第三幕:守護縛鎖の拳⑤
足音が聞こえなくなると、皇羽はこの日一番のため息を吐いた。
「本当に悩ましい」
口を尖らす皇羽だが、他者へ向ける鋭い目つきではなく、手間のかかる弟への呆れの混じったものになっている。
「と、言われましても、助けてしまったものは仕方がないでしょう。自らの保身のために、途中で童を見捨てることこそ、姉上やサムライどもの好きな『誉れ』に反するのでは?」
そのセリフには、皇羽も苦虫を噛み潰したように顔を顰める。
「誉れを軽んじるあなたが、誉れを説くでない」
「それに、ここではふうてんの天晴です。旅で出会った友を、家まで送り届けるだけ。誰が家督を継ぐとか、そんな騒動とは無縁ですよ」
「そんな言い訳が通用するはずないでしょう!」
「扇喜へ行くついでに、圷砦に立ち寄るだけです」
「圷……また、遠回りを。許せるわけもないでしょう。絶殿には、私のサムライを護衛に付け、送り届けます。あなたは手を引き、すぐに扇喜に行きなさい」
「そのサムライは、俺よりもお強いですか?」
静かに天晴は言った。しかし、その語気には少し怒気が込められている。
皇羽が問いに対して「いいえ。しかし、青幻とやらの式神は容易に倒しました」と答えるも、天晴は鼻を鳴らして笑う。
「聞く話では、そいつらの動きは遅かったそう。本当に襲撃者が烏夜衆ならば、今回はただの様子見でしょうな」
「私のサムライでは役者不足と?」
「烏夜衆はそれだけ強敵と申しているのです」
どちらも引かぬと言った感じに睨みあう。
「サムライの本懐は、己が主とお家を守ることです。あなたのすべきことは、他藩の問題に首を突っ込むことではない。早く嫁を貰い……」
「姉上。妻ならおりました。おったのです」
珍しく言葉を遮り、声には苛立ちによる鋭さが籠る。
余計なことを言ったと皇羽は顔を顰める。
「あれは、あなたに相応しい相手ではなかった。それにもう何年も前のことです」
「俺には昨日のことのようです」
皇羽は弟の不機嫌な様子に嘆息を漏らす。
昔の天晴は常に剣技を磨き、何事にも意欲を見せ、立派なサムライとなるため日々精進する青年だった。しかしある時、事件が起こる。武者修行のために出ていた旅先で天晴は勝手に嫁を迎えたのだ。しかも、それは身分違いの女だった。
もちろん当主である父親は激怒し、勘当寸前の状況となる。皇羽含めた周囲も説得を試みたが、いずれも天晴の気持ちを変えることはできなかった。もはや皆が諦めかけていた時、嫁が命を落とした。
皇羽は詳しく知らないが、災害による死だったとか。
「あれは天災。仕方のないことでしょう」
「もはや誰かを責めようなどとは思っていませんよ。ただ、なぜ一緒にいて守ってやれなかったのかという自分への怒りだけです」
「……今回の件は、あなたの言う『怒り』のせいですか? そこまであの子にこだわる理由は」
天晴はしばらく顎を摩り考えるが、諦めたように「さぁ、分かりません」と笑う。
「ただ絶は……五百旗の血を引くだけで、天狐の族長の子と言うだけで、家や藩を守る責任があると。そんなもの、捨ててしまえば楽なのに。あの小さい形(なり)で果たそう足掻いている」
目を閉じ、口を堅く結んで頭を振って大きく唸る。そして観念したように続けた。
「その様を見ていましたら、とうの昔に消えたと思った俺の中の義が久しぶりに熱くなってきたのです」
胸を拳で叩きながら不敵な笑みを浮かべるその顔を、皇羽は真っすぐ見つめる。
「義侠心ですか」
「どうでしょう。ただ、あの童には重すぎる『責任』。黙って見過ごすことはできません。もう二度と、サムライどもの宣う『誉れ』や『しきたり』に縛られ、目の前の命を見捨てるようなことはしたくない」
皇羽は視線を天井に外して、しばらく考え込んだ。
「矛盾しています。絶殿が守ろうとする家の誇りのために、あなたはそれを蔑ろにしておるのですよ」
「何を大事にするかは、人それぞれですからな」
カカッと笑う天晴を横目で見る。
武士として死に体のようになっていた弟が、絶との出会いで再び命を燃やし始めた……。
「……圷までですよ」
ポツリと呟く。
「おお! もちろんです」
目を輝かせる天晴に、皇羽は釘を指す。
「絶殿を圷砦の秀嗣殿に届けたら、すぐにこの藩を出るのです。それ以上は譲れません」
「さすがは、姉上! 話が分かる」
「いいですか、絶対に家名を知られてはなりませんよ。そして私は、双木であなたには会わなかった。だから、あなたが何をしているかも知らぬ」
「おお、姉上。感謝感謝」とふざけて両手を広げていると、どこからか絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
驚いて身を固くした皇羽だったが、天晴は逆に彼女へ飛び掛かり、押し倒し、そのまま姉を掴んで飛びのく。
次の瞬間、襖が吹き飛び、勢いよく人影が入ってくると、先ほどまで二人がいた場所が無残に破壊される。
そこには禍々しいオーラを放ち、甲冑に翼の生えた異形の姿があった。
奇襲を躱した天晴はそのまま弾かれたように異形へ距離を詰めると、無明を拾い上げてそのまま逆袈裟切りに。斬撃を受けた異形は、青白い炎を上げて燃え上がる。
昼間の式神と同じ。つまり、烏夜衆の青幻による攻撃だ。
目を白黒させて驚く皇羽を余所に、天晴の廊下へと躍り出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます