幕間 月夜に照らされし美しき妖精
「うぃー、今日も終わった終わったっと」
辺りは、暗い……それもそうだ、現在の時間帯は夜。周囲にはだんだんと暗闇が覆い、人々はそれぞれ自宅へと帰っている。
この男もまた、自分の今日の仕事が終わり、帰宅しているところだ。途中、買った酒を手に持ち、すでに若干酔った様子で。
この男、名をハアル・クリムトンという。下級貴族であり、現在の仕事は長く、人望も厚い。
彼の仕事は、いわゆる門番だ。ベルザ王国に入国する者、または外へと出る者。それらを確認し、不審な者は取り押さえる。
エラン・フィールドがこの国を訪れたときも、門番に止められた。ハアルはその彼の同僚である。
不審な者を取り締まる、とはいえ、最近は平和なものだ。一応、仕事上きちんとするが、実際には面倒だと思っているのが本音だ。
もう四十も半ばの男は、酒を一口。その場でため息を漏らす。
「ま、一日中突っ立って、それなりの給料が出るってんだから、文句はねぇがよ」
もっとも、門番としてそこに立っていても、常に人が通るわけでもない。ときには、数時間誰も通らず……つまりはその間、ずっと一人でぽつんと立っているのだ。
そういうときは正直、どうにかなってしまいそうになる。
「せめて、もう一人でもいてくれりゃあなぁ」
門番は、他国からの来客など、そういった重要な事がある以外は基本一人体制だ。もちろん、有事の際はすぐに応援を呼べる用意はあるが。
だが、常にもう一人いてくれれば、少なくとも話し相手には困らなかっただろう。
どんな仕事でも、不満はある。それを、こうして一人淡々と愚痴っている。そんな男に、周囲の人々は見向きもしない。ただでさえ、夜になり人通りも少なくなっているのだ。
逆にハアルも、周囲のことにいちいち気を取られてはいられない。だからだろうか。
……いつの間にか、人通りのない、路地裏へと来てしまった。
「んん? おぉっと、いけねぇいけねぇ」
危うく壁にぶつかりそうになったところで男は止まる。いくら酒を飲んでいるとはいえ、こんな所に来てしまうとは。
お前は酒癖が悪いからほどほどに、と同僚に言われている。その時は否定したものだが、まったく、これでは否定することもできない。
ハアルはポリポリと頭をかき、今路地裏に入ってきた道に戻ろうと、体を反転させて……
「あん?」
背後……反転したため、今ハアルの正面に立っている人物がいることに気づいた。
顔がよく見えない。夜だから、という理由だけではない。顔まですっぽりと隠すフードを被って、マントで全身を覆っている。そのため、性別もわからない。
その人物は、じっとそこに立っている。ハアルは訝しげにその人物を見るが、歩き出す。その横を、通り過ぎようとして……その人物が、ハアルの行く道を塞ぐように、移動した。
足を止めたハアルは、眉をひそめながらも逆側から通り過ぎようとする。しかし、再びその人物は、ハアルの行く道を塞ぐ。
一度ならず二度までも。これは、偶然ではない。
フードの人物は、故意にハアルの行く道を妨害している。
「おい、なんだあんた。酔ってんのか?」
酔っ払って、そのせいで偶然にもハアルの行く先へと体がふらついてしまった……という理由も、まだ残っている。
実際に酔っているのはハアルの方だが、本人にはそんなことはどうでもいい。
ハアルの言葉に、フードの人物は言葉を返さない。
小さく舌を打ち、ハアルは横を抜けようとするが……
間違いない。こいつは酔ってもいないし、故意に道を塞いでいる。
そうわかった瞬間、ハアルは苛立ちを露わに目の前の人物を睨みつけた。
「おいあんた、いい加減にしろよ。俺がなんかしたか、あぁ?」
ハアルより、フードの人物の方が背が高い。なので、ハアルが見上げる形になるが……
そんなのは、関係ない。疲れているこの体に、意味の分からない妨害。苛立ちは募り、酒の影響もありヒートアップしていく。
「なにさっきから黙ってんだ、あぁ? 人が気持ちよく飲んでるところにどういうつもりだてめぇ。
言いたいことがあんなら、なんとか……」
苛立ちは怒りへと変わり、ハアルはフードの人物に掴みかかる。
胸ぐらを掴み、ぐっと力を込め、瞬間ブワッと風が吹いた……その衝撃で、その人物が被っているフードが、ファサッと脱げた。
……まず目に入ったのは、長い耳だ。人とは違う、尖ったほどに長い耳。
「っ、ひ……お前、それ……!」
それが目に入った瞬間、ハアルは喉の奥から声を漏らし、手を離す。
ハアルは後ずさり、その場に尻もちをつきそうになるのを、ぐっと踏ん張る。再び、びゅう、と風が吹いた。
……風になびく短い髪は、月に照らされてその色をハアルの目に焼き付けた。
「まさか……エル……いや、ダー……んご!?」
目の前の人物。尖った耳に印象的な髪の色、さらには夜の闇の中にあっても美しく輝く、緑色の瞳。
それに見当する種族は一つしかない。しかし、ハアルがその名を最後まで口にすることは、できなかった。
なぜなら、目の前の人物がいきなり、手のひらでハアルの口を押さえ付けたからだ。直後、なにかが口の中に入ってくる。
その人物は、ハアルの言葉を塞いだのではない。ハアルの口の中になにかを放り込んだ。手のひらにあったなにかは、ハアルの口に押し付けられ、開いていた口の中へと流し込まれていく。
いきなりのその衝撃に、ハアルは目を見開く。なにかが口の中に入ってきたのはわかった。なにか得体のしれないものであることは間違いない。
そんなものを、口の中に入れられてしまった。なにかはわからないが、せめて飲んでなるものか……そう思っても、現実はそうはいかない。
ごくっ……
目の前の人物の姿に衝撃を受け、有無を言わさず口の中になにかを入れられ……これで、動揺するなというほうが無理だ。
条件反射とも言えるだろう、口の中に流し込まれた液体を、喉を鳴らして飲みこんでしまった。
それを確認し、その人物は距離を取る。
「っ、ぷっ……! てめえ、いったいなにを飲ませやがった!」
必死に、口の中のものを吐き出そうとする。が、すでに体内に入れられてしまったものを、簡単に出せるはずもない。
口の端から、なにか垂れている。手で乱暴に拭えば、それはおそらく紫色の、液体だった。
気味の悪さと、怒りが湧き上がる。今こいつは、自分になにを飲ませたのか……
それを問いただそうと、足を一歩踏み出したところで。
ハアルは、体内に激しい痛みを感じた。
「かっ……っ、んだ、こりゃ……
ぅ、えぇ……!」
足を止め、その場に立ち尽くす……痛む胸を手で押さえるが、意味などない。
直後、激しい吐き気が。嘔吐感に逆らえず、ハアルはその場でえずく。
すると、今日食べてまだ消化されてなかったものが、先ほど飲んだ酒が、胃液が……血が、喉を通って吐き出される。
酒の影響……とは、思えない。今まで二日酔いになった経験はあるが、こんなにも苦しく、痛いのは、初めてで……
べちゃっ、と血の塊が吐き出される。ついには立つこともできなくなり、ハアルはその場に膝をつく。それでも、痛みは収まるはずもない。
胸の奥が、熱い。口の中から、耳の奥から、目の奥から……穴という穴から、なにかが流れてくる。それは考えるまでもなく、ハアルの血であることは、明白だった。
地面が赤黒く、汚れていく。
「お前も、ハズレか」
苦しむハアルに、彼をこうした張本人は、冷たい瞳で見下ろしていた。
美しい容姿は、中性的であったが……その声色もまた、男とも女とも取れないものであった。それはもしかしたら、ハアルの耳がすでに機能していないからかもしれない。
流れていく、血が……命が。体の中から、大切なものが失われていく。
ハアルはもはや人間のものとは思えない
「ぁ……ぅ、えぅ……!」
もはや、言葉にもならない……声を漏らしながら。ついには、意識すらも失われて……その場に、倒れ込んだ。
……ハアルの中から、全てが失われていた。その姿は、苦しみと痛みに、満ち溢れていて……その光景を生み出した人物は、ただ黙って、見ていた。
……緑色に光る瞳は、汚れなどなく。月夜に照らされた"銀色"の髪は、見る者すべてがため息を漏らしてしまうほどに美しい。
その姿もまた、まるで妖精のごとく美しく……しかし、同時に誰もが嫌悪する存在。ハアルはその姿に、種族に覚えがあった。しかし、その言葉は最後まで紡がれることはなく。
……"ダークエルフ"は、ハアルの亡骸を一瞥して……その場から、音もなく去っていった。
――――――
第三章はここまでです。王族との決闘を経て、エランは生徒会へ。そして彼女は、魔導大会の存在を知る! しかしその裏で動き出すダークエルフの影……
次回から、第四章 魔動乱編が始まります。
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