34話
◇
階段を一気に駆け下り、病院の外に出る。
烏丸の乗ったと思われるバスは、既に発車していた。
「くそっ、自転車があれば……って、何であるの?」
白鳥家にあるはずのおれの自転車が、今、目の前にある。ゲームのお助けアイテムのごとく。
何でここにあるのかなんて、どうでもいい。
おれは自転車に飛び乗り、必死でペダルをこいだ。
それはもう、必死になってこいだ。
人生で一番のスピードだ。
学校に遅刻しそうな時なんて目じゃない、今は人の命が懸かってるんだ。
警察に「止まれ」と言われても止まってやるものか。
廃病院が見えてきた。
ラストスパートをかけ、到着。
自転車を乗り捨て、屋上に急ぐ。
屋上に人影が見えたので、全速力だ。
早まるんじゃねえぞ、烏丸!
「烏丸ーー、早まるんじゃねえっ‼」
屋上のドアを開けると同時に叫ぶ。
烏丸は柵に手を掛けたまま、おれの方を向いて、驚いたというような顔をする。
「た、高村君。何でここに?」
「お前を止めるためだろうがっ!」
烏丸が悲しそうに笑って言った。
「……死なせてよ、お願いだよ、高村君。僕はもう、疲れたんだよ、嘘を吐き続けて生きることに」
「そんなのダメだ。死んじゃダメだ、生きてればきっと、いいことあるから!」
ありきたりな言葉だけど、その通りである。
「……ごめんね」
烏丸が柵の外に身を乗り出す。
「あっ、おい」
咄嗟に烏丸の腕を掴む。ファインプレーだ。
「ちょっと、離してよ、死なせてよ!」
烏丸が暴れる。
「暴れんなって、おい」
一人では引き上げるのはキツイ。
ファイト一発のようにはいかない。
「とにかく死んじゃダメだ!」
「そうです、烏丸先輩は生きなきゃダメです!」
助っ人が現れた。
「って、阿部⁉ お前、どうして⁉」
阿部灯であった。
「美和子先輩に連れて来てもらったんです」
「白鳥に?」
「そうよ、高村君。間に合ったみたいで良かったわ」
おれのすぐ後ろに白鳥美和子が立っていた。
立っていた、車椅子ではなく。
「お前、骨折してたんじゃ……」
「してないわよ、ただの捻挫だったわ」
「じゃあ、何で?」
骨折した振りなんてしてたんだよ。
「細かい話は後よ。でないと、烏丸君が落ちる」
そうだ、油断してる場合じゃない。
「三人で、引き上げるぞ。……せーのっ」
引き上がらない。烏丸が暴れているせいと力不足だ。
阿部はバレー部だけど、おれと白鳥は体育の授業以外はほとんど運動しない。
「そういえば、薫とセバスチャンは?」
一応、野球部の薫の肩と、ライトニングなんたらのセバスチャンがいれば、引き上げられるのに。
「ああ、あの二人なら、プリンを買いに行ったわ」
「お前、バッカやろ。何考えてんだ。プリンなんていつでもいいだろ」
「大丈夫よ。私に任せなさい」
自信たっぷりだ。
「烏丸君。そこで、黙って聞いてなさい」
白鳥が説得を始めた。
「ここから、飛び降りたら、ぐちゃぐちゃで、グロいわよ」
「知ってるよ、兄さんはここから飛び降りたんだから」
見てたんだよな。
「……烏丸君。世の中にはね、あなた以上に汚い大人が沢山いるわ。汚職事件の政治家とか汚職事件の政治家とか汚職事件の政治家とかね」
「汚職事件の政治家ばっかじゃねえか!」
「私はね、もう誰も失う訳にはいかないのよ。……目の前で、あなたが自殺をしようとしていたら、勿論助けるわ。望んでなくてもね」
「……そんなのは、君の自己満足の偽善じゃないか!」
偽善。偽者の正義。
「そうね、その通りかもしれないわね。私は正義の味方になりたかっただけなのかもしれないわね。正義そのものになりたくて、正義の味方を気取っていただけでしょうね。……あなたの言うとおり、私はただの偽善者よ。でもね、本物になろうと努力はしてる。あなただって同じよ。普通の人間であろうと努力してる。……あなたがまだ自分が化け物だというのなら、そう思ってくれても構わない。本物と、それと存分変わらない偽物は、同価値だと、私は思うけれどね」
烏丸の瞳から、涙が零れ落ちた。
「……え?」
烏丸自身も、自分の涙に驚いているようだ。
「本当に汚い人間なら、そんなに綺麗な涙は出ないわ」
この後、何処からかセバスチャンが現れ、おれ達ごと烏丸を引き上げた。
尻餅をついた烏丸に、手を伸ばして、白鳥が言う。
「さあ、仮面を脱ぎましょう、烏丸君。あなたの思っている以上に、この世界は広くて、面白いのよ」
烏丸は、初めて笑ったような、長い間笑っていなかったような、ぎこちない笑顔で、白鳥の手を取った。
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