第30話 対抗心




「足を引っ張るなよ………」


 冷たく言い放つ背中を見ながらゼルは森をゆっくりと奥へ進む。黒髪のオットーは暗がりに紛れて背景と同化している。服装もなるべく闇に溶け込めるような色合いをしている。


 水源が豊富な所為だろうか、草木の生い茂りは街道で見たものよりも濃い。視界が悪いことも然ることながら、匂いの判別も難しい。湿気を多く含んだ森は青々しい臭いが充満し、嗅覚の大部分を占めている。常人であれば、この環境で目的の魔物を見つけるのは難しい。


「目撃された魔物ってどんな魔物なんですか?」


 ゼルにはこんな環境でも視えるし、嗅ぎ分けられるが、特徴があれば尚のこと良い。オットーは首だけを動かし、面罵している。


「そんなことも知らずに………いや、そこまで求めるのは酷か。到着早々に任務に駆り出されているのだからな」


 堅い態度はすぐに軟化した。思ったより話の判らない人ではないらしい、ナントでマリエナとリオンと立て続けに難癖を付けられた記憶がまだ新しく、少年には少し警戒の念があったのかもしれない。頭ごなしに決めつけてかからず、相手の事情も考慮する辺りはあの二人よりはマシだろう。


 リオンとは最終的には和解したが、マリエナに関しては何とも言えない。あのファーストコンタクト以降会っていないのだから。セリアがきちんと諭していることを祈るばかりだ。


「目撃された魔物は半鳥半牛の牛魔獣だ。牛の身体に鳥の翼が生えた魔物で、身体的特徴のほとんどが牛が占めていて、背中の翼では自力で飛べないが、その翼が厄介な魔物でもある」


 オットーが言う厄介とは牛魔獣が扱う風魔術のことだ。翼に生えた無数の羽を操り、風を起こす。その風こそが魔術であり、翼と相まって飛ぶことができる。ハーピィほど敏捷性は高くないが、飛行できる魔物は総じて厄介だ。


「飛ぶことによって行動範囲は地上のみの魔物に比べて圧倒的に広い。地上からの攻撃も限られる。放っておけば被害は更に拡大するだろう」


 話を終えるとオットーは歩調を早め、森奥へ進んで行った。翼の生えた牛か、ゼルは鬼気迫るオットーに比べて暢気なもんだが、正しくは聖騎士団所属じゃないのだから少年には直接関係のないことだった。女騎士と枢機卿が考えた作戦を台無しにするつもりも、目の前で困っている人を放っておくようなこともするつもりはないが、常に騎士の矜持を保て、と言うのはゼルには土台無理な話だ。どんな魔物かな、見てみたい、今のところの少年の興味はそれだけだった。


「お前、なんで騎士になりたいと思ったんだ?」


 急に立ち止まったオットーの急な質問。ゼルは逡巡する。騎士になりたいとは思ってはいない、今の団長付従卒は偽りの姿で、目的の為にやむなしでやっていることだ。だからと言って、正直に話すわけにはいかない。


 探索者に憧れたあの日のエピソードを少し改変して話すか、いや、それは自分の原点を汚すような気がする。やってはいけないことだ。なら………


「セリ………バルムスタ団長に憧れたから、かな」


 歯切れの悪さは自信のなさの表れ、名前を言い直したのは女騎士に口酸っぱく忠告された為。従卒が団長のファーストネームを気軽に呼んで良いわけがない。絶対に気を付けなければならないところだ。


「お前………」


 酷く真剣なオットーの顔が不安をかき立てる。変なこと言ったかな、少年の言葉は全て嘘ではない。セリア・バルムスタは立派な人物だ。強さも人柄も尊敬している。憧れていると言うのは本当だ。ただ、騎士になりたいわけじゃないだけだ。


「お前!見る目あるなッ!」


 静寂の森の中に相応しくない喜々とした大声に戸惑う。そんな大声出したら魔物に気づかれちゃうよ、ゼルはオットーのいまいち掴めないキャラクターに苦笑いを浮かべた。


「バルムスタ団長と言えば、史上二番目の若さで団長まで昇りつめた人だ。スキルの『光の戦士』と団長の髪色が相まって蒼白の閃光なんて呼ばれているんだよ。それにあの美貌だ。ファンだって沢山いる!」


 蒼白の閃光………初めて聞いた、今度呼んでみようかな、どんな反応をするだろう。少年はその場面を少し想像したが、窘められるだけでいつもとあまり変わらなかった。恥ずかしく赤面していたのはバルムスタ枢機卿の前だけだったと記憶している。セリアのそんな姿は部下の聖騎士団員でも見たことないかもしれない。それ程貴重に感じた。


 そういえば、と少年は思う。メルギヌス団長といる先程の女騎士は聖騎士団団長らしい顔をしていた。いつも少年といる時よりも凛々しく、威厳に満ちていた。恐らくこちらもセリアの顔なのだろうが、少年には少し無理をしているように見えた。


「でも、うちのメルギヌス団長も負けてない。若い団長よりも経験豊富で色んな戦果を上げている。特に犯罪組織スキルハンターズが起こしたマトツイの乱を終息させたのに一役買ったのがメルギヌス団長なんだ。今でも語り継がれている。因みに愛妻家で、遠征以外は必ず家で家族と一緒に食事をするんだ」


 ちょっと思考が逸れたゼルを余所に饒舌が止まらないオットーは更に団長語りを続けている。従卒だからちょっとしたプライベートなことを知っていても可笑しくないが、彼の熱量は少し度が過ぎる気がする。スキルは『水の戦士』で、水都と呼ばれるロベルックに相応しい団長だと熱く語っている。そして、それはまだ続きそうだ。


「でも、俺の一番の推しは何と言ってもこの王国の守護者と呼ばれる、またの名を雷霆らいてい、ティティリア・ブルネイス元帥だな。史上最年少で団長と元帥に就任した方だ。その記録は未だ破られていない。彼女が雷霆と呼ばれる所以は―――」


「オットーさん!魔物の気配です!」


 興奮して自分の好きなものを語るのは結構だが、今は任務中だ。本来の目的を忘れてもらっては困る。オットーを制止したゼルは右前方を指さす。そこには全身黒毛に黄色い羽が輝かしい翼を持つ牛がいた。牛魔獣の特徴と一致している。間違いない。オットーも急いで臨戦態勢に入った。




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