終
「……別に、大したことじゃねえよ」
「いや普通は生き埋めになってる時点で大したことなのよ」
「本当に大したことじゃねえ。馴染みの遊女んとこ行ったら凍らされそうになったんだよ」
「なんて?」
なんだか初っ端からとんでもない言葉が聞こえた。
「『貴墨で一等……ううん、陽之戸国で一等、わっちは旦那様を好いているんでありんす。……だから、あんたを凍らせてあげるね。ずーっとずーっと、一緒にいようねっ』って言われて凍らされそうになったんだよ」
「なんて?」
「まあ気絶させて逃げたんだが」
「あらそりゃ良かったわねえ」
「そんであそこで飲んでたら知り合いが来たから、それ愚痴ってたんだが」
「まあ愚痴るわよねえ」
「『は? 俺はお前を拷問したくてしょうがなかったのに、なんで他の奴にうかうか狙われてるんだ。ずっと我慢してた俺の気持ちを考えろ』って、死ぬまで拷問された」
「うん?」
なんだかまたとんでもない言葉が聞こえた。
「蘇ったら土ん中だったから流石に焦ったぜ。……んでまあ、気づいたらてめぇんとこの犬っころがぎゃんぎゃん騒いでた」
「…………」
丞幻は思わず遠い目になった。
そりゃあ、こいつが生き埋めになった理由が、小説映えする面白いものだったらいいなあ、と不謹慎な事を考えてはいたが。蓋を開けてみればこれである。作家もびっくりな理由で埋められていた。
なんだ、遊女に凍らされかけた挙句に知り合いに死ぬまで拷問されたって。
丞幻の沈黙をどう取ったのか、男がふんと息を吐いた。
「だから大したことねえって言っただろ」
「じゅーぶん大したことあるわよ……あー、なんだったら奉行所に訴える? ワシ、一緒に行ってあげてもいいわよん」
「……」
今度は男が遠い目をした。
「……あいつ確か、奉行所の同心だって言ってたから」
「あらやだ」
大丈夫か貴墨。しっかりしろ貴墨。
知り合いを「拷問したくてしょうがなかった」とのたまった挙句に、死ぬまで拷問して土に埋めるような奴を同心として働かせるな。奉行所の人選どうなってる。
「……夜逃げしよっかしらねえ、
遠い目のままで半ば冗談のように夜逃げの算段を立てつつ、もう一つ聞きたい事があったのを思い出した。
「そうそう。さっきは興奮しちゃったからちゃんと聞けなかったけど、死んでも蘇れるって、どういう事なのー? なんか術でも使ってんの? それとも呪具? 祝福? 呪い?」
「……自業自得だ、自業自得」
「自業自得ぅー? なあに、神様でも怒らせて呪いかけられて、死ぬに死ねない身体にでもされちゃった?」
「あー、もうそれでいい」
「ふうん」
投げやり気味に言う男は、苦いものを含んだように顔をしかめている。
どうやら、そこら辺の事情はあまり語りたくないようだ。しかし丞幻はそこを聞きたい。どうにかうまく聞き出せないかと言葉を口の中で転がしていると、男が立ち上がった。
「じゃあな」
「あら、帰るの?」
「てめぇの聞きたい事は話してやったんだから、もういいだろ」
「いいのよー別に、今日はもう遅いしここに泊まっても。ウチ、広いから部屋ならいっぱいあるしー」
すぐ暴力に訴えようとする辺り短気な性格に見えたが、一言述べて帰ろうとするところを見ると、意外と律儀な所があるのかもしれない。
「あ? てめぇみてえな奴の家に泊まる気はねぇよ。胡散臭ぇ」
「失敬ね、こんな誠実で心優しい青年捕まえて。……ていうか、ほんとちょっと待ちなさいよ、これも何かの縁じゃないのよー。なんだったらほら、お酒でも飲む? 知らない人間の方が、愚痴って話しやすいと思うのよねー」
訝し気な顔をする男にぺらぺら話しかけつつ立ち上がり、丞幻は頭を回転させていた。
馴染みの遊女に凍らされかけて、知り合いに死ぬまで拷問されて埋められた。しかも、理由は不明だが死んで蘇ったときた。……正直、こんな面白いネタの塊のような存在、このまま帰して「はい、さようなら」してしまうには惜しい。
叩けばもっと色々とネタが出てくるかもしれない。できれば、また会えるようになんとか話を持っていけないか。いや、聞く限り荒れ寺をねぐらにしているようだし、いっそ家に住んでもらえば――と、そこまで考えた所で閃いた。
「あー、そうだそうだ。ねえ、お前ワシの助手しない?」
「はぁ?」
いきなりなんだ、と言いたげな男の胡乱気な顔をすっぱり無視して、丞幻はまくしたてた。
「ワシねえ、自分で見聞きした怪異事件を元にした小説書いてる作家さんなのよ。そんでね、最近ワシがそういう話書いてるってのが評判になってきてねえ、色々な怪異の話が持ち込まれてくるのよー。んでね、一人でそれ全部尋ね歩くのも大変だしー、助手がいてくれたらありがたいなーって思ってた所だったの。お前どう? やらない?」
「……あのガキ共がいるだろうが」
「あー、お手伝いしようって気持ちはあるんだけどー、まだチビさん達だからねえ。空回りしがちなのよー。あ、もちろんタダとは言わんわよ。仕事が無くても日当は出すしー」
ぴっ、と丞幻は指を三本立てた。
「朝昼晩、三食出すぞい。ついでにおやつも付けるわよん」
「…………」
幼さを残した男の顔に、不信感がありありと浮かんでいた。無言のまま、半眼でじっ、とこちらを睨みつけてきている。素足がさり、と畳を
人慣れしていない野良猫のようだわねー、ととぼけた事を考えながら、丞幻はぴっ、と指をもう一本立てた。
警戒する気持ちは分かる。しかしこちらとしても、数年に一度の大物を逃がすわけにはいかないのだ。なんとしても釣り上げる。
「酒好き? 好きなら酒も出す。清酒もどぶろくも
「…………」
酒、飲み放題。と、小さく唇が動いたのを丞幻は見逃さなかった。
酒が好きらしい、と丞幻は心のネタ帳に記入。よし、ここを取っ掛かりにすれば落とせるのでは。
「お前、なんか好きな銘柄ある? あるんだったら探してこよっか? 酒屋が開けるくらいにはあるわよー、酒」
「………………」
満月のような金の瞳が迷うように揺れた。
「…………さざなみ
「さざなみ酒? ああ、あの幻の」
さざなみ酒。それは確か五十年に一度花を咲かせる、さざなみ桜を清酒に漬けて桜の香りを移した幻の銘酒だ。一樽百両はくだらないものだが、我が家にあっただろうか。
うーん、と丞幻は鼻下の髭を指先でなぞりながら、記憶を辿る。
「あー、あるある。あるわよ、さざなみ酒。確か酒蔵の奥にあったわー、前に掃除した時に
がっ、と丞幻の右手が男の両手に握りしめられた。見れば男が子どもの様に顔を輝かせていた。目がきらっきらと嬉しそうに、とても嬉しそうに輝いている。
「俺とてめぇは相棒だ。これからよろしく」
「……お前、夜に美人なお姉さんに『お酒飲み放題よー』って言われたらほいほい着いて行きそうねえ。全身これ筋肉みたいな男が後ろに付いてて、『人の女に声かけてんじゃねえ』って有り金巻き上げられる的な奴の」
「ああ、こないだそれぶっ飛ばして金奪った」
既にやられた後だった。
「……もしかして、お前って意外に阿呆だったりする?」
「あ?」
「なんでもないわよん。あ、そういえば名乗ってなかったわねー。ワシの名前は丞幻。後でちゃんと紹介するけど、お前に食いついてたのがアオちゃんで、おかっぱの方がシロちゃんよん。んで、お前の名前は?」
「
短く吐き出された三音が、どうやら男の名前のようだった。
「矢凪ね、はいはい覚えたわよん。……っていうか、あのね、手がね、痛いんだけど」
「…………」
手を握る両手に、じわじわと力が込められていく。無言ながら雄弁に意志を伝えてくるそれに、丞幻はぶふっと噴き出した。
「んっふふふふ……待って、どんだけさざなみ酒飲みたいのお前……あ痛い! 爪立ってる、痛い痛い待って待って、その力の入れ方だとワシの肉見えるから! 裂けちゃうから! 待って家庭内暴力禁止! 分かった分かった、分かったわよもう! じゃあ、持ってくるからちょっとそこに座って待ってて!」
先ほどまで座っていた座布団を指さすと、矢凪はどっかと胡坐をかいた。
「はよしろ」
「はいはい。ちょーっと待っててねー」
まるで家主のように偉そうな態度にまた噴き出しそうになりながらも、丞幻は御所望の酒を取りに行くべく酒蔵に足を向けた。
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