4.罅割れた心

そこは凜が想像している物とはかなりの乖離かいりが有った。お菓子の箱や袋、ペットボトルが散乱し、大きなごみ袋が数個放置され机の上には乱雑に読みかけの本、そしてベッドの上には掛け布団が丸めて置かれ、シーツは皺だらけでかなり乱雑な室内は少なくとも中学二年女子の部屋とは思えなかった。


「散らかってるけど気にしないで」


摩耶は凜に視線を合わせる事無くポツンと小な声で極めて無機質に呟いた。エアコンの暖房は入れられていなかったらしく冷えきった空気が部屋の惨状さんじょう誇張こちょうしている様に感じた。


「え、あ、うん……」


失礼な事だとは思ったが凜は部屋の中を出来るだけ目立たない様に視線だけで観察するがその様子に摩耶は気付いていた。そして針でちくちく刺す様な口調で言葉をかける。


「こんな事になってるなんて思わなかった?」

「……う、ん…まぁ、ね」


背後に立っていた摩耶に向かってゆっくりと振り向く凜は取りあえずな笑顔を張り付けてその場をつくろおうとしたが彼女の視線は氷点下の冷たさでとても誤魔化しきれそうな雰囲気では無かった。しかし、凜にはどうしても話さなければならない事が有る。傑が摩耶に告げた話の中で決定的に欠落している部分、それを分かってくれたならば自体は解決出来ると言う確信も有る。だからおずおずとではあるが凜は口を開いた。


「あの、ね、摩耶……」


そこまで言った時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。それに続いて部屋の中に呼びかける声。


「……摩耶ちゃん、起きてる?」


声の雰囲気からし、おそらく摩耶の母親だと思われた。そして、そのかなり遠慮気味な声は摩耶自身によってさえぎられる。


「何よ、入らないでよ!!」


一括と言ってもオーバーではない彼女の鋭い声に母親は一瞬黙り込む。おそらく豹変ひょうへんしてしまった娘に対してどう接していいのか分からず、狼狽する以外の対応をする事が出来ない歯痒さ交じりの態度が逆に摩耶の逆鱗げきりんに触れているのかも知れなかった。それは思春期の入り口で足踏みをするしかない自分の不甲斐ふがいなさに対する怒りの表れでもあった。


「あ、朝ごはん、ここに置いておくから。あと、飲み物もね……」


か細く響く母親の声を摩耶は身動みじろぎもせず聞き終わると彼女は凜に再び視線を向ける。


「……ったくもう、めんどくさいんだから」


吐き捨てる様に呟いた摩耶に凜は何か言いたそうな表情を見せたが今は言うべきでは無いと感じて、その言葉をぐっと飲み込んだ。そして改めて本題に入る。


「実は、摩耶にお願いが有るんだ」

「……なぁに、私に阿保面晒しながら学校に来いとでも言いたいの?」

「ううん、そうじゃないんだ、僕、摩耶の誤解を解きたいんだよ」


凜の言った誤解と言う言葉を聞くと同時に摩耶は瞬間湯沸かし器並みの反応でまくした。


「誤解?何を誤解しろって言うのよ、元はと言えばあんたが佐藤先輩に告白したこともキスした事も黙ってたのが原因じゃない、こんな事になってるのは全部あんたのせいなんだからね!!」


それは全て傑の説明不足に起因していて決して凜に向けられるべき憤慨ふんがいではないのだがその勢いの激しさに凜は思わず黙り込む。しかしその沈黙の歯痒さが矛先を向けるべき方向が見つからない摩耶の心に更に油を注ぐ。段々と乱れて行く彼女の様子をただ見詰めていた凛だったが、彼女は一歩前に歩を進めると摩耶をふわりと抱きしめた。


「え……?」


凜の体温、昨夜入浴した時のシャンプーかボディソープ、あるいは凜そのものの香りなのかも知れないが、突然訪れた久しく感じていなかった人の暖かさを感じると同時に摩耶はその動きを止め、密閉され固まっていた心の中に再び風が吹き始める。


「今日、暇でしょ?これからちょっと付き合って欲しいところが有るんだけど」


耳元で囁かれた凜の言葉に摩耶は思わず、それも無意識のうちに小さく頷いた。閉塞は人の理性や思いを暴走させて崩壊させてしまう事が有る。それを修復出来るのは暖かな触れ合いだけなのかも知れないと凜は思った。


★★★


「本当は俺が出向いて話すのが筋なんだが、今、それをする事が出来ない。だから又、凜に頼まれてもらった。男の友情という甘ったれた望みにかこつけてだ。すまないな摩耶、辛い思いをさせてしまった……」


そう言ってから傑は一度俯いて視線を落として暫くの間俯いてから意を決する様に顔を上げると再び少し震える唇を開く。


「君には酷い事をしてしまった。全部俺の思慮と勇気の無さだ、すまない、許して欲しい」


ゆっくりとパイプ椅子から立ち上がり深々と頭を下げる傑の姿を無表情に見詰め続ける摩耶は彼の行動と態度に言葉を発する事が出来なかった。それはまるで幻影を見ている様にも見て取れた。そして、徐に頭を上げた彼と視線が合った時、彼女の瞳には小さな涙の雫が浮かぶ。しかし傑は真顔のまま小さな声で彼女に告げた。


「好きだ、摩耶。もし許してくれるなら、君が俺の事を嫌いになる迄一緒にいてくれることは出来ないだろうか」


……朝日に包まれながら摩耶は小さく頷いた。


彼の言葉を聞いた凜の瞳にも涙が浮かぶ。人生をスタートさせた直後にに等しい年頃だから、これからどんな事が起こるのかは予期する事など出来ないが、少なくとも今はゴールラインを踏んだのと等しい二人を祝福したい想いで一杯だった。抱き締められた様な心地よい締め付けは凜すらも幸せな心地にしてくれた。

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