」

 なんとなくいつかはその時が来るだろうと思ってはいたが、いざその時になると、怒り、悲しみ、後悔、いろいろな負の感情が津波のように一度にザバァーンと押し寄せてきた。

 私はその感情が溢れ出すのをグッと堪えるように、お腹に力を入れて声が震えないように絞り出した。「私たちにサポート出来ることはないのでしょうか?」

「はい、ありません。今の遥翔君は非常に不安定な状況ですので薬物療法を行います。その後、安定してきたら少しずつ薬の量を減らし、精神療法、リハビリで更なる改善を図ります。なので、それまでは遥翔君との面会、電話などコンタクトを取ることは一切お控えいただくようお願いします。みなさんに危害が加わらないようにするためでもあるのでどうかご理解ください。」まるでロボットのような口調でただ台本通り読み上げているだけに感じた。

「どのくらいの期間会えないのでしょうか?原因は私たちにあるのでしょうか?」

 私も頭が真っ白になり台本通りの言葉しか出てこなかった。

「私が今、お伝え出来ることは全てお伝えしました。」

 それだけ告げ医師はスタスタと廊下の向こうへ消えていった。

 涙は出なかった。なんとなく分かっていた。心のどこかで「ほら、やっぱりね。」と声がした。

 悲劇のヒロインぶって泣きじゃくることでも出来たら良かったのだけれど、そんなんじゃない。何の感情も湧かなかった。しばらく会えないこと。声も聞けないこと。もしかしたらそれがしばらくではなくて、一生なのかもしれないこと。ただその現実が降り注いで、私の心にゆっくりと浸透していった。


 病院の外に出ると辺りはすっかり明るんでいて、雲一つない静かな冬の朝を迎えていた。今日はより一層放射冷却が効いていて、パジャマの上にマウンテンパーカーを羽織っただけの恰好の私は今にも凍え死にそうだ。

「なぁ、俺さやっぱり美容師なるの辞めようと思ってる。」いつもの能天気な性格からは想像つかない落ち着いた芯のある声が大聖の口から洩れた。「俺、もう一回…もう一回真剣に音楽と向き合って、遥翔と蛍と星来と4人でメジャーデビュー目指してバンドやりたい。遥翔の言う通り少しバンドに対する熱が足りてなかったと思う。」本当は大聖はこういう熱い男なのだ。ここぞというときにみんなの結束を強める力が彼にはある。だから彼がリーダーなのだろう。そう来なくちゃ、と私の冷え切った心身も少し温かくなった感じがした。

「大丈夫だよ、遥翔は戻ってくるよ。うちのボーカルは何回打ちのめされたって必ず立ち上がるさ。」と蛍もグッと力を込めた声で言った。セイちゃんも私も2人の言葉を噛み締めるように、うん。と力強く頷いた。

 また彼を孤独にしてしまったと罪悪感に苛まれ、自己嫌悪に陥りそうな私を、何度も彼らの作る音楽が救ってくれた。こんなんじゃダメだ、もっと強くならなきゃ、ちゃんとみんなを支えてあげるんだ。

 私はもう一度、緩んだ帯を締めるように自分の頬を両手でパシパシと二回叩いて鼓舞した。

 

「じゃあ、また夕方。」


 ――明けない夜はない。その言葉の通り、再起を誓い合った若い男女4人の背中を見守るように、真赤な太陽が街の陰から顔を出した。


 

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