第4話 主人が口を開く、命令を聞く

 新しい主人はよくわからない人だった。


 殺しのために造られた私に、『幸せを見つけろ』なんてよくわからないことを『お願い』する、そんな人。


 どうしてそんなことをする意味があるのだろう。


 慈善活動がしたいなら、私じゃなくてそこらへんの恵まれない子どもにでもすればいい。そっちの方がはるかに手っ取り早くて、救い甲斐があって、なにより


 もう造り変わって壊れてしまった私なんかを救うよりは、そっちのがずっと合理的だと想うのだけど。


 「ふふふ、こんなこともあろうかと、昨日ハヤシライスを作っておいたのさ!」


 そう言って、冷蔵庫から鍋を取り出して、キッチンに火をかける主人を見ながら、私はただ首を傾げていた。


 『命令に従え』と頭の中で第二主人の声が響いてくる。


 ……この声をあまり無視しすぎるとやがて痛みに変わるから、今の主人にも早めに新しい命令を出してほしいものだけど。


 「スプーンとフォークはこれね? ちょっと机拭いてきてもらっていい?」


 私は手渡された食器を眺めて、内心やれやれと溜息を付いた。


 これで命令を聞いてるってことにはならないかな、いつも命令を聞いてる時特有の、思考が切り替わる感じがないから望み薄だけど。


 私は一応、頷いて食器を持って食卓の机に運んだ。スプーンとフォークが擦れる音。布巾の冷たさ、湿り具合。どれも感じた記憶はないけれど、軽いフラッシュバックが時折視界を覆ってくる。


 『命令に従え』と声がする。


 今、命令なんてされていないから、そんなことどうしようもないんだって。と頭の中で考えても声は止んでくれない。


 …………駄目、しばらくこの頭痛は起こりっぱなしかな。


 私は諦めて、極力頭痛が支障をきたさないよう、片目をつぶった。それで頭痛は少しマシになる。


 そういえば、命令じゃない会話を、こんなに続けていること自体、今までとんとなかったんだっけ。


 そんなことを、今更だけど思い知った。


 ……私はこのままで、大丈夫だろうか。ここにいてもいいのだろうか。


 腕に痺れが起き始めるのを感じながら、そんなことを考えた。







「命令をして欲しい……?」


 私の言葉に、主人は不思議そうに首を傾げた。


 私はいい加減、思考のノイズにうんざりしながら片目をつぶったまま頷いた。


 「私はそういう風に調整されているから。命令がないままだと身体が拒否反応を起こすの。私が命令に違反しないために、あと自発的に従順になるように。そう造られてる。だから、なんでもいいから命令が欲しい」


 気分が悪くなっているのは、もちろんそれだけじゃなくて、前の薬の投与が随分と前だったからだろう。あの第四主人が箱を襲撃してから、ちゃんとした調整を受けていない。まあ、そっちは今言っても仕方がないだろう。


 なんにせよ、私の身体は今、『命令』を欲している。飢えが喉の奥を掻きむしるみたいに、頭の奥からガンガンと音が鳴り止まなくなっている。


 ちょうど食事の準備が終わり、湯気の立つハヤシライスを二人で目の前にしていた時だった。


 私の言葉に主人は、少しふむと考えるようなポーズをとる。


 「その拒否反応ってのは、結構きつい感じ? ……いや、きついから言ってるんだよね」


 「………………」


 それから、ゆっくりと私の目の前にすっと自分がもっていたスプーンの先をもってきた。


 「例えば、『このスプーンを受け取って』っていうのじゃ、その痛みはなくなってくれないの?」


 私は、いい加減じりついてきた頭痛に顔をしかめ続けながら、仕方なく首を横に振った。


 「…………それじゃ、駄目だと思う。少しは、マシになると想うけど。……なんというか、……本当にあなたの意思で明確に『命令』してくれないと駄目。ちゃんと言語化できないのだけど……」


 そもそも今までの主人たちは、私と命令以外の会話などほとんどしなかったから、必要のなかったことなのだけど。


 私の言葉に、主人はしばらく目頭を押さえながら、難しい顔をしていた。


 ……困った、この主人はあまりにも優しすぎるのだ。つまり、厳格な主従関係を築くことが難しいのかもしれない。そうすると、私はどうすればいいのだろう。


 この頭痛をいつまでも抱えたままでは仕事に集中もできないし。最悪どこかで拒絶反応がおきるかもしれない。


「おっけー、わかった。ご飯食べてから―――って言いたいけど、折角の食事に頭痛を抱えたままってのも味気ないね」


 私が考えていると、主人はそう言ってから短く息を一つ吐いて、スッと目を静かに細めた。



 「してあげるよ―――命令」


 低く冷たい声だった。


 そう言って浮かべた顔が、少し、少しだけ今まで使えていた主人の何人かとダブって見えた。冷たく、無機質で、物か何かを見るかのような瞳が、一瞬だけ。


 ただ、一瞬、目をつむると、そこにいたのはさっきまでと同じ、微笑をたたえた穏やかな顔をした主人だった。…………禁断症状が変な幻覚を見せたのかもしれない。


 「じゃ、食前の運動としゃれ込もっか、みつき」


そう彼女が言葉を発した瞬間に。


















 ―――世界が切り替わった。












 身体全体から血という血の全てが抜け落ちていくような感覚がする。



 さっきまで頭の中で鳴り響いていた呻き声が、一斉に沈黙する。



 脳が思考を止め、全自動で身体が動き出す。



 『命令』を遂行する。



 スプーンに手を向ける動作そのままに、私は袖に忍ばせていたナイフをそのまま



 『箱』の中で何度もした訓練だ。誤りはない、寸分の狂いもない。



 確信と同時に、座っていた上体のまま足の指で無理矢理反動をつけて、前に飛ぶ。



 机の上に足ごと身を乗り出しながら、主人の肩を思いっきり掴み、飛び掛かるようにしてその身体を下に引っ張った。抱きつくように押し倒す。



 何も理解していない主人は、目を丸くすることすらまだできていない。



 その瞬間だった。





 弾け飛んだ。







 何かが高く鳴り響く音と、ほぼ、同時に。



 ガラスが。



 投げたナイフが。



 食器が。



 そして私たちの側面にあった食器棚が。



 爆音と破砕音を何重にも重ね合わせて、弾け飛んだ。



 主人の顔があった場所の近くに投げたナイフが、真ん中に大穴を開けて弾け飛ぶ。軌道を逸らすように投げたけど、一応、主人を伏せさせておいてよかった。この威力じゃ、軌道が逸れても主人に大けがをさせていただろう。



 転げながら彼女の脇を掴んで、キッチンの陰に倒れ込む。



 怪我をさせないように気を付けながら、足を限界まで踏ん張って二人分の体重をキッチンの陰に滑り込ませた。それと同時に、もう一発の弾丸が、窓ガラスを砕きながら、さっきまで私たちの足があった場所に飛来した。



 今度は床にめり込んだだけだから、いささか破壊音が大人しい。



 私は軽く息を吐きながら、懐を探る。残念ながら、『箱』を出るときに持っていたナイフは、さっきの一本だけだ。



 そこまで来て、主人はようやく事態に意識が付いてきたらしい。




 「な、な、な何? なんなの?! 何が起こったの?!」




 ようやく目が丸くなって、顔が青ざめて、あわあわと口がよく動くようになっている。状況が早すぎて、生理反応すら遅れているさまは、少しだけみていて可笑しかった。



 無理矢理キッチンの陰に連れ込んだから、偶々胸部を強く握っていた。おかげで心臓の拍動がよく感じ取ることができる。随分と脈打っているみたいだ。ドクドクと手のひらが少しうるさい。




 「何って―――狙撃だけど?」




 遠方から、ライフル等の銃を使って一方的かつ唐突に、相手の命を奪う、そんな手段。



 もちろん、どの国でも違法行為、この国では武器を所持してること自体が違法ではあるけれど。まあ、だからと言って起こらないわけじゃない。


 返事をしながら、私は中身がぶちまけられたお皿をひとつ拾って、キッチンの陰からそっと投げてみた。丁度、窓から見える射線が通るところへ。



 ほぼ同時に投げた皿の端っこへ銃弾が着弾して、派手に白い破片が散らばった。どうも、狙撃手は諦めずにまだ粘っているみたい。



 私は腕の中で大慌ての、私より背も年も上の主人に向かって、口を開いてみた。



 「はよくあるの?」



 私の問いに、主人はしばらくあわあわと口を動かしていたけれど、ぐっと口を強く結んで自分の頬を軽くぱんとはたいた。どうにも、気持ちの切り替え動作のようだ。



 それから、じっとこっちを見た瞳は、ある程度動揺はしてるけど、まっすぐと状況に対処しようっていう意思があった。大慌てになって平常心を失われるよりは幾分楽だ。



 「ここまで気合入ったのは何年かぶりかな。――――なんとかできる?」



 あなたはそう言って、まっすぐ私を見た。



 私はその問いに、軽く笑みをつくって答える。



 図らずも命令を実行する機会が出来た。おかげでさっきまで延々と鳴り響いていた頭痛はすっかりと鳴りを潜めている。



 「もちろん、そのために私はいるんだから。……ところで、この家、セーフゾーンみたいなところはある?」



 「ある! 丁度キッチンの下に! 二階に繋がってて、三日くらいこもっても大丈夫で、結構ドアも頑丈なやつ!」



 私の問いに、主人はしっかりと答えを返した。判断も返答も早い。意外にこういうのは慣れているのかもしれない。身のこなしとかは素人同然ではあるけれど。パニックにならない分だけやりやすい。


 「じゃあ、そこにこもって。三十分経ったら開けて。ただ、それまでは誰が来ても開けないで。いい?」



 私の問いに、主人はがくがくと必死に頷いた。自分より、大人な見た目だけど、今だけはまるで私が母で、彼女が子どものようだった。その様子に、少しだけ微笑んで、お互い頭を伏せたまま、キッチンの下にある倉庫めいた場所まで移動する。



 うん、ちゃんと丈夫そうだ。蓋も頑丈だし、電子ロックまで付いている。本当に襲撃されること自体は、何回かあったのだろう。おかげで、こっちは楽に済んでいるわけだ。そうやって感心しながら、彼女が重いドアを開けて、その中に身体を隠すのを見届ける。



 ただドアが閉まる瞬間、彼女は少しだけ逡巡した後、私の瞳をじっと見つめてきた。


 どうかしたのかと、私が訝しんでいると、彼女はじっと意思を瞳に宿したまま私に向かって口を開いた。



 「いい、みつき。『命令』だから『絶対に死なないこと』。わかった?」



 静かで、優しくて、穏やかで。



 そして有無を言わせぬ。そんな不思議な言葉だった。



 そんな言葉に、私は思わず息を吐いて笑みを浮かべた。



 「了解。私は絶対に死なないし、この狙撃手もちゃんとやっつける」



 思わずくすっと笑ってしまうけれど、彼女の視線は真剣そのものだ。さっきとは逆で、まるで、母の心配をする子どものよう。私にもう、母親の記憶なんてないんだけれど。



 「大丈夫、そんなに大した敵じゃないから。安心して」



 そう言って、主人の頭を少し撫でた。主人は少しばかり逡巡した後、強くうなずいて、そのまま下の階への蓋を閉めた。



 ガコンと思い鉄の蓋が閉まる音がする。





 



 軽く、長く息を吐きだす。





 気配でわかる。狙撃手は、まだここを狙ってる。




 悪手だ。失敗したら狙撃手はさっさっと諦めて逃げなければいけない。音と着弾の誤差もほとんどない。そう遠くにはいないはず。





 床に散乱した食器から、料理用の包丁を一本引き抜いた。





 さあ、仕事の時間だ。





 『千歳羽樹里を、守る。たとえ、この命に代えても』





 命令を、遂行しろ。





 識別番号323『ハエトリグモ』。





 それだけが、私が生かされている意味なのだから。

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