第7話 主人と出かける、ケーキを食べる
私が主人の元で暮らし始めてから、おおよそ二日が経過した。
「というわけで、今日はみつきを皆に紹介する日なのだ」
初日の狙撃犯による襲撃の後、事態は無事収集して、今日までは平和な日が続いてる。
窓ガラスも無事防弾のものに張り替えられたし、警察も早々に撤収した。
私の方も、最初こそ調整不足で倒れこそしたものの、引継ぎをした医者が調整を施してからは無事に活動できている。不安だった装備面も、第三主人の御付きだった佐伯とか言う黒服が箱にあった私の装備一式を揃えてくれたから、万全だ。
命令遂行に支障はない。
初めての食事の時、改めてハヤシライスを創り直そうとした主人は、材料が襲撃でダメになっているのに気が付いて、なくなくカレーライスにメニューを変更していた。
私としては栄養補給ができればどちらでも構わなかったけど、主人は無言で食事を頬張る私を酷く楽しそうに眺めていた。私みたいな、無反応な人形を見て何が面白いのかはわよくわからないけど。
そうして、今日、主人が経営する喫茶店に顔を出すことになった。
店といっても、家からはほとんど離れていない、住んでいるビルの一階に店がある。
ここに来た時と同じように主人に手を引かれて階段を降りながら、私達はその店へと向かっていた。
そうして、主人は『喫茶アイランド』と書かれた木目調のドアを勢いよく開いた。
「おっはよー、堂島さん、真島さん! 前言ってた子、連れてきたよー!」
そうして主人は快活に、元気よく中にいた大人三人に声をかけた。
うち一人は、私の調整を担当してくれた女の医者だ。名前は―――住良木と言っていただろうか。
残り二人は見たことのない顔だった。壮年のひげを蓄えた男性と、茶髪に染めた二十代くらいの男性。どちらも、主人のことをみると朗らかに手を上げた。
「おはよう、社長。コーヒー、上がってるよ」
「おっす、お嬢。また襲撃されたんだって? 毎度悪運が強いなあ」
男性二人はエプロンをしていて、店員のようだ。医者の方はおはよーうと眠たげに返事をしてから、特に何をするでもなくコーヒーを啜っている。
「そーなの、後始末とかもう大変。署長さんに『もう今月はこれで勘弁してね』とか言われちゃったし。私に言っても仕方ねーじゃん! って思わず叫びそうになっちゃった」
「それは災難だったねえ。お嬢はコーヒーいつものでいいかな。そっちの子は……何がいいかな」
「うん、ありがと。みつきは……牛乳とオレンジジュースだったらどっちがいい?」
「…………あなた飲むものと同じがいい」
「おっけ、じゃあ堂島さん。この子もコーヒー」
「うん、わかった。牛乳と砂糖は自分の好きなように淹れてね」
そうやって話ながら、壮年の男性はゆっくりと頷くとカウンターの奥に頭を隠した。
私と主人は医者の隣に並んで座る。主人が医者の隣に座って、私が医者と反対側の席に座る。少し背の高い椅子だから、私も主人も床に足がつかなくて、少しぶらぶらさせるのがどうにも不思議な感じがした。
そうしていると、今度は茶髪の男性の方が、私達の隣にすっと両手に小さな皿を持って現れた。
それがコトンと目の前に置かれる。そこにあったのは茶色く表面が光っている……ケーキだった。
「ちょっと試しにガトーショコラ作ってみたから、味見どーぞ。そっちの子もね。評判がよかったらメニューに入れるかも」
おおーと主人が感嘆するのを眺めながら、私は無言でフォークを取ると主人のケーキに差して一欠けらだけ口に含んだ。甘い。でもほろ苦い。カカオの苦さだ。
「うぇ、どうした? えと、なんだっけ、……みつきちゃん」
私の視界の端で、青年は少し困ったような顔になっていたが、主人がけらけら笑いながら首を横に振った。
「ああ、気にしないで。毒見してくれてるんだって。私も最初、びっくりしちゃった」
「毒は入ってない」
私はそう口に出して、主人の皿にすっとケーキを返した。食べる量は最小限に留めたから、主人が食べる分は減っていない。
なので全く支障はない。それはそれとして、眼の前にあるのだから、私は自分の分を食べる。
「………………」
「………………ふふ、見てて面白いでしょ。真島さん」
「ああ……すげえ勢いよく食うなあ、この子」
私がケーキを食べている中、主人は隣でなにやら楽しそうに青年と喋っていた。
…………よくわからない。私の反応なんて見て、一体何が楽しいのだろう。
「昨日、カレー創ったんだけどさ。今みたいにすっごい勢いで食べるの、十秒くらいでお皿が空になるみたい。私なんか逆に感動しちゃった」
「…………ほぉん。もう一個持ってきたら、お嬢とみつきちゃんは食べる? ショートケーキあんだけど」
「だって、みつき。食べる?」
どことなく隣で神妙な顔をしている青年を訝しみながら、私は主人の方を見た。相変わらず何が楽しいのか、私の方を見て、酷く楽しそうに笑っている。
私はゆっくりと首を傾げて、手に持っていたフォークを置いた。チョコレートケーキはもう完食し終えていた。
「主人が食べるなら、食べる」
そう答えた私に主人は満足げに頷くと、青年の方に目を向ける。
「というわけで、真島さん、おねがい」
「うい、ちょっと待っててなあ」
そうして私と主人は結局、ケーキ二つとコーヒーをしっかりと胃袋に流し込んだ。途中から隣で見ていた医者の方もケーキを注文して食べていた。
「おいしい?」
と主人が聞くけど、私は首を傾げるばかり。
栄養補給が必要だから身体の中に入れている。私の食事は結局のところそれだけだ。
だというのに、私が食べる姿を見ていると、周りの大人は楽しそうに微笑んでいた。
何が楽しいのか、私にはさっぱりわからない。食事を食べ終えた後、私はただただ首を傾げていた。
※
「結局のところさあ、お嬢、
しばらくして食事を終えて、食後にコーヒーを流しているところに、茶髪の真島と呼ばれた青年がそう尋ねてきた。
「お、それ聞いちゃう? 真島くん、首を一度突っ込んだらもう二度と帰れないよ……?」
そしてその問いに主人が答える前に、堂島と呼ばれた壮年の男性がどこか朗らかに口を開いた。
どことなく脅すような、でもどこか愉しんでいるような。
「うぇ、まじで? 秘密を知った奴は生かしておかないみたいな奴? ……じゃあ、遠慮したいんだけど」
そんな真島の様子を私以外の三人はどこか楽し気に見て笑っていた。
「あはは、まあ、別に
そう言いながら主人は私の手を取って、おー、と万歳をさせてくる。よくわからないので、私は成されるがままに手を上げてみる。それに主人はご機嫌だ。……私は殺しの人形ではあるけれど、別に本当に人形ってわけじゃないんだけど。
「
故に、
私の手が主人によってくるくると円を描くように回される。
「目的も不明、たまにふらっとあらわれては暗殺・破壊工作・裏取引・慈善事業を繰り返す。ボスが誰か、幹部が誰か、どこにいるか、何人いるか、全部不明。一貫性もなく行動は全て突発的、警察もマフィアも扱いあぐねてることだけは確か」
広げた両の手をバタバタと振って、そのまま手をぐるぐる回す。どこかへ飛ぼうとでもしているのだろうか。
「本当にいるのかいないのかも、よくわからない、わけわかんない裏社会の中でもとびっきりよくわからない謎集団。
ただ強いて解ってることを上げるなら―――」
そうして、パチンと両の掌を頭上で合わせた。私がその手を不思議に想って見ていると、上から覗いてくる主人と目が合った。子どもが遊び道具を見るように、楽しげな笑みでこちらを見ている。
「うちのくそばばあと―――死ぬほど仲が悪いってことくらいかな」
そうして私の手はぱっと離された、行くあてもない私の両の手はしばらく迷った末に私の両脇に帰還する。ただ、手が解放された代償に今度は主人の顔が私の頭の上に振ってきた。
私の後頭部にうりうりと頬を摺り寄せてくる。まあ、特に支障はないので放置するけど。この前の狙撃の時みたいに、私が勢いよく動き出したらこの人はどうするつもりなのか。
「なんかとんでもないのに狙われてんだなお嬢。で、今回の殺し屋もその組織の関連だったんかい?」
真島と呼ばれた青年が私の前にちっちっちと言いながら、指を出してきた。この人たちは、私を猫か何かと勘違いしていないだろうか。
「いんやー、それがどうも違うみたいなんだよね。雇われの殺し屋だったけど、依頼主が不明みたい。どっかの裏サイトに私の懸賞金とか上がってたらしいけど。はあ、一体誰がただの女子高生の首に、たっかい金を出してるのやら」
「へえ、お嬢、とうとう賞金首か。あれだろ、
「真島君、それ割と、デリカシー案件だよ」
どこか楽し気に会話する主人と真島という男に、堂島と呼ばれた店主がそう制止をかけた。当の真島と呼ばれた青年は、すぐに掌を合わせると、「ごめん、お嬢」と謝っている。まあ、当の主人が誰よりも気にしてなさそうだけど。
「まあ、結局。裏社会で権力持ってるうちのばばあへの人質目的なんだけどね。なにせ、肝心のばばあが特級の賞金首だし。でも、それならちゃんと、暗殺者の皆さんも生かして捕まえて欲しいよねー、一応、人質なんだしさ」
「ほんとだ、デッドしちゃダメじゃん。お嬢、ちゃんとアライブしないと」
「そんなの私が決めれるんなら苦労しません―。もう来月の真島さんの給料さげちゃおっかなー」
「おおう、それはご勘弁。てか、社長がそれ言ったらパワハラだぜ? お嬢」
「いやあ、今のやり取りは真島君が悪いけどね。ケーキの追加要望くらいしとくべきだよ、社長」
「ではけってーい、もう一種ケーキを持ってきたまえー。……お昼ごはん入らなくなるから、ちっちゃいやつね」
「へいへーい。チーズケーキとかあったかな。みつきちゃんと二人で一つとかでいいかい?」
「いえーす。みつき、それでいい?」
「私はあなたが食べるものならなんでもいい」
「はあ、うちの殺し屋が可愛すぎる……。愛しい、ちっちゃい、これも食べたい……」
「冗談なんだろうけど、顔がちょっと怖いよ、社長」
やり取りを終えて、私の頭上で、頬ずりを延々と続けていた主人がより一層、私の頭を抱きしめてきた。命令遂行にそこまで支障はないけれど、少しだけ動きにくいの困ったところだ。
「ところろで、みつきちゃん。チーズケーキに乗せるなら、ブルーベリーかストロベリーどっちがいい?」
「真島さん、それは永遠の課題だよ。答えとかでないやつじゃん。……みつきー、どうするー?」
「……よくわからない。どっちも乗せるのはダメなの?」
「「それだわ」」
そうして、私の周りにいる人達が、やかましく、かしましく騒いでいる。
雑音ばかりのその環境は命令遂行には少し不便で、苛立っていてもおかしくはないはずけだけど。
眼を閉じると、少しだけこの空間が暖かく想えるのは。
なんでだろう。
わからないままに、私はじっと主人を見上げた。
あなたは何も変わらずに、私を見つめて笑っていた。
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