第四幕:圷砦と殺生石④

 人波を逆らうように天守閣へと入り、地下へ降りると隠し扉があった。

「中は暗く、足元も悪い。気を付けろ」

 通路は狭く、絶や錬は余裕に歩けるものの、長身の藤原や律は少し屈まなければ進めない。特に藤原は体格が大きく甲冑に身を包むため、窮屈そうであった。手に持つ朱槍もこんな場所ではまったく役に立たない。

「でも、どうしてこんないきなり襲撃なんか……」

 黙々と足を動かす中、錬が不安と通路の不気味さに耐え切れず口を開く。誰に向かって言ったわけでもないが、男二人は反応する気配もないので、おのずと絶が返す。

「分からぬが、少数を引き連れた襲撃。恐らくは残りの烏夜衆がおるに違いない。叔父上達も、気を引き締めなければならぬだろう」

「しかし……いくら精鋭を揃えたとはいえ、ここまで完璧に入ってこれるものですか?」

 気が付いた時には町のかなり奥まで侵入されており、家屋から火が上がっていた。いかに泰虎軍の襲撃を予期していなかったとはいえ、厳重に警戒している。夕方にもなれば、城門も閉じられ、侵入は容易なことではない、と素人の絶でも分かる。

「考えたくはないが、もしかすると内通者がおるのやも……」

「無礼なことを申すな。不敬であるぞ」

 声を潜めて話すが、狭い通路では声が反響して内緒話などできない。絶の言葉を遮るように、藤原がピシャリと言い放つ。

「無駄口を叩く前にさっさと歩け」

 確かに不謹慎だったと反省し、絶はやや目を伏せる。藤原が苦手な錬は、絶以上に気を落とし、後ろにいることすら分からないほど気配を消している。

「裏山へ出たら、どうしたらいい?」

 律が訊ねると、藤原はしばらく黙した後で答える。

「……山の登った先に社(やしろ)がある。そこに行けば、身を隠せるだろう」

 やや気になる間だったが、追及するほどのことではない。これまでのやり取りで、藤原が亜人に対していい印象を持っていないことは分かっている。

 しばらく誰も口を開かずにいると、ようやく出口が見えてくる。木々が生い茂る山の中腹辺りで、岩に擬態させた扉を開いて外へ出る。

 だいぶ日は傾き、山の麓はすでに影となっている。絶達が出た所は、辛うじて夕日の残滓があり、薄暗いながらも暗い通路に比べれば明るく感じた。

「では、わしらは社へ……」

「お迎えにあがりましたよ。絶様」

 慣れない目をシパシパさせていた絶らの耳に、聞き慣れない声が入った。老齢で声質が高く、余分な空気が口の隙間から抜けているようなしゃべり方だ。

 慌てて振り返る絶だが、すでに手遅れだった。

 声の主はすぐ目前まで迫っている。

 頭は禿げ上がり、白く長い髭を垂らすその老人は、腰が曲がっており小柄な絶と視線が合う。

「そ、そなたは」

 その濁りながらも卑しい目をした老人を見た瞬間、絶の記憶が呼び起こされる。同時に、全身から嫌な汗が噴き出た。

 見たことがある。天狐の郷が襲撃された時に。

 烏夜衆の一人。怪僧……。確か名前は。

「千冥(せんめい)!」

「これは光栄なことじゃ」

 フェッフェッフェと空気が漏れるような笑いをする千冥は、すでに絶の胸に手を当てている。

「『呪印封殺』」

 いきなりのことに戸惑う絶だが、胸に当てられた千冥の手が捩じられた瞬間、不吉で悪寒を感じる何かが全身を駆け巡り、力が抜けて膝から崩れ落ちる。

 締め付けられるような感覚に呼吸をすることもままならない。悶えることすら許されなかった。体を見ると、刺青のような紋様が浮かび、絶の不調の原因であることは理解できた。

「離れろ!」

 律は弾かれた様に千冥へと踏み込んでいた。常人では捉えられないほどの鉄拳が音すら切り裂き振るわれる。しかし、それが届くよりも早く、千冥の脇から二つの白い影が現れる。

 それは真っ白な面を付けた白無垢姿。

 鋭い一撃に律は攻撃の途中で身を翻して距離を取る。白面の二人はそれぞれに手で印を結ぶと、空間を舐めるように紅蓮の炎が湧き上がり律を襲った。

 それを避けつつ、律は拳を地面に突き立てる。

『封殺縛鎖』

 地面から飛び出す鎖が白面二人を絡め取った。その隙に間合いを詰めた律は拳を固く握る。そして強烈な一撃。二人は声も上げることなく、体を折って森の暗闇へと消えた。

 それを見送る律は音が鳴る程に歯を食いしばり、消えた暗闇を凝視。それが彼の反応を遅れさせた。

 炎の明かりを反射した一閃。

 飛び退く律の体を滑り、焼かれるような感覚に思わず口から「ぐうぅ」と声が漏れた。

 その熱さは痛みへと変わり、膝を付く律の体から大量に血が地面にこぼれ落ちる。

「胴を両断するつもりだったが」

 朱槍を振り回す藤原が、感情を込めず、ただ不快とばかりに鼻を鳴らす。

「藤原、血迷ったか!」

 意識が飛びそうになるのを堪えつつ、憤りに声を震わせる。

「な、何が……起きておるのだ?」

 目前の出来事が理解できず、絶が息も絶え絶えに呟く。

「ほう! 我が秘術を受けてまだ意識があるとな。さすがは玉霊じゃ」

 千冥が好奇の目を向けてくる。

 何が起きたのかは分からない。ただ分かることは、逃げなければ……だ。絶は息も絶え絶えに、薄れつつある意識を掴み、上下左右などの方向感覚も狂い始めた体に鞭打って、地面を這うように逃げる。

 殺生石を守らなければいけない。半人前、半妖前の自分に、ようやく課された大切な任務なのだ。何としてでも母や郷の者達の期待に応えなければ。

「千冥殿。このままここで『帰命転妖(きめいてんよう)の儀』を? それとも卯ケ山城で?」

 藤原は千冥へと話しかける。既知の仲のようだ。

 つまり、藤原と烏夜衆は繋がっていたのだ。裏切り者だったのかと、絶は歯噛みして睨みつけるが何の効果もない。

「あれは準備に時間がかかるうえに、酷く胆力と生命力を消費する。卯ケ山城までこの玉霊を連れて行こうかの」

 二人の視線が絶に向く寸前、地面から鎖が飛び出して体を拘束する。

「許さない。絶様を連れて行くことだけは許さん!」

 大量の血を流し、泥と汗で汚れた顔を歪ませる律が、残り少ない力で縛鎖を放っていた。

「小癪な技を使いおる」

 フンッと千冥が気合いを入れると、鎖は軋みを上げて砕け散る。法力の練度では、千冥に分がある。追撃に藤原が踏み込んだが、律は後ろへと飛び跳ねて森の中へと消えていく。

「口ほどでもない」

 姿を消した律を小馬鹿にしたように言うも、そこには絶の姿もすでになかった。

 動ける状態ではなかったはずだったが。

「キツネの女がもう一匹おったな」

 藤原は影の薄い錬を思い出し、吐き捨てた。

「藤原殿。追いかけられよ」

 千冥は特に焦る様子もない。

「玉霊には印を打っておる故、他の白面衆もすでに追いかけ始めた。しかし、万が一にも暴走などされては目も当てられんでな。あの半妖を卯ケ山城へと連れてくるのだ」

 彼の指示に藤原は少し嫌な顔を見せるが、文句を言うこともなく素直に従い、暗くなっている山中へと入っていった。

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