4.凜の香り
制服のスカートのポケットに入れていたスマートフォンの着信に気が付いて凜はユーホニアムをさかさまにして床に置くともどかしそうにそれを取り出し耳に当てる。その様子を正面に椅子を置いて座りながらマフラーを編む紗久良が少しいぶかしげな表情で視線を送る。
「あ、おかぁさん」
電話の相手が母親だと言う事を察すると、紗久良は再び指先に視線を落とし編み物を再開する。
「うん、うん、あ、そうなんだ、うん、分かった。じゃぁ……大丈夫だよ子供じゃないんだから、安心して。うん、じゃぁ、おかぁさんもあんまり無理しないでね、うん。じゃぁ」
通話を終わって凜がスマホをスカートのポケットに戻したことに気が付いて紗久良は遠慮がちに口を開く。
「どうしたの、おかぁさん、何か有ったの?」
「ああ、今日、お仕事がちょっと立て込んで泊りになっちゃうんだって」
「うわぁ、帰ってこれないって……」
「なんかそうらしいんんだ」
「大変ね大人って……」
「そうだね、あんまり無理しないで欲しいんだけどなぁ」
そう言いながら窓の外に視線を移す凜の少し不安そうな表情を見て紗久良は有る事を思いつく。
「ね、凜君、私今夜泊りに行ってあげようか」
「え?」
「一人じゃ何かと不安でしょ。それに凜君って料理出来るの?」
「コンビニのお弁当かなんかで済ませるから大丈夫だよ」
「そんな不健康なもの食べないの、ね、練習はもう終わりにしない。お買い物して帰りましょ」
「だから、大丈夫だってば」
「ううん、全然大丈夫に見えない」
「だいたい、二人っきりはまずいでしょ」
「あら、なんで」
「なんでって……」
そこまで言ったところで凜は次の言葉が出なくなる。紗久良と二人っきりでまずい理由が無かったからだ。女の子二人のお泊り会に
紗久良は鼻歌交じりに毛糸や編み棒を鞄の中に仕舞い始める。少し強引なところは幼い頃から持ち合わせていた性格で、もしも彼女と結婚したら将来尻に敷かれるんだろうな等と考えた事を思い出しその様子を見詰めながら凜は小さな溜息を一つ。しかしそれは嫌な感覚ではない、それで今まで
★★★
二人は紗久良の家に一度寄って事情を説明すると母親は彼女が凜の家に泊まる事を
紗久良と二人での買い物に意味も無くどきどきする凜だったが、そのどきどきの理由は良く分からない。ひょっとしたら凜の頭の中にまだ残る男の子の思考が作り出しているのかも知れない。
「ねぇ紗久良、今晩何にするつもりなの」
「あはは、実は私もあんまり料理は得意じゃないから無難なところでハンバーグとサラダと、後あったかいスープかな」
一応母親の手伝いをする方ではある紗久良だが、いかんせん年齢的に料理のレパートリーが広いとは言えないのは年代的な要因が大きい、だから二人っきりで用意できるものとなればおのずと限られてくる。それに、ハンバーグなら二人で作る事も可能だからという理由でこのメニューを選んだのだ。
「手伝ってくれるよね、凜君?」
「そりゃぁ勿論、ご飯食べ損ねるのは嫌だしね」
二人は顔を見合わせ、くすくすと笑いながら商店街での買い物を続けた。晩秋の陽はつるべ落としの様にあっという間に沈んでいく。そして夜の闇が街を包む頃、二人は凜の自宅に到着した。
★★★
オーバーエプロン姿でキッチンに立ち、他愛のない会話を交わしながら夕食の準備が進んで行く。炊飯器の水蒸気から立ち上る湯気、お鍋で煮こまれるスープの香り、そして二人並んで丸めるハンバーグ。幸せ感漂う空間はまるで新婚カップルの様な甘酸っぱい景色を見せる。
「凜君意て以外と器用なのね」
「うん、ここ最近おかぁさんの手伝は結構してて、料理も少しずつ習ってるんだ」
「へぇ~~~偉いのね……凜君なんか女の子レベルが上がって来たんじゃない?」
「そ、そうかな。でも料理は男でも女でも出来た方が何となくだけど楽しいかも知れないじゃない」
「そっか、そう言われればそうだね」
紗久良は横目でちらりと見た凜の表情が完全に女の子になってしまっている事に改めて少々の驚きを覚えると共に、瀕死の状態から立ち直って自分の横に立っている事に安堵を覚え、自然と笑顔が沸いてくる。そして、幼馴染と言う関係から一歩進んだ恋心に目覚めた自分と告白出来ない歯痒さに戸惑いを感じた。
「さて、良さそうだから焼いていきましょうか。凜君、フライパンは?」
「あ、上の棚に」
「おっけ~~~」
紗久良は体を思い切り伸ばしてシンクの上にある戸棚の扉を開けようとしたのだが、棚は結構高い位置に有って指先ぎりぎりを取っ手に掛けようとしたのだが空振りしてしまい、その拍子にバランスを崩して転びそうになる。
「あっ……」
「紗久良、危ない!!」
凜はに紗久良の体を抱きしめ必死で彼女を受け止める。強く抱かれた紗久良は凜の甘い髪の毛の香りを感じると同時に胸が締め付けられて思わず頬を染める。幼馴染として
凜の香りは確かに女の子の物だった。そして、自分は女の子に恋した事を改めて胸に刻ませてくれた。それは、暖かくて切なくて、歯痒くて甘い、複雑な思いだった。
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