1-3
「私、来年死ぬから。あなたの心労もそれまでね」
唐突に。ほんとに何の前触れもなく、魔法使いはそんな絶望を口にした。初耳な『三上春間』は、いつもみたく屋上の柵から数歩の距離を保ったまま、少しだけ視線を空に向けていた。
水色の晴天だった。
雲の白は今にもかき消えそうだ。現実ほどはっきりした感覚はなく、されど夢ほどあいまいでもない。加えて、視線のさきには死んだはずの魔女と、もうひとりの自分。すぐさま、これは魔法がみせる光景だと悟った。
屋上にできた影法師。昼どきのそいつはとても短い。
足下に置かれた炭酸のペットボトルが、煌びやかに、ささやかに光を落とす。影に負けない星みたいだと俺は思う。
「……」
魔法使いは口元を引き結び、柵に手を置いていた。いつぞやの少年とすこしの距離をあけ、並んだ先──魔女帽子の下で瞳は細められ、夜色が揺れていた。
懐かしい情景。
頭上の特徴的なシルエットに反し、制服もスカートも、履いたパンプスも彼女の色に染められていた。なびかせた髪は色素が薄く、暗い。佇まいが消えそうな色彩を世界に刻む。魔女という存在は異質なのだと再確認させられる。それでも、ようやく会えたと、眼の奥から熱いものがこみ上げてきた。堪えるみたいに告白した彼女を目にして、胸の奥は高揚と悲痛さで塗り上げられて、透明な刃となって突き刺さった。
魔法使いは、やはり強くて儚い。
数分の間、三上春間も無言だった。わずかにあげた横顔が散髪をさぼった前髪で隠れていた。地上よりも強めな微風に翳り、表情はうかがえない。
だが、俺は知っている。
彼が深く傷ついていることを。とんでもなく衝撃を受けて、言葉を失っていることを。最適な返答を探しては指から取りこぼして、ウソだ、と現実を敵視していることを知っている。
他ならぬ自分のことだ。鍵のかけられた引き出しがここぞとばかりに開け放たれて、次の音を導き出していく。
「仮に、その『死』が本当のことだったとして。君は魔女のはずだったろ」
反論にも似た響きは駄々をこねる子供みたいだ。だけど仕方ないさ、それくらいしか言えない。これでも精一杯耐えて、感情を抑えて発した一言なんだ。
そうなんだろう? 三上春間。
「魔法使いにも限界はあるの。例えば隕石の軌道を変えることはできても、隕石そのものを破壊することはできない」
「なら、そんな結末はだれかになすり付けてしまえばいい」
「……それができたなら、きっとここにいる私は大人になってるわ」
「そも。根拠はどこからきているんだ。そういう占い結果でも出たのか」
「いいえ。あらかじめ定められた結末。歴代の魔女は中学生になるまえに、運命によって殺された。泣こうが喚こうがお構いなし、私も消える」
「どうにかする手段は?」
「ないわ」
「勘違いだったっていうおかしなオチは?」
「ない」
「俺をからかって楽しいか?」
「こんな悪質な冗談は使わない」
「一パーセントの奇跡は?」
「……ごめんね」
ぎり、と三上春間が苦しむ。
向こうに立つ自分も、ここに立つ俺も、同様に。そうだった。これが最初の「ごめんね」だった。
「魔女は不死身だと、そう思ってた?」
魔法使いが問いかける。
「不死身でなくとも、長生きだと思ってた」
もうひとりの自分が答える。
それきり、また会話は途絶えた。びゅお、と屋上に風が吹いて、吹き溜まった砂が流れた。と思えば、つぎの瞬間にはウソみたいに止んだ。魔法使いが密かに魔法をつかったのかもしれない。世界が「せめてもの慈悲だ」と余計な気を遣ったのかもしれない。どちらにせよ現実は変わらないのだから、俺にとってはどうでもよかった。
魔女曰く。チカラあるものは、それだけで命を消費しているらしい。
大きなモノには、相応の対価が求められる。例えば燃料、例えば確率による失敗、例えば――寿命。こと『魔法』という超常の存在を扱えば、時間は自然となくなっていく。つまり魔女は短命な種であるということだ。
俺の第一印象は間違っていなかった。彼女を一目みたその瞬間から、綺麗な生き方をしている魔法使いはフッと風に吹かれて消えてしまうのではないかと、漠然とした予感があった。それも含めて、あのときの俺は彼女に見惚れていた。勘違いであれば、どれほどよかっただろう。
「こっちみて、ハルマ」
ガラスよりも透明。夜空よりも深い眼差しが、彼をみつめた。振り返った自分は今にも泣きそうにみえた。
「あなたにとって私はなに」
「……友達」
投げかけられた言葉に、そう返す。本心を言えば、彼女は友なんかよりよっぽど重要な存在だ。だけど、気恥ずかしさとか魔法使いの生き方に対しての尊敬とか、どこか別世界から俯瞰したような雰囲気に、
俺と魔法使いは、非現実に生きている。ゆえに、その関係性に潜む葛藤も、一言では完結不能だ。
そんな気苦労を知らず、魔法使いはム、と不機嫌さを露わにした。かと思うと、どこかツンとした態度で目を背けてしまう。
「……そうね、仲のいいトモダチよね」
三上春間は薄れた悲哀の空気に、すこしだけ冷静を取り戻したらしい。怪訝な表情をして、訊きかえす。
「なんか怒ってる?」
「怒ってない」
「機嫌を損ねることと、沸々と怒りを溜めることはちがうって?」
「一緒にやってくるものでしょ、そのふたつって」
「やっぱり怒ってるんじゃないか」
はぁ、とため息がひとつ。夏とは比べものにならないほど過ごしやすい風が、束の間の弛緩を運んでいった。
そうして、「自業自得、ってことね」なんて結論をつぶやかれた。何が自業自得なのか、今みても
三上春間がさらに踏み込もうとしたところで、魔法使いの言葉が次の質問を口にした。
「あなた、最初の約束、覚えてる?」
「……なんなんだ、さっきから」
「いいから」
最初の約束、とふたりの三上春間が思い出をめくる。
ああ、それはちゃんと覚えてる。記憶に刻まれている。引き出しの奥から引っ張りだしたあの日のやり取りを思い返すように、かつての俺は答えた。
「好きな魔法を使わせてやるっていう、あれか?」
魔法使いが頷いた。
そのやりとりは、魔法使いと邂逅した際に交わされた言葉遊びみたいなものだ。意味のある文言とは思っていなかった。
律儀なことだ。
約束かどうかも怪しい会話の一節を、彼女は約束事として話題に据えあげたいらしい。「どうして今ごろそんな話を」と戸惑う彼に対し、魔法使いは有無を言わさず言い放った。
「いま決めて。あなたの使いたい魔法。私はあなたのトモダチだから、叶えてあげる」
「前々から思ってたけど、どうしてそこまでしてくれるんだよ。俺は君が思うほど、」
「ヒトの価値。ときに他人が決めても構わないでしょう。私はあなたが思うよりずっとあなたを評価している」
「だから、その採点内容を訊いてるんだ」
「関係ないでしょ。さっさと答えなさい」
納得いかない様子で、三上春間は考える。
亡霊みたく眺める俺はすぐさま答えを導き出し、数秒の間を置いて、もうひとりの自分も同様のことを口にした。
「君を死なせたくない」
さらりと言ったようにみえたかもしれない。無感情に、ぱっとした思いつきで決めてしまったみたいに。
だけど、俺は知っている。ソレは本心からの願いだ。
それを魔法使いは知ってか知らずか、冷たくぴしゃりと断った。
「それは無理」
目にみえて不満げになる俺。魔法使いは当たり前でしょと言わんばかりに口を尖らせる。
適切な回答を探して黙り込んでしまう三上春間に、俺は空を仰いだ。頭上の色彩は、かつての色だ。感覚としては、窓ガラス越しに眺めた青空と似てる。広大で、俺からすればちょっと窮屈に思えて。三上春間の
結局のところ、俺は魔法使いありきなんだ。
知らず知らずのうち、彼女が願望のほとんどを占めていた。夢だとか、やりたいことだとか、そんな希望に満ち溢れたモノを大人に求められるたび、冷めていく。中学生の時点で、努力を重ねて得られるものに興味も価値も見いだせなくなってしまったのだが、魔女だけは別だった。
そうだ。俺につかいたい魔法なんて──
「決めたよ」
俺は視線を戻した。耳を疑った。かつての自分が、すこしだけ笑みを浮かべながら魔法使いと向かいあっていた。
「じゃあ、聞かせて。あなたはなんのために魔法を使いたい? どんなコトを魔法で叶えたい?」
再度投げかけられる問いに、俺は驚きを隠せない。
……知らない。
こんなやりとりは、記憶にない。ページを捲り返してみれば、俺の大事な思い出は、つい数分まえの沈黙で終わっていたのだった。
俺の知らない三上春間は、まるで人生の分岐を選んだかのような表情で告げた。
自信。
覚悟。
俺の知らない俺がいる。
「俺は、君との時間のために魔法をつかいたい」
目を見開いたのは、魔法使いだけではなかった。眺める俺自身でさえも、「こいつは本当に俺なのか」と驚愕していた。
往生際の悪い答えだ。魔法使いに未来はない──
しかし、納得の言い分ではある。それくらい、俺にとっては替えのきかない存在だった。人間は昼の光と同様に夜の休息だって必要だ。それと同じこと。魔法使いは欠けてはならない、世界で唯一の存在。逆に私利私欲に走った魔法を選ぶ光景は、自分でも想像できない。
「ちょ、あなた本気……? なんでもできるのに? いや何でもっていうのは大げさだけど、億万長者になるだとか、好きなヤツを惚れさせるとか、そういうのは!?」
魔法使いが調子を崩された様子で説明する。
が、この男は聞く耳を持たない。首を横に振って否定した。
「な、にそれ……なんで私なんかと……そんな媚び売らなくても、ちゃんと魔法は使ってあげるって、」
「これはそういう話じゃない。単純に、俺は君と過ごしたいだけだよ。使いたい魔法を使わせてくれる約束、だったろ」
なんだこいつは、と感想をこぼしそうになる。おそらく俺と魔法使いの内心は一致していた。
「かっ……、勘違い、するわよ。そんな物言い」
ぎゅ、とカーディガンの裾を握って、魔法使いが弱々しく言った。ぶっきらぼうに床へと視線を落とし、落ち着けようと
「そういうこと……なの? 『腹をくくれ』って……」
「魔法使い?」
「い、いや、なんでもない。気にしないで」
三上春間が首を傾げる。
彼女の言動に意味深な点や不可解な点が多いことは百も承知だったが、俺は何よりその仕草に違和感を覚えた。記憶の彼女とそこにいる魔女は、やはり空気が違ってみえる。こう……氷のごとき素っ気なさがハリボテでした、みたいな。いや、勘違いだろうか? 心なしか頬に桜色を乗せていて、イメージとの相違に動揺してしまう。
だが、ふたりに俺は観測できない。干渉することも不可能だろう。
会話は途切れることなく流れていく。
「それで? 具体的にどうすればいいの」
「今までと変わりなく。魔法使いはいつもどおり強引に、無遠慮に連れ回せばいい」
「強引って。これでも私、あなたの意思は尊重してたつもりなのだけど」
「たしかに尊重してたな。意図的に孤立させたり、ここぞというときにだけ天候を操ったり、一日の最後の授業だけ自習へ追い込んだりはしてたけどな」
「ぅぐ……い、いいじゃないそれくらい。刺激的だったでしょ」
「ああ。陰湿と呼んだほうがしっくりなくらいね」
「……私との時間、イヤなの?」
「イヤじゃないよ。あれでも楽しみにしてた時間なんだ。だからこうして魔法の使い道として提案してる」
「ふ、ふぅん。そうなんだ。そうなのね。わかった。じゃあこれまで以上にしつこく付き纏うけど、それでもいい?」
「いいよ」
「あなたの時間を奪う。構わない?」
「構わない」
「後悔するわよ」
「少なくともこの選択に後悔はしない」
「バカ」
「短すぎる寿命を明かしたのが運の尽きさ」
「……」
「……」
沈黙が吹く。屋上とは思えないほど。
流れた無音で、ふたりの視線は逸らされることがなかった。泣きそうな感情を押し殺して、爽やかな微笑みを貼りつける三上春間。納得がいかないとばかりに睨む魔法使い。けれど威圧感は微塵もない。
そうして数分。先に折れたのは、魔法使いの方だった。強がりの仮面を剥がしきれなかった魔女は、殻にこもってしまう。
強く握り込んでいた
「魔法使い? いいんだろ、俺の言った使い方で」
「っ、……」
「おーい。別に意地悪しないよ。俺が決めた使い方だからって、炭酸は禁止なんてこともしない」
矢継ぎ早に追い詰める自分。心境を見透かした上での仕打ちだった。
こうして眺めると、俺は言葉で虐めるひどいヤツだった。でも許してほしい。きっとこうでもしないと、このときの俺は泣き顔を晒してしまう。
「……わ、わかったわよ」
驚くほどか細い声で、魔法使いは応えた。
身を縮こませるようにしてこぼした一言と同時、屋上に喧騒が帰ってくる。防音室から放り出されたのではないかと錯覚するほど些細な音が騒がしい。
やはり魔法でもつかっていたのだろう。それをこの瞬間に解くなんて、照れ隠しひとつとっても、魔女は普通から外れているらしい。
だが、得られるものはあった。
三上春間からはみえないだろう魔法使いの素顔は、今までみたこともないくらいに赤らんでいた。
その光景に、俺は唖然としてしまう。無意識に「魔法使い」と呼んでしまうくらい、声を交わしたくて仕方がなかった。
──ちりん、と、風鈴が鳴った。
終わりの合図だ、と直感がささやいた。
途端、景色が遠のいた。
伸ばしかけた指が空をなぞる。
まるで屋上のスタジオだけが置かれたみたいな世界が、歪みを得て薄れていった。待ってくれ、と魔法使いと視界に祈ったが、
訊きたいことは山ほどある。知りたいことは限りがない。どうして忘れていた。どうして今見せられた。この風鈴が指し示すのはなんだ。答えのない疑問ばかりが頭に渦巻くも、だれひとりとして正しさをくれようとはしない。孤独にただ、失われた魔法使いが消えていく。踏み出しているはずなのに、景色は小さくなっていく。
「──ッ!?」
瞬きが変化を起こして、思わず立ち止まった。
俺は夜が降りた廊下を見回す。足下のフローリング、真っ白でところどころ傷のある壁。見上げた天井は記憶に新しい。
……鐘之宮高校? なぜ。
あらゆる環境音が消え、吹く風すらもそこには在らず。ついさきほどまで彷徨っていた母校、鐘之宮中学へと戻ってきたのかとも思ったが、すぐさま「ちがう」と直感が告げる。妹と訪れた場所とはまったく異なる。
窓の外へ目を向けると、空はかつてないほどの星が輝いていた。どうやらここは一階らしい。庭木に遮られた背景は鮮やかすぎた。
『満天の星空』とは、あのような空を言うのだろう。
「……? あの空、まえにどこかで、」
りりん、と、また音が鳴った。
軽く、優しく。
どこかへ誘われているような、不思議な音色。それが、風もないのに、風鈴も見当たらないのに、聞こえてくる。反響し、振り向くたびに方向感覚がおかしくなる。
得体の知れない体験に、俺は緊張感にも似た焦燥を意識した。
なにかをしなければならない。でもそれがわからない。
考えて理解できるほど、状況には恵まれていなかった。
視線があちこちに向く。
廊下の先、足下、天井、窓の景色、星々の
なおも風鈴は鳴り続け、
一際目立つ音が、全てを絶った。
靴が床をすり抜け、下へ落ちていく。悲鳴を漏らす隙さえなく、コポンと泡が弾けたみたいに闇に包まれる。
暗い。
冷たい。
泡沫の時間が沈み込んでいく。それでも本能で抗うように。意識はただ、遠く過ぎ去る音を追いかけていた。
りん、
りん、
ちりりん──
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