第15話 主人と歩く、走る
「はい、どーぞ、センパイ」
「おおう、というか貰っていいの? 二人がとったのだし、それにこれ……どうすんの?」
「もちろん、貰ってくださいな。みつきもおんなじでしょー。……荷物になっちゃうのは、近くの神社にロッカーあるから、そこに預けますか。帰りにとって帰ればいいし」
射的の露店で獲得した二つの大きなぬいぐるみを抱える主人を見ながら、私は軽く欠伸をした。
「ねえ、みつき、貰っていいの、これ?」
主人がそう言って、膝を曲げて私に視線を合わせながら語り掛けてくる。
耳によく響くその声を聴きながら、私は黙ってうなずいた。そもそも主人の命令でにとったのだ、いいも悪いもありはしない。
「ていうーか、センパイ、そっちのぬいぐるみ、額に弾めりこんだままだけどいいんですか?」
「あはは、これはこれで味があるじゃん? おじさんも持っていっていいって言ってくれたし」
「まあ、センパイがそう言うなら止めませんが」
「そういや紗雪は、あの景品どうやってとったの? 多分、固定されてたでしょ?」
主人たちが話している間に、私は軽く周囲に視線を向ける。なんとなく、ただなんとなく周囲に視線を這わせてみる。
「え? ああ、ああいうのって台と両面テープでくっつけてるだけなんで、ぬいぐるみと台の隙間の同じ場所に、三発撃ちこんで無理矢理剥がしただけですよ」
「わー、変態」
「あはは、褒め言葉として受け取っておきます」
そんなやり取りをしながら、神社の隅にあったコインを入れるタイプのロッカーへと三人で足を進める。どことなくの違和感は、まだ私の肌に少しだけ張り付いてる。
ただ、少しだけ気になったので、主人と
まあ、当たり前と言えば当たり前だけど、組織の諜報員だ。銃器の訓練とかは受けているんだろう。ただこの女が銃を構えた時、少しだけ既視感があった。まあ、なんとなくそんな気はしてたけど。
そうやって思考をしているうちに、人並みを外れてロッカーの前に行きつく。
一つだと入らなかったので、別々のロッカーに二つ、大きなぬいぐるみを無理矢理変形させながら収納する。
それは終わった時点で、組織の女は軽く踵を返すと、私達から少しだけ離れた。
「じゃ、私、今日はこの辺で帰りますねえ」
じわりと、少しだけ背中に嫌のものがはしる感覚がした。
「え、紗雪? 早くない? っていうか、これ預けてもうしばらく回ろうって話じゃなかったっけ?」
主人がそう不思議そうに問うているけれど、女の顔は不自然に張り付いたみたいな笑顔のままだ。
「いやあ、用事想いだしちゃって。すいません、あとは二人で回ってくださいな。いやー、今日は至極楽しかったです、本当にありがとうございました」
困惑する主人をよそに、組織の女の表情は変わらない、しかも不自然なほどにじっと私に視線を向けてくる。
視線が合って、数度瞬きをした女は、軽く笑みを深くすると、私にひらひらと手を振った。
「じゃね、みつき。また学校であおーぜ!」
私の眼をじっと見て、すっと私に掌を差し出してきた。ハイタッチに近い動作。
促されるまま、手を上げるとそれに合わせて、女は軽く掌を弾いた。
ツッ―――っと、わずかなひっかきが掌を走った。
右―――と、そう指し示すように。
女はそれから私の様子をどこか満足げに眺めた後、意気揚々と言った感じで、踵を返すと人ごみの中に消えていった。
息をすこしだけゆっくりと長く吐く。
気取られないよう、悟られないよう、一瞬だけ眼球を右に動かした。
視界の端、焦点が合うぎりぎりに、一人の人影が立っていた。
それを認知した瞬間に、私はすぐに視線を正面に戻す。まだ人ごみの向こうで、女が手だけをひらひらと振っていた。
随分と回りくどいことをする。いや、あの状況はそうせざるおえなかったのか。組織も一枚岩ではないみたいだ。もしかしたら、あの女が異端なだけかもしれないけれど。
―――尾行されている。多分、なんなら盗聴、監視も。
だからあの女は尾行者の情報を、視覚にも聴覚にも頼らない方法で伝えてきた。
一体、どこの?
……考えるまでもないか、
さっき視界の端に映った人間はどこにでもいる、高校生ほどの少年だった。
だというのに、どこか嫌な粘っこい雰囲気が漂っている。普通に生きている人たちには気付かない異質な気味の悪さがある。
マフィアみたいな暴力を生業とする裏社会の人間ともまた違う、そんな異物感。
日常に擬態しながら、悪意を孕んでいる分、荒事の連中よりよほど気味が悪い。
私はそれとなく主人の手を引いて、人ごみの中に誘導する。
表向きは、子どもが姉か誰かの手を取って、歩くみたいに。それとなく、何気なく。
「み、みつき、どうしたの?」
歩きながら、人ごみに紛れて、主人の眼をじっと見て口を開く。
「あっちに見つけた露店が気になる」
「え、……うん」
そう言いながら、私は握った主人の掌に薬指で文字を書いていく。
事情を詳しく説明できる自信はない。主人の観察力に依存する形になる。
ただ事前のセーフワードは決めてあるから、ある程度の意図は伝わるだろうか。
「あと、私少し『トイレに行きたいかも』」
その言葉を聴いた瞬間に、主人の身体に一瞬の緊張が流れた後、すっと波のように納まった。
「おっけ、わかった。どっち探す?」
詳細は盗聴、監視の可能性も考慮すると伝えられない。私達が尾行に気付いた、ということを気付かれるのが一番まずい。この人ごみの中、強硬手段に出られるのが一番面倒だ。
「あっちがいい、主人は大丈夫? 足とか疲れてない?」
「んー、大丈夫……いや、ちょっと疲れたかも」
「そう、
ぎりぎりで意図を伝えながら、周囲に視線と警戒を向け続ける。組織の厄介なところは、どこに潜んでいるのか解らないところだ。さっきのやつは気配で何となくわかったけど、ほかの奴もあそこまで解りやすいとは限らない。
じりじりと、視界を行きかう人達の気配に神経を使いながら、何気なくでも確実に、人ごみの中を進み続ける。
「そだね、ちょっと電話しとこっか……あ、もしもし? 渚? ちょっと『車』出してほしくてさ、うんうん、大丈夫。そう、頼める?」
主人はこちらの意図をちゃんと理解してくれたようで、出来ることをしてくれている。
となると、迎えが来るまで時間を稼ぐのが私の役割だ。
手首につけたワイヤーを少し触りながら、いつでも対応できるように、周囲を警戒しながら思考する。
まず何処へ向かうかだ。人ごみの中にいれば、向こうも大仰な行動は起こせない。かといって、もちろん、それはこちらも同じだけど、時間稼ぎとしては成立してる。
ただ、人ごみの中にも関わらず仕掛けてきた場合が問題で、人が密集してる分、どうしても対応が一手遅れてしまう。
今のこいつらの尾行の狙いが主人の命の場合、その一手で主人の命が危険にさらされる。反撃を覚悟した決死隊のような狙い方をされれば最悪だ。
そうなると、人ごみから離脱するのが安全なようだけど。そうすると今度は、向こうも大手を振って人数や装備を投入できるようになってしまう。あまり移動を続けると、迎えとの合流も遅れてしまう。
そこまで思考して、私はおもわず溜息を付いた。
私は本来殺しの人形だというのに、人を護るというのはあまりにも困難だ。
訓練に訓練を重ねた精鋭が、ほとんど何の訓練もされていないようなテロリストの攻撃から要人や民間人を守れないこともそう珍しい話じゃない。
善意や責務で誰かを護ることはそれほどまでに困難なのに、悪意と衝動で誰かを傷つけることはあまりに容易い。
「…………」
少しだけ主人の手をぎゅっと握った。
どちらの道を選んでもリスクは存在する。それを理解したうえで尚、選ばないといけない。
多分、殺しの人形だけをしていれば、悩むことすらありはしなかったろう。
ふぅと軽く息を吐いてから、目の前の人だかりが途切れた瞬間に、主人をそっと振り返った。
目線が合う、確かに頷く。
そのまま露店の陰に二人ですっと入り込んだ。
これで、最低限さっきの尾行していた高校生からの視線は切れる。
「走って」
小さく、でも確かにそう告げた。
主人の手を握ったまま、その場から逃げるために走り出した。
どちらを選ぶべきか? 何を迷っていた。考えるまでもない。
この主人の命は私が守る。たとえこの命に代えても。
人ごみの中で奇襲を受ければ、私が盾になる時間すらないかもしれない。
となれば、残された道は一つだ。
露店の隅、街の路地の奥へ続く道を走り続ける。
人ごみの監視もないが、逆に追ってくるがわも隠れる余地がない。
しばらく走ったところで、歩調を緩める。
浴衣着で走った主人の息が丁度、切れ始める頃合いだ。
「そこで、座ってて」
そう主人に告げてから、路地の上にへと少し
音を立てないよう、宙を払いながら窓のヘリや室外機を足がかりにして、小さなビルの隙間からそっと周囲を窺う。
案の定、というか二人ほど、路地の奥へ入ってくる人影があった。慌てた様子だから、あれが尾行者で間違いない。
数はあれだけ? いや、まずそれはない。
少数で仕事を成すにはあまりにも仕事が稚拙すぎる。まだ他にも沢山人員が投入されているはず、あれは恐らく斥候だ。
私はそれだけ確認すると、音を立てないようにしながら主人の隣にもう一度降り立った。
暗闇でお互いの顔がよく見えない中で、あなたの瞳をじっと見つめながら口を開く。
「追っ手が二人いる。私が始末するから、それまで隠れてて。車との合流はどれくらいかかりそう?」
「早くて十五分ってところかな、隣駅だし。大分飛ばしてきてくれてはいるみたい」
「そう、解った」
十五分。撤退だけで稼げる時間じゃない、やはりある程度、敵を
主人の安全も考えて、迅速に、傍をできるだけ離れないように。
そう思考していると、主人の手が私の肩にそっと置かれた。
目線を私と同じ高さに合わせて、暗がりの中、よく見えていないであろう私の眼だけをじっと見つめている。
「ねえ、みつき、無茶なこと言ってるのはわかってるけど。できるだけ、殺さないで」
追っ手の足音が遠くで響いてる。あまり多くの時間はない。
「……それはあなたの危険が増す。後処理のことを考慮しても、すぐに済ませるには、殺すのが一番早い」
殺すのは簡単だ。ワイヤーを首に掛けて、そのまま体重で頸椎を折ればいい。ただ、気絶させるとなると、どうしても首を絞めるのも加減がいるし、意識が飛ぶまで時間がかかる。
「うん、わかってる。一番の優先はみつきと私の安全。でも、きみならできると想うから、できるだけでいいから、殺さないで。お願い」
時間は―――ない。説得の問答を繰り返す時間すら。
「それは―――命令?」
だから、問うた。
それにあなたは、ただ笑って―――どこか悲しそうな、寂しそうな瞳をして笑っていた。
「ううん――――お願い」
少しだけ、溜息を付いた。
命令でない以上、実行する義務はない。
義務はない……わけなのだけど。
「………………」
今追ってきている二人組は、かなり素人くさい動きだった。
ただ、それを考慮しても、仕事がややこしくなるのは確実だ。
「………………………………」
吸っていた息を深々と吐き出した。
足音は近い、説得にかける時間はない。
……はあ、仕方ない。わがままな主人だ。
「……善処する。確実な実行は保証できない。それと、あなたの命が危険に晒されると判断したら、私は躊躇いなく殺すから」
「うん……ありがと」
あなたはそう言って、私の言葉に満足げに頷いた。
はあ、全く。殺さないことに一体何の意味があるのか。
まあ、今更、私に考える意義はないけれど。
なにせ、やるべきことが決まったんだ。あとは出来ることを成すだけだ。
迎えが来るまで、あと十五分。
気付かれないうちに、増援も呼ばせず、静かに落とす。
手首に付けたワイヤー少しだけ夜闇の中、すっと垂らした。
まず、二人。
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