第9話 惰性を貪る


 憎まれっ子の呼称を叫んだのはほんの一瞬だった。


「血捨木、日野先輩のこと、よろしく」


 近藤君を発作的に追おうとしたとき、もう、彼の人影はざっくばらんとなくなっていた。


 


 こんな不遇なケースなんてあるわけがない、と首がぎこちなく回らない。


 こんなこと、最初からなかったんだ、と惰性を貪りながら、ああ、みんな私のもとから去っていく、と誤作動を起こしたように苦しみが這うように背筋を蝕んだ。


 


 そのタイミングを見計らったように、哀愁のある蜩の歌声が峻厳な森の中からつんざくように聞こえた。


 社会との違和感と孤絶した私は道端でたまらなくなって、立ちすくんだ。


 


 どうして、きちんとさよならをできなかったのだろう、とたまらなく悔しく思える。


 大切な証をなぜ、私は敏感に気付けなかったのだろう。


 あんなにへらへらと笑っていた近藤君もそれなりの対価の事情として、色々あったんだ。みんな、大変な積み荷を抱えながら這いつくばって生きているんだ。


 


 ああ、何か胸がひりひりと痛い。


 苦しい、と簡単には癒えないほど手厳しく、思いの海嘯が私の浜辺に押し寄せてくる。


 相槌するように蜩が大きく虚空の密林に鳴いた。


 激しい純白色の照り付けるような入道雲が透明な青い夏空から大きく見えた。

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