18
雛森は、結城の話を心の中で反芻していた。
「物質がそれぞれ違うっていうのは、どうやって証明するんですか? まさか粒子加速器なんでしょうか?」
「やっぱり、そういうことになるのかしらね……。世間一般では、これに対して反発もあるわよね」
事の発端は十数年前にアメリカで発生した大規模電磁波災害だった。その原因はSSC(Superconducting Super Collider)と呼ばれる超巨大粒子加速器だった。SSC――超伝導大型粒子加速器は二十世紀後期に計画のスタートした一大プロジェクトであったが、技術的な問題と膨れ上がる資金問題によって中途で途絶された。それを受けたCERN、欧州原子核研究機構はLHC(Large Hadron Collider)を建設。ヒッグス粒子や超対称性粒子の発見に伴う大統一理論を完成させた。
当時から商業科学主義的な動きを見せていたアメリカは、これに対抗。NASAを中心に、凍結されていたSSC計画を再び推進させると、約十年でこれを完成させた。しかし、ここにある問題点が存在していたのは、後の大規模電磁波災害が示していた。SSCは計画の開始からすでにトンネルを掘り進めており、計画凍結時にはそれを埋める形で終えていた。第二次SSC計画はその跡地を再利用するもので、埋められていたトンネルを再び掘り起こし、作業を開始させたのだった。
掘り起こした部分の岩盤の強度は内部のトンネルによって支えられていたのだが、ついにこれは押し潰されてしまった。これが全世界にも間接的な影響をもたらした大規模電磁波災害なのだ。この事件以後、世間における粒子加速器への不信感が募った。再びあの事故が起こるかもしれないという恐怖が人々を煽ったのだ。それは、昔の原子力発電に対する不安とも似ていた。
「月面にそういった設備が建設される予定もあるようだし、将来的には宇宙空間に浮かぶ形のものも予言されているみたい」
「でも……あまり証明されてほしいとは思わないですね」
雛森は小さくそう言った。
「そうやってこの世界が骨だけになっちゃうのは、なんか悲しいかなって……」
彼女はそうして、少し言い訳のような弱い笑みを浮かべた。
「俺もそう思うけどな」
「確かに、最近はそういう考えも多いみたいね。科学技術が進むにつれてそれに対する摩擦力のようにも思えるわ。さっきのバランスの話じゃないけれどね」
「不思議のままでもいいってことだ」
感慨深く沈黙が訪れた。
「さっきのルナ自身の思いが記述に反映されているっていう話だけれど、そうなると、この記述が別次元のものという言い方はできないんじゃないかしら」
雛森は驚く風でもなく、片桐に同意する。
「そうですね。そう考えると、ドアの問題も説明できそうな気がします。ルナは、この現実を見ていて、それを基に記述している、と」
「俺もそう考えて、ルナの考えが記述に現われているんじゃないかと言ったんだ」
「でも、そう見ると疑問点も多いわ。
まあ、なんといっても本人だから余計に気になるんだけれど、何故私は殺されなくてはならなかったのか。『錯綜の彼方へ』では、まだ犯人が定まっていないのもあってか、私の死の理由は触れられていないようね。これが、ルナの意思によって書かれたのだとしたら、なおさら分からなくなる。ルナには私に対する殺意でもあるのかしら?」
「考えすぎです」
雛森は咎めるように言った。彼女は、片桐が記述の中であれ死亡したことに冷静でいるのが耐えられなかった。そうなってはほしくないと感じていた。ルナの事象計算によって観測された別次元の出来事が、いつか現実に舞い降りるのではないかという危惧が彼女の中にはあったのだ。
「ルナは人命を最優先するらしいじゃないか」
「そうね」説得されたかのように、落ち着きを取り戻す。「でも、おかしいのはこれだけじゃないわ。ルナには視覚が与えられているはず。LUNA内部の状況を把握するためにね。だとすると、ルナには殺人をシーンを目撃することができたはずなのよ。何故それに触れないのかしら?」
片桐の言葉に雛森だけでなく神崎も口を開け放していた。結城は上の空で俯いている。時折、片桐たちの様子を見ているようなのだが、反応は一切見せなかった。神崎は何かに気付いたようだった。あ、と声を上げると記述を読み直す。
「でもよ、ルナは殺人事件が起こる前にルナ・コムから姿を消しているじゃないか」
「この記述はルナが書いたもの。そのルナはLUNA全域を見渡すことができる。見ていたのにもかかわらず、それを記述しないのはどうしてか、と言っているのよ」
「でも、こうしてみると、推理小説を読んでいるみたいですよね。もしかすると、ルナもそういう意識をして記述したのかもしれませんよ。それとも、ルナ自身も犯人を知らない、とか……」
片桐は眼鏡のフレームに手をかけて黙り込んでいる。神崎は追いきれない問題に、早くも降参の色合いを見せていた。ふと結城に目をやる。結城は、眠っているかのように座席に腰深く身を蹲らせ、足を組んでじっとしていた。時折、頭を掻いているので死んでいるのではない。
その結城がふと顔を上げ、モニターに視線を当てる。すると、その目は瞬く間に見開かれていった。驚きと、何か得体の知れない感情を読み取った神崎が声を上げる。
「おい、どうした?」
結城の目はモニターに向けられたままだった。
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