大陸暦1526年――薬の種類1


 昼食を摂って書類仕事をキリのいいところまで終わらした私は、昨日に引き続き中央監獄棟へと訪れていた。

 時刻は十四時前。訪ねるには少し早いかとも思ったが、このあとラウネが特定した薬物について星城せいじょうの近衛隊にも報告へ行くことを考えると、これ以上は遅くできない。

 私もなるべく早く戻って仕事の続きをしたいし、今日はそれを終わらせて自宅にも帰りたい。兵舎の自室は自宅より立派で、食事も用意してくれて便利ではあるのだが、庶民である私には過分な待遇に感じてどうも落ち着かない。やはり心身を休めるのには自宅が一番だ。

 ようは私の都合で早く来てしまったわけだが、問題はないだろう。

 ラウネが時間を指定しなかったということは、どこも忙しいと分かりきっている午前中以外はいつ来てもいいという意味だ。でなければあいつはあのような曖昧な言い方はしない。

 私は監獄棟の階段を上っては通路を歩き、また階段を上っては通路を歩く。

 獄吏官長室は監獄棟の最上階にある。それが普通の建物ならばそんなに時間は掛からないのだろうが、監獄棟は円筒の高い建造物だ。それだけでなく万が一、犯罪者が逃げ出したときの対策にと所々、複雑な構造をしている。

 そのため一階から最上階まで行くにはただ、階段を上り続ければいいというわけではない。正しい道順で進まないとまず最上階に辿り着けないし、正しくても普通に時間が掛かる。

 だからその間、思考が空いてしまう。

 その所為でふいに、今朝に浮かんだ後悔が頭をもたげてきた。

 そう。ラウネへの報酬、なんでもしてもいい権利についてだ。

 しかし、すぐに私はそんな自分に活を入れた。

 いつまでもぐだぐだと考えるな。もう私はそれを了承したのだ。ラウネがなにをするつもりかなんて、今からあれこれ悩んでも仕方がないことではないか。

 それに、なんでもしてもいいとはいえ、流石に命まで取られることはないはずだ。

 それ以前に友人である人間にそのような心配をすること自体、おかしな話なのだが……。

 ため息をつきながら最後の階段を上りきった私は、獄吏官長室の扉の前へと立った。

 心を落ち着けるために一度、深呼吸をしてから扉を叩く。名乗りはしない。ラウネなら気配で私だと分かるからだ。

 すぐに中から「どーぞー」と気が抜けたような声が返ってきた。私は扉を開く。


「ラウネ、わ――」

「レイチェル様!」


 分かったか、と言おうと思ったら、それを遮るように名を呼ばれた。

 室内にいたマルルが早歩きでこちらに近づいてくる。彼女は目の前まで来ると、そのままの勢いで、ずいっ、とこちらを見上げてきた。


「獄吏官長の協力を得る代わりに『なんでもしてもいい権利』を報酬にされたというのは本当ですか!? 大丈夫ですか!? 死にませんか!?」


 つい今しがた人が気にしないように決めたことを、真正面から突きつけてくる。

 それが冗談と受け取れないのが辛い。いや、彼女は冗談を言う人間ではないので本気でそう言っているのだろうが。

 その心配にまで至れるところからするに、マルルはラウネのことをよく理解している。


「あのねぇ、わたしをなんだと思ってるのぉ?」


 部屋の奥の執務机に向かっているラウネが、口を尖らせた。


「だって獄吏官長、レイチェル様でも平気で拷問とかしそうですし」

「あーそれもいいねー」


 よくない。ていうか余計なことを言うなマルル。

 星王国せいおうこくの監獄棟では他国とは違って拷問官という職業はない。

 だが、その代わりに尋問官の中にその役目を兼任している人間がいる。

 まさにラウネがそうだ。いつぞやか一緒に食事をしてたときに、どのように拷問するのかを詳細に語られたことがある。当然の如く飯は不味くなった。


「最近ぜーんぜん拷問してないもんなー」


 それはそうだろう。拷問は情報を引き出すための最終手段だ。犯罪者が尋問で全てを喋らず、その上でまだ重要な情報を隠していると判断された場合にのみ行なわれる。

 だが、ラウネが尋問してしまうともれなく全員、落ちてしまうのだからなかなか拷問まで行き着くことがないだろう。


「絶対駄目ですよ! ご友人の爪を剥いだり、指を折ったり、肉を削いだりしたら!」


 ……本当に余計なことを言うなマルル。

 痛みには強い自信はあるし、大概のことは魔法で治るとはいえ、流石に友人に拷問されるのは御免被りたい……ってなんだよ友人に拷問されるって。字面がおかしいだろ。拷問官の友人が重要犯罪人にでもなって黙秘を続けるとかしない限り使われない言葉だろ。


「いいねいいねー。レイレイがどんな声をあげるかーすごーく興味あるなぁ」


 興味を持つな。頼むから。

 私が顔を引きつらせていると、ラウネがこちらを見て、ぷっと吹き出した。そしてケラケラと笑い出す。


「やだなぁ。冗談だよー冗談ー。流石のわたしもーお友達に拷問はしないよー」


 その言葉に私は安堵する。

 そうだな。こいつにもそれぐらいの節度はあるよな。


「そんなのやっちゃったらー楽しくて歯止めが利かなくなっちゃうもんー」


 ……ん?


「そもそもわたしー肉体的に虐めるのってあまり好きじゃないんだよねー」


 嘘をつけ。以前に拷問の話をしていたときには、恍惚とした表情を浮かべていた癖に。それ以前に今しがたも、楽しくて歯止めが利かなくなるって口にしたばかりだろ――……いや、それは聞いていないことにしておきたい。


「まぁ? お気に入りとー嫌いなヤツなら話は別だけどー」


 にやぁ、とラウネが嫌らしい笑顔を向けてくる。

 その顔にイラッとしながらも思う。

 もしかして私、こいつに嫌われているのか、と。

 ……まあ、学生時代にラウネが好むことをことごとく制止してきたのだから、そう思われても仕方がないといえばそうなのだが……。しかし、それはそれでなんだか――。


「レイチェル様!」


 思考に籠もっていた私は名を呼ばれて、はっと横を見た。

 両拳を握ったマルルがこちらを見上げている。


「これは今度から獄吏官長の好感度を中間に保つよう気をつけないといけませんね!」


 いつもの溌溂とした調子で大真面目にそう言ってきた彼女に、私は気が抜けるのを感じた。


「お前……結構図太いな」


 そう返すと、マルルは笑顔を浮かべたまま不思議そうに首を傾げた。

 こんな健全そうな娘に、ラウネの補佐が務まっている理由が少し分かった気がする。


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