94限目 いや諦めてくれよ

 日が沈んで、俺たちはそろそろ帰ることになった。帰る前、佐々木のお母さんも帰ってきて、夕飯も食べてったらどうかと言われたのだが、さすがに遠慮した。俺には家事をする必要もあるし、もうすっかり暗いのだ。

「じゃぁまた明日」

「おう! また明日ー!」

 土曜なのにまた明日というのは、明日もここで勉強会ということだ。普通、集まっては勉強会ができないものだと思えそうだが、俺はむしろ1人では勉強ができない。教科書読んでもよく分からないため、教えてくれる存在が必要……だが、名倉さん以外のメンヘラが何をするか分からない。何しろ、実川さんに教えてもらったあの絵は、俺への手出を牽制する内容だ。愛への手出は関係ない。というかメンヘラ的には多分、愛がどうなろうが知ったことでは無い……どころか、むしろ邪魔者が一人消えたくらいの感覚だろう。まぁそんなことして、俺が黙ってるわけがないことくらいは分かるだろうが、それはそれ。メンヘラは目の前のことしか見ない。


 家に帰って、リビングでふとスマホを見ると、メッセージが入っていた。名倉さん……。

「…………」

 開いてみると、デートのお誘いが来ていた。……再来週テストなのに……?てゆうか金曜日したのに?

「はぁ……」

 ポチポチと返事を打つ。もちろん、テストが近いから無理、という返事だ。送信しようと思った瞬間、またメッセージが来た。


名倉泉【ごめんなさい言葉足らずだったわ】

名倉泉【明日父が帰ってくるから会わせたいの】


 ──待て待て待て待て待て。驚きと衝撃は口から出ない代わりに行動に出た。思わず頭に手をやって頭痛い系男子のポーズをしてしまった。

 何をしろと? 顔合わせ? 誰と? 名倉さんの父親と? いつ? 明日? ……無理だし無駄だ。なんで顔を合わせにゃならんのだ。ただの高校生の交際だぞ。結婚するでもないのになんで? ……などと1人で考えても分かるはずもなく、俺は頭痛い系男子のポーズのまま、呆然とスマートフォンの画面を眺めた。というか、これ俺に父親と会って欲しいんじゃないだろう。父親に俺と会って欲しいんだろう。やることは同じだがこの2つは意味が異なる。どう違うのか説明しろと言われても俺にはできないが、それでも足りない語彙力で言うのなら……どちらがどちらを見極めるのか、というのが違う。前者なら、俺が見極める側。後者ならその逆。説明するまでもなく今回は間違いなく後者だ。だって俺が見極める理由がない。


結城陽向【待った名倉さん】

結城陽向【理由を聞かせて欲しい】


 返事はすぐに来た。


名倉泉【嫌なの?】


 嫌に決まってるだろ、というのをぐっと飲み込み、あくまで機械的に答える。


結城陽向【そもそも必要ないでしょ。ただの高校生の交際くらいで】

名倉泉【それでも親に紹介するくらいは普通じゃないの。そっちが嫌なら、まずは私からあなたのお父さんに挨拶する?】

結城陽向【うちには父親いないし、母にも紹介する気はない】

名倉泉【居ないのね。離婚?】


 ズカズカ踏み込んでくるのも苦手だ。少しは話しづらいことなんだと察してくれ……いや、察したところで無関係なのか……。

 ……言う必要は無いと思っていたけど、もう言ってしまおう。


結城陽向【どうだっていいだろ】

結城陽向【とにかく明日は、もうイツメンで勉強会って決まってるから、デートはしないしお父さんにも会わない】

結城陽向【それに俺と名倉さんの交際は、ただの契約で愛とかないから】


 すぐに既読がついたが返事はなかった。言いすぎたかなと思いもするが、このくらい言わなきゃ相手が調子に乗りかねない。それに名倉さんは俺の事は関係なく元々ヤバい女だ。俺のせいでメンヘラになった例については多少申し訳なくも思うが、この女に関しては俺は何もしてない。変に優しくしたりも、慰めたりもしてない状況でこれだ。申し訳なさの欠けらもない。

 ふう、と溜息をつきながら部屋に入る。いつもの光景。愛がそこで勉強をしている景色に、ふにゃ、と顔が緩んだ。

 俺たちは窓を開ければ話せる距離……だが、この時期は開けない。何故なら寒いからだ。子供の頃はそれでも窓を開けて話していたが、互いにスマホを持ってからはそんなことがなくなった。部屋の明かりをつけると、愛は気づいてこっちに手を振った。


愛【おかえり陽向!勉強どうだった?】

結城陽向【友達が分かりやすく教えてくれたから、結構捗った】

愛【おー!よかった!良い友達だね!】


 名倉さんとのやり取りとの温度差に不覚にも笑ってしまっていると、また名倉さんからメッセージが届いた。諦めていなかったのかと思いつつ開くと、顔を顰めたくなるような文章が来ている。


名倉泉【父は会いたいと言っているわ】


 ……俺の返信で諦めていた訳ではなく、父親に意向を聞きに行っていたようだ。いや諦めてくれよ。というか俺の許可なく俺の存在を明かさないで欲しい。

 名倉さんは社長の娘。その父親がなんの事業をしているかは知らないが……普通の高校に通ってるということはそう大きい会社ではないだろう。とはいえ、それでも、社長は社長。そんな自分の娘に彼氏が出来て、その彼氏が「君の父親とは会いたくない」と言ってるとか……お父さんからしたら心配なはずだ。娘が「契約の上で付き合った」なんて言っていれば別の話、むしろ娘の頭の方を心配しそうなものだが、名倉さんが父親にそんなことを言ったはずはない。

 断りたくて仕方ないし、父親の言葉を駆け引きに出すなと言いたい。ここで俺が、「だから明日は勉強会するんだってば」、と言っても、名倉さんが父親になんて言い訳をするか分からない。父親にどう思われてもどうでも良くないか、と言われそうなのは承知の上だ。しかしメンヘラというのは、親もやばい人のパターンが多いものである。面倒臭いことにはなりたくない。

 ……父親に確認まで取られてしまったら、もう仕方ない。覚悟を決めるように細く息を吐き出し、俺は返事を打ち込んだ。


結城陽向【午前の数分ならいい】


 既読がついた。さっきからすぐ既読になるけど、俺の返信が来るまでずっとこの画面を見てるのか名倉さん。そして返信もすぐ来た。


名倉泉【わかったわ】


 了承してくれた。何よりだ。

 そうして行く時間などが決められ、俺はその後、佐々木たちのLINEに少し遅れるという旨と……遅れる理由に関しての愚痴を話した。気の毒がられるかそれとも笑われるか、結果は前者だった。もうこいつらもいよいよ俺の現状がどんどん笑えないことになっているのを理解しているらしい。気の毒すぎて言葉も出ないとはたむたむの言だ。


佐々木晴也【まぁなんだ……がんばれ……】

たむたむ【お前の母親には言わねぇの】

結城陽向【言わない。可能な限りすぐ別れるつもりだし】

まぶち【すぐっていつだよ……】


 馬渕、確実に痛いところを突いてくるんじゃない。俺だってあの菊城が絡んでいる以上迂闊には動けないんだ。何とかして俺に対して幻滅してくれれば名倉さんも何とかしてくれそうなものだが、顔ばっかりはどうしようもない。何とか問題を起こしてくれて、保護者召喚になればその限りでもないだろうが……ふーむ。


たむたむ【いっその事、名倉父に誓約書のこと話したら?】


「…………」

 俺からその話をする、それを考えなかった訳ではないが……前述の通りメンヘラの親もやばいパターンは多い。


佐々木晴也【まぁあれだ、一回会ってみてまともな人だったら言ってみるとかさ】

まぶち【そうだな……結城メンヘラ慣れしてるし、見抜けそう】


 何とかして打開策を探してくれている。勉強会よりもよっぽど有意義な時間となったのだった。

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