第16話 晦冥
「誰かいませんか?」
恐怖心が萎えたままの私がやっとの思いで告げると、奥に続く閉架室からうっすらと妖しい声がした。
「おいで」
私は妖霊星に導かれるように、机に本を置いてその声の主である閉架室に向かった。
「おいで」
寸動な鈍い声が秋湿の凪ぐような館内に轟くと、ベージュ色の明かりがたちまち消え去った。
漆黒に閉ざされた館内の窓際からは生温いホットミルクのような淡い色彩の月影が射し込んでいた。
微睡した月光が奥へ奥へと折り重なり合い、灰鼠色の絨毯を銀鼠色に染めていく。
数万冊も置かれた、欧羅巴の名門大学の歴史的に価値のある、ゴッジク建築の孤高な図書館のようにリファレンスされた本棚も月照を浴び、幻影を彩るように晦冥に浮かんだ。
ああ、日常に疲れた鼻をそっと撫でる馥郁とした匂いを感じる。
京都の名店で販売されている、茉莉花のお香を焚いたような匂いだ。
もしくは若葉が萌える御池の森の木漏れ日に沿って吹く翠風のような匂いだ。
「おいで。――僕の奥まで」
どうして、こんな街中まで森林の梢が匂うだろう。しかも、ここは街中の図書館の奥にある閉架室だ。なぜ?
「真依ちゃんはもっと奥へ入りたいよね?」
その声は耳を撫でるようにこそばゆいほど懐かしかった。だいぶ、君とは親しくは会っていないような気がする。
「真君でしょう? そこにいるのは」
その黒い影は閉架室の門扉から手招きしていた。
「待ってよ! 私だよ、真依だよ……」
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