【後半】
「リアム……大丈夫……?」
両膝に手を置き、肩で息をするリアムの顔を覗き込む。
リアムは返事の代わりに二、三回頷くと、両膝から手を離し、息を長く吐いては呼吸を整えた。
「……うん、大丈夫。ごめんね、急に。びっくりしたでしょ」
「私は大丈夫よ。ありがとう」
話の途中でモンスターと遭遇してしまい、やむなく逃走。その先は草原であることに変わりはないが、近くに林が見える場所であった。
「……あっ、クラルテ。そう言えばさっきの話って……」
クラルテを見遣るが反応がない。不安げに見つめるリアムの視線に気付いたのか、クラルテはごめんなさいと一言。
「なにか言ったかしら」
「あー……ううん。あとでいいや。それよりどうかしたの?」
「ある物を探っていたの」
「ある物?」
「ええ。こっちよ、付いてきて」
クラルテは林に向かい、リアムもその後を追う。
クラルテに導かれるまま、人の手が加えられていない林の中を歩く。草叢をかき分けながら進むこと数分、クラルテはある地点に勢いよく飛ぶ。
「リアム、見て」
「待ってクラル……でっ⁉︎」
クラルテを追い、リアムは急いで草叢を抜け出そうとするも片脚が絡まり、顔から転倒。
「だっ大丈夫?」
「痛てて……大丈夫大丈夫。何を見つけたの?」
「こ、これよ」
打った顔を片手で抑え、そちらを見遣る。
そこにひっそりと佇んでいたのは、両手でも持ち上げられなそうな大きい宝箱であった。
「うわっ、でかっ」
「開けてみて、リアム」
「えっ⁉︎ 開けていいのこれ⁉︎」
「いいのよ」
これが、文化の違いと言うものか。リアムは宝箱の前で片膝をつく。
蓋に触れ、押し上げるようにゆっくり開けると、中に入っていたのは色褪せた一冊の本。
「これってもしかして……」
本を手に取り、じっくり眺める。
本から感じ取れる魔力に、リアムは気付いた。
「中身が武器でよかったわ。“魔導書”のことは知っているかしら」
「うん。もともと使ってたのは魔導書だしね」
リアムは本を手に立つが、その瞬間に魔導書が入っていた宝箱が消滅。肩を跳ね上がらせるリアムに、大丈夫よとクラルテが仕組みを話す。
「宝箱は中身を取ると、今みたいに消滅してしまうけれど、また別の場所に出現するようになっているのよ」
「へ、へぇ……でもこれ、持っていって平気なの?」
「持ち主は居ないから平気よ。それに宝箱を見つけられる人は限られているの。だから見つけたら開けてみるのが良いわね」
「うん、分かったよ」
頷き返したそのとき、近くの草叢がガサガサと音を立てて揺れる。なんだなんだと注視する。
「うわっ⁉︎ さっきのヤツ!」
草叢から飛び出して来たのは、先程遭遇したモンスターだった。正確には同じ見た目をしているだけで、別個体のようである。
「無属性のゴブリンね……。ちょうど良いわ、試しに使ってみてくれる?」
「使うってえっと」
「あなたがもともと使っていた技……全てではないけれど使えるはずよ」
タイミングを見計らったようにゴブリンが突撃。リアムはクラルテのアドバイスに従い、慌てて魔導書の頁を捲り、片手を前へ突き出し、唱える。
「【ホーリーソード】!」
リアムの声に呼応するように、魔導書の頁が淡い光に包まれる。
間を置かずして空中に光粒が集い、一振りの光の剣となってリアムとゴブリンの合間に突き刺さる。躱す間もなく勢いそのままに、ゴブリンは剣に衝突。目を回したようにふらふらと後方によろけるも、すぐに頭を振っては正気に戻る。
出せたことに感動するリアムを、クラルテが呼ぶ。
「リアム、次っ」
「ええっと……ほ、【ホーリーソード】!」
再度、同じ技を唱える。
次はゴブリンの頭上に光の剣が生成され、ゴブリンの体を一気に貫く。剣と言えど実体はなく、斬り裂くことは出来ない。だが、ゴブリンのHPを削るのには充分だったようで、霧散した。
リアムは息を吐き、魔導書を閉じる。
「お疲れ様。さすがね、リアム。もう使いこなしているなんて」
「……そう?」
クラルテの過大過ぎる評価に、リアムは思わず苦笑した。
「あ、クラルテ。あれは何?」
リアムが示した先は、ゴブリンが消滅した地点。ゴブリンと入れ替わりで、金貨と不気味な物体が落ちていた。
「これは……ドロップアイテムと
「じゃあこれも拾っておいた方が良いって感じだね。でも……」
リアムは今、持ち運べるような鞄を持っていない。せいぜい持って歩けるのは魔導書と、ポケットに入る分のゴールドだけ。
クラルテは「そうね……」と長考。やがて、私に任せてとリアムのもとへ飛ぶ。
「じっとしててね」
クラルテは虹色の鱗粉を放ちながら、リアムの周囲を旋回する。
下から上へ螺旋状に昇り、頭の先に辿り着くと同時、薄茶色のショルダーバッグが現れた。
「その鞄で良ければ使って。あなたがもともと使っていたものと大差ないはずよ」
「えっ本当⁉︎」
リアムは嬉々としてドロップアイテムとゴールドを鞄に入れ、魔導書はそのまま持つことにした。
「リアム。向こうに道があるわ」
「街に続いてる道かもね。行ってみてもいい?」
「ええ。あなたも疲れたでしょうし、休めるといいけど……」
人や馬車が行き交う用に整備された道を進む。
クラルテの言う通り、様々なことに振り回され、心体共々疲労を感じていた。リアムは思わず溜め息を溢してしまい、「大丈夫?」と声を掛けられる。
「う、うん……。あ、そうだクラルテ。さっき無属性って言ってたよね? ってことは属性があるの?」
「ええ。基本的な七つの属性……火、水、風、土、光、闇、無は主要属性と呼ばれているわ。属性は主に魔法に宿るものなのだけれど、モンスターの中には属性をその身に宿す個体があるの。あのゴブリンみたいにね。そういったモンスターには有利な属性で攻撃すると、より多くのダメージを与えられるわ」
リアムが使用した【ホーリーソード】は光属性の魔法攻撃。その他にも火や風属性の魔法が使用出来るあたり、一人につき1属性ではなさそうだ。
「あとは……使える技についてかしらね。今はまだ使えるものも少ないけれど、モンスターと戦うにつれて新たに習得すると思うわ」
リアムは理解し、相槌を打つ。博識なクラルテが同行するのは、エニュプオンの仕組みを知らないリアムにとって、とても有り難く、頼もしく感じた。
だからこそ、リアムは気にしていた。混乱していたとは言え、クラルテに嫌な言い方をしてしまったことを。
「……あ、あのさ、クラルテ」
「ん?」
足を止めたリアムだったが、中々勇気が出ない。
どうしたのと訊ねられ、今一度呼吸を整えると、意を決して口を開く。
「冷たい言い方してごめんなさい」
「え……?」
何に対しての謝罪かは、少し遅れて気づいた。
クラルテは俯くリアムの頬に擦り寄り、顔を上げたのと合わせて離れる。
「私のせいなのに、気にしてくれてありがとう」
クラルテの優しい言葉に、リアムの胸がじわりと暖かくなった。
突然連れて来られ、魔王と戦えと言われたときは「無茶振りだ」とか「なんで僕が」とか思ったものだが、彼女が居ればなんとかなりそう。
そう思った矢先、それは現れた。
リアム達の上空を過ぎる黒い“なにか”。数百ものの黒い粒が集まって出来た“それ”は、彼らの行手を阻むように道の真ん中で蠢く。
不穏な空気を察し、リアムは視線逸らさずゆっくりと後退し始める。極力音を立てないように一歩二歩と距離を置く最中。“それ”は動き出す。
不規則な動きで道を外れ、近くを徘徊していたモンスターの体に纏わりつく。黒い何かに包まれたモンスターの双眸は赤く光り、やがて──リアムの何倍もの体躯を誇る巨大なトロールとなった。
「まさか今のは魔王の……リアム!」
「うっうん」
本能が“戦うには危険過ぎる”と告げている。
クラルテの意思を感じ取ったリアムは小さく頷き、トロールに背を向けて駆け出す。
対するトロールはリアム達の存在に気付き、体と同じく肥大化した棍棒を振り払い、牽制する。
「っ……」
トロールとの距離は十分にあった。が、振り払われた棍棒からは、突風と見間違うほどの横風が吹き荒れた。足を踏ん張るリアムは何とか持ち堪えるが、蝶であるクラルテの体は耐え切れず煽られる。
「っクラルテ!」
数メール先に吹き飛ばされたクラルテは即座に体勢を整え、リアムのもとへ。
しかし、吹き飛ばされた場所が悪かった。
「あっ……」
そこは、トロールの視界の中心。
自身の周りを飛び交う虫を潰すように。棍棒が振り払われた。
「……⁉︎」
強烈な衝撃がクラルテの小さな体に迸る。
吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるが、予想していた痛みよりはるかに弱い。よろけながらも浮かび上がり、状況を確認。
そこには、信じ難い光景が広がっていた。
「り……あむ……?」
リアムの体が転がっている。
紫に輝いた瞳は固く閉ざされ、灰色の髪を風が撫でる。
身体の節々から溢れ出る鮮血が肌を、服を、地面を赤く染め、腕や脚は有らぬ方向へと曲がり、骨が、肉が見えている。
「う あ ああ あああッ‼︎」
察しざるおえない。あの一瞬の間にリアムはクラルテのもとへ走り、自身の体と鞄で衝撃を和らげたのだと。
「りあむ……リアムっ‼︎ 目を開けて! お願いだから‼︎」
必死に叫ぶ声も、トロールの足音に掻き消されて届かない。
辛うじて息の根は紡がれている。それだけが希望だった。
(スキルが発動出来ていない今、私がやるしかない)
だって約束した。なにがあろうとも死なせたりしないって。
でもそれより、こんなわたしを庇ってくれた大切なあなたを死なせたくないから。
──刹那。
ひとひらの蝶から解き放たれた極光はトロールの巨体を穿ち、少年の命に火を灯す。
世界を覆いつくさんばかりの光が収まると、そこはのどかな平原そのもの。あの恐ろしいトロールは姿を消し、血溜まりに塗れたリアムの体は元の姿へ。
「んん……、っ⁉︎」
瞼を震わせ、リアムが目を覚ます。
先程までの状況を思い出し飛び起きたが、あの恐怖が嘘だったような景色に呆然とする。
「あ、あれ……?」
ぽかんと口を開けたまま、クラルテの姿を探して辺りを見渡すが見当たらず、視線を下に向けた。
「……! クラルテ‼︎」
羽ばたく力もないほどに弱り切ったクラルテを発見。リアムはそっと両手で持ち上げるが、クラルテの体が透け、自身の掌が見えている事実に驚愕する。
「どっ……どうしたのクラルテ⁉︎」
「ごめんなさい……力を……使い果たしてしまったみたい……」
光り輝く鱗粉が、クラルテから溢れ出る。まるで、消滅を意味するかのように。
恐らく自分を呼び寄せた時点で、相当な力を消費していたのだろう。今こうして無事なのは、僅かに残っていたその力を瀕死の自分に全て与えたからで。
「本当は最後まで……ついて……行くつもり……だったの……だけど……」
声が掠れ掠れとなり、目に見えて消えていくのが分かる。
リアムの両目から涙が流れる。
「巻き込んで……ごめんなさい……」
「そ、そんな……」
「独りにして……ごめ……」
「あ、……待っ……待って‼︎」
話すことも出来なくなったクラルテの体が光粒となり、風に乗って流されてゆく。
完全消滅を前に。リアムの脳裏には、ある可能性が過った。
出来ないかもしれない──なんて弱気になっている場合じゃない。今だけはその可能性に賭けるんだ!
(お願いだから……間に合って!)
クラルテを乗せた掌を掲げ、一気に自身の胸元へ押し込める。
殆ど消えてしまってる今、潰れることはないだろう。リアムが閃いた可能性、それは自身の“中に宿り”、消滅を回避する。というものだった。
彼にだって出来るのだから、クラルテにだって出来るはず。そんな根も葉もない根拠から生まれた可能性は。
“リアム……。”
「……クラルテ」
その姿は、もう何処にも見当たらない。
それでも。脳内に響いたあの声と、胸を焼き焦がすような熱は、幻なんかじゃない。
そう、信じるしかないのだ。
「また……会えるよね……」
服の裾で涙を拭うリアムは、遠くに見える街を捉えていた。
真実と虚偽、希望と絶望、夢と現が混ざり合う世界『エニュプオン』。
少年が綴る今宵限りの冒険は、こうして始まりを告げた。
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