第23話

 半年分の伝票整理を進めていた私は、ミシェルさんの接客を遠目に見ながらデスクで一息入れていた。 接客と言っても、相手は近所に住んでいるノイエールという小柄なおばさん。 小さな雑貨屋をしていて、この店が忙しい時には二つ返事で手伝いに来てくれる優しい友達なんだそうだ。


「へぇ、良かったじゃないのミシェル。 可愛い娘が出来て 」


 ノイエールさんは私に向かって手を振ってくれる。 私も控えめに手を振り返すと、ニコッと笑顔をくれた。 ちなみにミシェルさんの考えてくれた私達の設定は、シエスタ地方からやってきた記憶喪失の姉弟らしい。


「大変だったねぇショーコちゃん、困ったことがあったらおばさんに言いなよ? 」


「あ、ありがとうございます 」


 私は苦笑いで返答しておく。 物腰も柔らかくて優しそうなおばさんだけど、私達が光奴だと知ったら…… と思うと、適度に距離は取っておかなきゃ。


「アリアちゃんも可愛いし、エミリアちゃんもローラン君もよく働くし、羨ましいわ 」


「みんなワタシの可愛い子たちだからね、あげないよ 」


 ミシェルさんとノイエールさんは大声で笑う。 アリアちゃんの『あげないよ』っていうのはここからきてるのか…… 思わず笑ってしまった。


「おはようミシェルさん、これを頼みたいんだが 」


 お店の入口から入ってきたのは、両手いっぱいの大きな木箱を抱えた白い鬚のおじいちゃん。


「おはようペギー。 おや、また大きな荷物だねぇ…… 孫にプレゼントかい? 」


「いいトメートが採れたもんでな、送ってやりたいんだよ 」


「それは喜ぶねぇ! 明後日にはトゥーランに送っておくよ。 料金は少しオマケしておくからね 」


「おぉ、よろしくたの…… うん? 新入りさんか? 」


 ペギーおじいちゃんは私の顔を見て首を傾げる。 私は思わずオドオドしながら頭を下げた。


「私の新しい娘だよ。 どうだい? 可愛い子だろう 」


 新しい娘だなんて…… でもホントに光奴の私をそう思ってくれてるのはとても嬉しい。 ペギーおじいちゃんのちょっとイヤラシイ目が気になるが、精一杯の笑顔を作って応える。


「いつもありがとうね 」


 ミシェルは玄関先までペギーおじいちゃんを見送る。 ノイエールさんも店番に戻らなきゃと、ミシェルに挨拶して帰っていった。


「みんな仲がいいですね、羨ましいです 」


「全ての人がというわけじゃないけど、みんな助け合いながら生きてるからね。 ショーコの世界は違うのかい? 」


「…… どうでしょう…… 」


 私の周りしか知らないけど、友達関係でもご近所付き合いでもあまり交流はなかったように思う。 お互いを観察し、空気を読み、当たり障りなく腹の中を探り合う…… そんな日々がとても息苦しかった。


「そんな顔するものじゃないよ 」


 優しく言い聞かせるように言うミシェルさんは、ふくよかな体で私を背中から抱きしめてくれた。


「ワタシにはショーコの世界がどんなのだか想像がつかないけど、向こうでも辛い思いをしてきたんだねぇ。 頑張ってたんだねぇ 」


「ミシェルさん…… 」


「でもねショーコ、そういう時こそ笑うものなんだよ。 下を向いてたって前は見えやしないんだ。 しっかり前を見て、どうしたら辛くなくなるか考えるんだ。 どうしたら楽しくなるか考えるんだよ 」


 ギュッと強く抱きしめてくれるミシェルさんがあたたかい…… 頭がミシェルさんの大きな胸に挟まれてちょっと苦しいけど。


「だから前を見て笑いなさい。 きっとヒカルもそう思ってるよ 」


「ん!? あっ! あははは!! 」


 ミシェルさんはそのまま私の脇腹をくすぐってくる。 いや、子供じゃないんだから! 


「いい笑いするじゃないか、ほれほれー! 」


「い、いや! くすぐったい! あっははは! 」


 足をバタバタさせてもがくが、体の前でがっちり腕をクロスさせて押さえ込まれて逃げられない。


「ちょっ!? ミシェルさん、そこちがっ! ダメぇ! 」


 どさくさに紛れて私の胸と太ももにまで! 


「いやー! やめてー! 」


 ちょっと私のヤバい声が倉庫の奥まで響いていた…… のかもしれない。




「大丈夫か? そんなにぐったりして 」


 私達はローランさんが作ってくれたケバブサンドみたいな昼食を囲む。


「…… もうお嫁に行けない…… 」


 くすぐられているうちにミシェルさんに火がついてしまったようで、体のあちらこちらをくまなく揉みしだかれてしまった。


「何言ってるんだい。 貰い手はもう決まってるじゃないか 」


「そんな関係じゃないですよ 」


 私はミシェルさんにふくれてみせる。 ケラケラと笑うミシェルさんは、あれだけ激しかったのにケロっとしていた。 


「随分静かだったみたいだけど何してたのよ? 」


「ん? ローランさんにこちらの言葉を教えて貰ってたよ 」


 「へぇー 」


 そう言えばローランさんも光奴だったっけ。


「ローランさんもこちらの言葉が翻訳されて聞こえるんですか? 」


「翔子! 」


 突然光ちゃんに怒られた。 私を睨んで首を横に振る光ちゃんをローランさんは笑って止める。 


「いや、僕には君達みたいな能力はない。 ミシェルに教えて貰って勉強したんだよ 」


「あ…… ごめんなさい…… 」


 質問が軽率だったことに気付く。 努力もしてない私が質問していいことじゃない。


「ヒカル、ショーコも悪気はないんだ。 もう昔のことだよ 」


 ローランさんはそう言うが、全く言葉の通じない国に一人で投げ込まれ、ここまで違和感なく話せるようになったのは並大抵の努力じゃなかったのだろう。 光ちゃんはその苦労を目の当たりにしている…… 怒られて当然だ。


「はいはい、せっかくのご飯が美味しくなくなるよ? そういえばショーコ、ご飯は作れるのかい? 」


 ミシェルさんがすかさず沈んだ雰囲気を変える。 凄いなぁ…… 私には真似できない。


「まぁ、多少なら…… 」


「それじゃ今日の夕飯はショーコに任せるよ! 今日は久々に家族全員揃うからね、とびっきり美味しいのを頼むよ! 」


 ミシェルはケラケラと笑ってケバブサンドを頬張った。


「…… え…… えぇ!? 」

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