第五幕:圷砦と殺生石④
人波を逆らうように天守閣へと入り、地下へ降りると隠し扉があった。
「中は暗く、足元も悪い。気を付けろ」
通路は狭く、絶や錬は余裕に歩けるものの、長身の藤原や律は少し屈まなければ進めない。特に藤原は体格が大きく甲冑に身を包むため、窮屈そうであった。手に持つ朱槍もこんな場所ではまったく役に立たない。
「でも、どうしてこんないきなり襲撃なんか……」
黙々と足を動かす中、錬が不安と通路の不気味さに耐え切れず口を開く。誰に向かって言ったわけでもないが、男二人は反応する気配もないので、おのずと絶が返す。
「分からぬが、少数を引き連れた襲撃。恐らくは残りの烏夜衆がおるに違いない。叔父上達も、気を引き締めなければならぬだろう」
「しかし……いくら精鋭を揃えたとはいえ、ここまで完璧に入ってこれるものですか?」
気が付いた時には町のかなり奥まで侵入されており、家屋から火が上がっていた。いかに泰虎軍の襲撃を予期していなかったとはいえ、厳重に警戒している。夕方にもなれば、城門も閉じられ、侵入は容易なことではない、と素人の絶でも分かる。
「考えたくはないが、もしかすると内通者がおるのやも……」
「無礼なことを申すな。不敬であるぞ」
声を潜めて話すが、狭い通路では声が反響して内緒話などできない。絶の言葉を遮るように、藤原がピシャリと言い放つ。
「無駄口を叩く前にさっさと歩け」
確かに不謹慎だったと反省し、絶はやや目を伏せる。藤原が苦手な錬は、絶以上に気を落とし、後ろにいることすら分からないほど気配を消している。
「裏山へ出たら、どうしたらいい?」
律が訊ねると、藤原はしばらく黙した後で答える。
「……山の登った先に社(やしろ)がある。そこに行けば、身を隠せるだろう」
やや気になる間だったが、追及するほどのことではない。これまでのやり取りで、藤原が亜人に対していい印象を持っていないことは分かっている。
しばらく誰も口を開かずにいると、ようやく出口が見えてくる。木々が生い茂る山の中腹辺りで、岩に擬態させた扉を開いて外へ出た。
だいぶ日は傾き、山の麓はすでに影となっている。絶達が出た所は、辛うじて夕日の残滓があり、薄暗いながらも暗い通路に比べれば明るく感じた。
「では、わしらは社へ……」
「お迎えにあがりましたよ。絶様」
慣れない目をシパシパさせていた絶らの耳に、聞き慣れない声が入った。老齢で声質が高く、余分な空気が口の隙間から抜けているようなしゃべり方だ。
慌てて振り返る絶だが、すでに手遅れだった。
声の主はすぐ目前まで迫っている。
頭は禿げ上がり、白く長い髭を垂らすその老人は、腰が曲がっており小柄な絶と視線が合う。
「お、おぬしは」
その濁りながらも卑しい目をした老人を見た瞬間、絶の記憶が呼び起こされる。同時に、全身から嫌な汗が噴き出た。
見たことがある。天狐の郷が襲撃された時に。
烏夜衆の一人。怪僧……。確か名前は。
「千冥(せんめい)!」
「これは光栄なことじゃ」
フェッフェッフェと空気が漏れるような笑いをする千冥は、すでに絶の胸に手を当てている。
「『呪印封殺』」
いきなりのことに戸惑う絶だが、胸に当てられた千冥の手が捩じられた瞬間、不吉で悪寒を感じる何かが全身を駆け巡り、力が抜けて膝から崩れ落ちる。
締め付けられるような感覚に呼吸をすることもままならない。悶えることすら許されなかった。体を見ると、刺青のような紋様が浮かび、絶の不調の原因であることは理解できた。
「離れろ!」
律は弾かれた様に千冥へと踏み込んでいた。常人では捉えられないほどの鉄拳が音すら切り裂き振るわれる。しかし、それが届くよりも早く、千冥の脇から二つの白い影が現れた。
それは真っ白な面を付けた白無垢姿。
鋭い一撃に律は攻撃の途中で身を翻して距離を取る。白面の二人はそれぞれに手で印を結ぶと、空間を舐めるように紅蓮の炎が湧き上がり律を襲った。
それを避けつつ、律は拳を地面に突き立てる。
『封殺縛鎖』
地面から飛び出す鎖が白面二人を絡め取った。その隙に間合いを詰めた律は拳を固く握る。そして強烈な一撃。二人は声も上げることなく、体を折って森の暗闇へと消えた。
それを見送る律は音が鳴る程に歯を食いしばり、消えた暗闇を凝視。それが彼の反応を遅れさせた。
炎の明かりを反射した一閃。
飛び退く律の体を滑り、焼かれるような感覚に思わず口から「ぐうぅ」と声が漏れた。
その熱さは痛みへと変わり、膝を付く律の体から大量に血が地面にこぼれ落ちる。
「胴を両断するつもりだったが」
朱槍を振り回す藤原が、感情を込めず、ただ不快とばかりに鼻を鳴らす。
「藤原、血迷ったか!」
意識が飛びそうになるのを堪えつつ、憤りに声を震わせる。
「な、何が……起きておるのだ?」
目前の出来事が理解できず、絶が息も絶え絶えに呟く。
「ほう! 我が秘術を受けてまだ意識があるとな。さすがは玉霊じゃ」
千冥が好奇の目を向けてくる。
何が起きたのかは分からない。ただ分かることは、逃げなければ……だ。絶は息も絶え絶えに、薄れつつある意識を掴み、上下左右などの方向感覚も狂い始めた体に鞭打って、地面を這うように逃げる。
殺生石を守らなければいけない。半人前、半妖前の自分に、ようやく課された大切な任務なのだ。何としてでも母や郷の者達の期待に応えなければ。
「千冥殿。このままここで『帰命転妖(きめいてんよう)の儀』を? それとも卯ケ山城で?」
藤原は千冥へと話しかける。既知の仲のようだ。
つまり、藤原と烏夜衆は繋がっていたのだ。裏切り者だったのかと、絶は歯噛みして睨みつけるが何の効果もない。
「あれは準備に時間がかかるうえに、酷く胆力と生命力を消費する。卯ケ山城までこの玉霊を連れて行こうかの」
二人の視線が絶に向く寸前、地面から鎖が飛び出して体を拘束する。
「許さない。絶様を連れて行くことだけは許さん!」
大量の血を流し、泥と汗で汚れた顔を歪ませる律が、残り少ない力で縛鎖を放っていた。
「小癪な技を使いおる」
フンッと千冥が気合いを入れると、鎖は軋みを上げて砕け散る。法力の練度では、千冥に分がある。追撃に藤原が踏み込んだが、律は後ろへと飛び跳ねて森の中へと消えていく。
「口ほどでもない」
姿を消した律を小馬鹿にしたように言うも、そこには絶の姿もすでになかった。
動ける状態ではなかったはずだったが。
「キツネの女がもう一匹おったな」
藤原は影の薄い錬を思い出し、吐き捨てた。
「藤原殿。追いかけられよ」
千冥は特に焦る様子もない。
「玉霊には印を打っておる故、他の白面衆もすでに追いかけ始めた。しかし、万が一にも暴走などされては目も当てられんでな。あの半妖を卯ケ山城へと連れてくるのだ」
彼の指示に藤原は少し嫌な顔を見せるが、文句を言うこともなく素直に従い、暗くなっている山中へと入っていった。
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